ラスベガス5 グランドキャニオンツアー 



 雄大なアメリカ大陸の象徴である大渓谷は、まさしく言語を絶するスケールであった。
 その日オレは、遂に念願であったグランドキャニオンツアーに参加していた。腹は痛むが、泣き言を言っている場合ではない。地球の威力を存分に思い知ることのできるこんな機会は、もう今後2度と訪れないかもしれないのだ。
 数億年の歳月と、コロラド川の急流によって創り上げられた大自然の驚異。観光客達のざわめきはいつまでも収まらない。
 ガイドが大袈裟に解説をはじめる。


「レディーサ〜んどジェントルメン! みなさんの目の前にあるのが、大地の歴史を刻み込んだ壮大な地球史の博物館、アメリカのほこるグレイト! グランドキャニオンです!!」


 ワ〜オ〜(婦人達の歓声)!!


「さーあ、そしてみなさん後ろを見てください! みなさんの仲間のフリをしているこの貧相な少年が、はるばる日本からやって来て盲腸にかかったミゼラブルなワンダーボーイ、ミスター作者です!!」※ミゼラブル(miserable)=みじめな、不幸な、哀れな、あさましい、恥ずべき(研究社・ライトハウス英和辞典より)


 ワ〜オ〜(婦人達の歓声)!! 


「さあみなさん一緒に彼を病院に運びましょう!! ワッセ! ワッセ!!」



 ああっ! なにをするんだ!! やめろ〜! オレも仲間に入れてくれ〜っ!! もっとグランドキャニオンを見せてくれ〜(泣)!!

 ……。


 その夜に見たスティーブ・ワイリックのマジックショー。想像を遥かに越えた見事なイリュージョンの数々は、オレ達観客をとりこにし、魔法の世界へいざなってくれた。ここラスベガスのビッグステージは、世界中のあらゆるマジシャンが目指し、夢見る栄光の舞台なのである。


「レディーサ〜んどジェントルメン! さ〜あ今日は僕のかわいいペットをご紹介しましょう! ヒューイ(口笛)! カモンジャーックス!」


 舞台の袖から登場したのは、体長2メートルはあるであろうシベリアンタイガー。
 ワ〜オ〜(婦人達の歓声)!! 


「ジャーックス! さあおとなしくこの箱に入るんだ。少しの間だけどいい子にしてるんだよ!」


 シベリアンタイガーを大道具の箱に収納し、留め金をかけていくマジシャン。


「さあ今からみなさんにお見せするものこそが、本当の奇跡です!! いいですか、決してまばたきをしないでくださいね……ワン、ツー、スリーッ!!」


 ワ〜オ〜(婦人達の歓声)!! 


「どうですか!! 驚いたでしょう!! 一瞬にして消えたジャックスの変わりに箱から登場したこの貧相な少年は、はるばる日本からやって来て盲腸にかかったミゼラブルなワンダーボーイ、ミスター作者です!!」※ミゼラブル(miserable)=みじめな、不幸な、哀れな、あさましい、恥ずべき(研究社・ライトハウス英和辞典より)


 ワ〜オ〜(婦人達の歓声)!! 


「さあまだまだお楽しみはこれからです! 今度はこのショーを楽しむために邪魔な日本人の少年を一瞬にして消してしまいましょう!! ワン……ツー……」


 な、なにするんだ! や、やめてくれ〜っ!! オレにももっとマジックを見せてくれ〜!! おねがいだ、消さないで〜(涙)!!!


「ゴー!!!」


 ワ〜オ〜(婦人達の歓声)!! 

 暗転。






 ……。









 ……。











 はっ!! パッチリ←起きた

 
 気付いた時オレの目の前にあったのはグランドキャニオンでもない、スティーブワイリックマジックショーの舞台でもない、白い病室の景色であった。
 ……。
 そうだった……。オレは手術を……。
 しかしつい先程手術台に乗せられて腹にメスを突き立てられる自分の姿をイメージしていたところだったのに、今の風景は手術室ではなく普通の病室である。ということは……お、終わったんですか!!!


「あらあら、気が付いたの?」


「あ、ゆきこさん……おはようございます」


「今は夜の12時よ。それより、やっぱり盲腸だったって」


「盲腸でしたか。よかった……」



 よかった……。ああ、もっと深刻な病気じゃなくてよかった……。今までの人生で最も心のこもったよかった……。全体的に今の状況を考えるとよかったわけがないがよかった……。
 そ、そうだ!! ちょっと待て!!!

 ……。

 ……。

 ……。

 こ、これは……。

 腹がいたくなんね〜(号泣)。

 アニキ〜!! 腹痛が治ってるよ〜(号泣)。じゃあやっぱり盲腸だったんだ!! 盲腸の手術をして痛みがなくなったんだから本当に盲腸だったっていうことだ!! うれピ〜〜・・ってイダダダダダダ!!!


「オギャーッ!!!」



「まだ動いちゃダメだって!! 切ったばっかなんだから!!」



「はうっ!! そ、そうでした……」



 き、切ったばっか……そうだ。ハライタがなくなってもハラキリの後だから別件で痛いんだ……。肉を切り裂かれてちょっと内臓取り出されたばっかだもんな……。
 手術直後の傷口ってどうなってるんだろう? 気になるな……。どれどれ。

 ……。

 フッ(意識喪失)


 
「作者くん!! ちょっと! しっかりしなさいって!!! ビタン!」


「あ、ああ、血だ……血だ……私は私のハラが私の血まみれで……」


「ほんとにちょお〜っとしか切ってないのよ。すぐ固まるから大丈夫よ」


「そ、そうなんですか? ちょっとだけなんだ……。ど、どれどれ……」


 フッ(意識喪失)


「貧弱だねあんたは!!! それしきでなんなの!! ビタン!」


「あ、ああ、血です……確かに血です……僕の血も人並みに赤く燃えるような色味を帯びて……」


「男の子はほんとこういうのダメなのよね……」



 オレのヘソの真上、傷口を覆っている紙テープのようなものは血が染み込んでやや体積が膨張し、その下に血の泉湧く深い切り口があることを生々しく想像させた。ああくそ……これではしばらくの間自慢のヘソ出しルックもサマにならないじゃないか……。ただ、たしかに言われる通り傷口自体の大きさは全然たいしたことがない。テープの上からではよくわからないが、2cmかそこらだ。よし……この部分だけ力を入れないようにすれば……うまく起き上がれるかも……ってイダダダダダダ!!!


「オギャーッ!!!」



 いたい〜〜〜っ!! なんで? どこが痛いのかっ!!

 ……。
 な、なんと……。オレの愛しい腹をよく見てみれば、ヘソの上のメイン切り口の他に、そのやや左下に一箇所、その右下、毛の生え際からちょっとだけ上がったところにもう一箇所、合計3箇所も切られているのだ。な、なんだ? この余計な2箇所はなんなんだ?? わかった! チップだね? アメリカだけに。
 ……血がっ!! 血が〜っ!!! リトルフッ(やや意識喪失)。
 むむ……しかもこの毛の生え際は……。毛が! 毛が剃られているっ!! 剃毛だっ!!! ということは……もしかしてあのアジアンビューティーの女の子にオレのものが見られ……。あへっ(号泣)。ああ、どうせなら剃る時までは麻酔しなくてよかったのに……。一体その時オレの下半身を肴に手術室の中ではどんな会話がなされていたのだろうか。想像するだけで身震いするほど恐ろしい(なぜだろう)。

 ゆきこさんは、「また明日の朝くるからね〜」と言って夜中の1時に去って行った。オレはあの人に孫の代まで感謝を奉げねばならないな……。
 その夜はひたすら同じ仰向けの姿勢のまま、寝返りもうてず、というか無理矢理寝返りをうったら痛さでショック死するだろう、時々寝たり寝れなかったり、見回りに来るナースに「オーケー」だの「グッド」だの無難なコメントを答えながらじりじりと過ぎて行った。毎日欠かさず行っている腕立て腹筋も今日はお休みだ。1回でも腹筋をやろうもんならすぐさま傷口は破れ辺りは血の海になり、同時に痛さでショック死である。
 ああしかし深く切られるとやっぱりこんな痛いもんなんだ。白虎隊の少年達とかよく自分で切ったよな……。しかも麻酔も無しで……。でも白虎隊だって、絶対中には納得いかずに切ったやつもいたはずだ。「え? みんなマジで腹切るの? いやいくら忠義って言ってもそこまですることも……ちょっと! ああみんな切ってるよ! ああくそ……そんな『おまえも早く来いよ』みたいな目で見ないでくれよ……ええい、もうヤケだ、せーの、グサっ……イダダダダダダダ(号泣)!!!」
なんて不本意な死に方をした、悲しい白虎隊員を想像するとまた違った大河ドラマが見えてくる。
 
 そのままの体勢で迎えた翌朝早く、恩人であるドクターがやって来た。アメリカらしく「気分はどうだい?」的な会話からスタート。気分はどうだい? と聞かれたら「グッド!」以外の回答を知らない中学英語の隷属者であるオレであるが、しかし聞きたいことは山ほどある。オレはいつ退院できるのか? そしてこの後どのようにリハビリを進めていけばいいのか? 一人で行動できるまで、バスや飛行機に乗れるまで回復するには一体どれくらいの期間がかかるのだろうか。本来ならば3日後にはロスから帰国便に乗らねばならないのだが、どう考えても1週間はこの病室から出ることはできないであろう。
 ドクターは言った。


「ユー、ゴーホーム、トゥデイ!」


「とぅでい?」


「イエス。トゥデイ。ゴーホーム」


「おー、イエスイエス」



 え〜。トゥデイ〜? くそ……そんなに長い間入院かよ……。まあ内臓まで貫通する傷が3箇所もある体では文句は言えないが、それにしても退屈をしのげるものも何もないし、トゥデイまでどうやって過ごそうか……。

 あれ?







 ……。









 
今日かよっ!!!!!!







 ドクター!

 無茶いわんでください。

 そして昼近くになり再びゆきこさんが登場し、同時にオレの退院の準備は着々と進んで行った。
 どういうこと? オレ昨日の夜12時に開腹手術したのよ?? さっきだよさっき。ああ、やっと退院だ! 長かった病院生活とも、苦しんだ痛みとも遂にお別れなんだ……という気分とは程遠いんですが。普通盲腸の手術で翌日に退院させるか……? もうおまえに使わせる部屋などないということなのだろうか・・・。

 とりあえず送り出しムードいっぱいの辺りの雰囲気に逆らうことは出来ず、退院は覚悟したのだが、ためしに歩いてみようと思ってもベッドから起き上がるまでに5分、病室の入り口までたどり着くのにさらに5分かかるんです。歩幅が、歩幅が10cmくらいでしか歩けないんです。しかもそれでも立っている間中激痛エンドレスですが。ドクター、本当に僕、今日から一人旅に復帰できるんですかね??

 そんなオレの問いには耳を貸さぬとばかりに、ナースはオレを車椅子に乗せ、病院の入り口まで運んで行った。強制退院である。まあ思い返せばこの病院はドクターといい、ナースといい、患者思いで非常に信頼のおける、アメリカ人の人間性がいい方向でオレのイメージに完全に固定付けられるような、素晴らしいところであった。通路ですれ違うナースが、口々に声をかけてくれる。


「またおいでね!」


「おー! サンキューサンキュー!」






 ……。







 くるか〜〜〜っ!!!!






 激動の2日間を過ごしたマウンテンビューホスピタルを背に、オレはドクター、ナース、そしてゆきこさんに言葉の見つからない感謝を捧げ、今度はタクシーに運ばれ本来いるべきはずのラスベガスの我が家へ戻るのだった。











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