ラスベガス6 観光 



 大勢の客で賑わうカジノのど真ん中を、荷物を引きずりながら歩幅10cmでじりじりと進んでいるオレの乱れきった姿は、傍から見ればさぞかし異形のものとして映ったであろう。おそらくオレの周りの空間だけが京極夏彦の世界になっているに違いない。
 どう見ても、オレの他に歩幅10cmの奴はいないし、自分を励ましながら歯を食いしばって歩いている奴もいない。……なぜオレだけがこんな目に(号泣)?? 初めての海外一人旅、言葉の迷路で戸惑い、孤独の密林に耐え、文化の障壁を打ち砕いて、やっと目指す安息の地であるここラスベガスまでたどり着いたというのに、そこで待ち受けていたものは開腹手術。なんじゃこりゃ。これでは、無人島から抜け出したロッコツマニアが、漂流を繰り返しやっとのことで陸地を見つけて上陸したら、目下世界は核戦争の真っ最中だったようなものだ。むしろこれまでの苦しみの方がまだマシだったということだ。

 ちなみにホテルの部屋は今日の分もきっちりとれている。何故なら最初から4泊分ということでチェックインしたためで、もぬけの殻だった昨日の夜もちゃんとホテルの高い宿泊料金は発生しています(涙)。
 よ、よし……。このエレベーターを降りれば、あとは部屋まで100mくらいだ……。乗る時は同乗者が何人かおり、不思議な生き物を見るような顔をしながらも彼らはオレが乗り込むまで待っていてくれた。しかし今エレベーターの中にいるのはオレ一人。ここから廊下に飛び出るのが、目前にあるとりあえずのミッションである。
 21階、22階、23階……。
 チーン!
 着いた。今だっ!!
 オレは扉がまだ開き始めないうちからスタートを切り、エレベータの入り口に向かって歩幅10cmで突進した。素晴らしいタイミングで開くドア。よし。多分オレが廊下に出るまではセンサーが働いて扉は開いたままに……
 ガコ……
 うげっ!! ドアがっ、ドアが閉まる!! まだ、まだオレは半分しか出てな、ちょっと待って!! やめて〜っ!!
 ズドン


「オギャーッ!!!」


 体半分出たところでオレの存在など無視したかのようなドアに思いっきり挟まれ、傷口は派手なビートを刻み悲鳴をあげ悶絶する。オレにぶち当たって初めてまだ人が出きっていないことに気付き、慌てて開くドア。……この馬鹿扉がっ!! 脳ミソないんかおまえはっ!!! ホテルのエレベーターのくせに乗客を挟むんじゃないよ。この機械くずれが。
 ……あれ? この扉、開いたと思ったらまたすぐ閉まるよ??
 ズドン


「オギャーッ!!!」



 ラスベガスの、ラスベガスのバカヤロー!! 
 3度目の襲撃を避けなんとか廊下に這い出し、再び物の怪風の立ち居振る舞いで歩き出すオレ。ホテルに到着してから部屋に戻るまで実に20分ほど。やっとのことでカードキーを差し込みドアを開け、ベッドにへたれこむ。

 それからしばらくは、急遽病室扱いになったホテルの部屋の豪華なダブルベッド(2人用)で、ひたすら仰向けになって時をやり過ごした。せっかくベガスまで来てそんな勿体無い……とか言っている場合ではない。もはや今のオレは一度この体勢になったら、プロレスラーが先輩レスラーの初公開の必殺技をくらった時のように、決して起き上がることが出来ないのである。
 
 オレはひたすら横になりながら、蜃気楼となったグランドキャニオンやマジックショーの素敵な光景を想像していた。想像するくらいは勝手じゃないか。マジックショーの客席のひとつのシートは、たとえ空席だろうとそこは確かにオレが80ドルを出して確保した、オレの席なのである。そして人数は一人少ないが、グランドキャニオンツアーでは確かにオレはオレの分のツアー料金を払っているのである。せめて心は、心はあの旅の空へ!

 夜になり、そろそろ食事の時間となった。何食おうか……。そうだ。ルームサービスを頼もう。何があるんだろう……。ふむふむ。300グラムサーロインステーキ……ローストビーフ……。
 食えるか〜っ!!
 盲腸の客のために手術翌日用のメニューもちゃんと用意しろっ!! 病後の食事といえばうどんだろ! うどん!!
 
 ビーフだのチキンだの、こんな重いメニューしか準備してないとは、盲腸の客のことをまったく考えていないのではないか? バリアフリーの先進国のはずなのに、盲腸を軽んじるなんて木を見て森を見ない議論ではないか。というわけで、オレは自らうどんを求めて1階にある日本食レストランへ向かった。とにかくオレの中では病中病後の食事といったらユンケルかうどんなのだ。もちろん今だに物の怪の歩みである。

 幸いにして、25分ほど迷いながら見つけ出した日本食レストランの雰囲気は、オレの奇特な動きの遅さに見事にマッチするものだった。店員の女性は東南アジア系、日本人ではないもののちゃんと着物を着ており、オレが歩幅12cm(少しパワーアップ)でしかも肉体年齢85歳くらいのスローモーな動きを見せても、「あら、このお客さん、日本人だけあって日本のわびさびのあるトラディショナルで優美な歩き方を表現しているのねえ。はっ! もしかして、これはジャパニーズカルチャー、能の動きなのでは!? オー! ワンダホー! ビューティホー!!」賞賛の視線を送ってくるばかりだった。

 テーブルに案内され、能の動きを保ったまま優雅に席につく。財布と存分に議論を尽くした結果、素うどんを注文。しおらしく待っていると、背後から呼びかける日本語が聞こえる。


「ヘーイ、すみません、エクスキューズミー!」


 振り向くと、寿司のカウンターの中から寿司職人のおっさんがオレを呼んでいた。


「は、はい、なんですか?」


「おにいさん、一人? よかったらこっちおいでよ。話しようよ」


「あら、すみません……」



 招かれるままカウンター席に移動し、おっさんも日本人と話す機会は滅多にないのだろう、お互いの人生の内幕をチラっと見せながら色々な話をした。


「俺はもうサラリーマンやめてこっち来て8年になるんだけどね、やっぱり今更日本で仕事なんかできないよね。この間も昔の同僚と電話で話したんだけど、『おまえが戻って来ても日本では働けないだろうな』って言われちゃってね」


「ふーん。まあそんなこともないと思いますけどね……」


「いやなんかね、日本とこっちじゃあ仕事のペースも、それに気を使う場所と量が全然違うんだよね。だからもうね、一生ここで生きてくしかないのかなって」


「ははあ。わかるようなわからないような……。でもうっすら気付き始めているような気もしますね……」


「ところでにいちゃん、顔色悪いけど大丈夫?」


「そうでしょうそうでしょう。よくぞ聞いてくれました。わたくし、昨日盲腸の手術をしたばっかりでして」


「ひゃー。それは大変だったねえ……。でも、それはいい経験だよ。うん。いい経験」


「いい経験ですか。それは今ンとこまだちょっと気付かないですけど、そうかもしれませんね……」



 うどんが運ばれてきたため、寿司のカウンターでうどんを食った。「じゃあせっかくだから、なんか握ってやるよ。だ〜いじょうぶだって! 俺だってにいちゃんにちょっとくらいラスベガスでいい思い出作って帰って欲しいんだよ!」という展開を職人さんに呼ばれた時点から全身全霊を込めて期待していたのだが、寿司は1カンも出てこなかった。
 仕方なく寿司はあきらめ、うどんをチュルチュルっと……イダダダダダ(涙)!!!! あひ〜っ! あひ〜っ!!
 全く予想外のことだったが、うどんの野郎を吸い込もうとする度に、腹にはズガガガーンッ!!! とスーパー激痛が走るのである。チュルチュル吸い込む→急激に肺に空気が送り込まれる→肺が膨張する→腹が膨張する傷口が裂けるイダダダダダ(涙)!!! というプロセスを踏むため、もはや普通にうどんを吸うこともできず、スパゲティのように箸に巻き付けてバクバク食うしかないのであった。

 妄想の彼女から「疲れを知らない作者さん」と呼ばれているオレもさすがにこの日は疲れきっていたようで、翌日は昼過ぎまで天使のような寝顔でスヤスヤとかわいい寝息をたてていた。しかし夕方前になって、いよいよラスベガス観光に出かけようと決心する。もう今日しかないのだ。観光無しのラスベガス滞在なんて、おっぱいポロリのない「女だらけの水泳大会」のようなもの。オレなりの歩幅でも、精一杯の観光をしようではないか!
 ラスベガスに来たら絶対乗ろうと決めており、本来真っ先に行くべきは、このホテル、ストラトスフィアタワーの屋上にあるビッグショットである。ビッグショットとはよく遊園地にあるような絶叫マシンで、椅子にくくりつけられていきなり地上50mの高さまで打ち上げられる逆フリーフォールのようなものである。それがここではタワーの最上階、地上280mの高さに据え付けられているのだ。
 ただ、やはり今回望みを果たすのは不可能である。どう考えても無理だろう。盲腸の術後2日目では、打ち上げられたと同時に地上330mで手術跡がパックリ開き、ラスベガスの街に血の雨を降らすことになってしまうことが十分考えられる。
 
 落ち着いた観光をすることに決めたオレは、まずバスに乗りフリモントストリートへ向かった。歩幅は15cm、そしてバスには
四つん這いで乗りこむという非常に注目を浴びる動きではあるが、白人達よ、これがバス乗車時のジャパニーズスタイルだ!
 フリモントストリートでは、商店街を覆うアーケードに音楽とともに様々な映像が映し出される。そういえば昔テレビの旅番組で、レポーターであるギャラの安そうな女性タレント2人組が「きゃーっ! すごい迫力! キレイっ!! すっご〜い!!」とこのアーケードを見て一生懸命なリアクションをとっていたことを思い出す。きっと彼女達は、「今は何十人という女の子に埋もれる一人だけど、きっと将来は人気女優になってみせる! あと、歌とかも興味あるから、CDも出せたらいいな。グラビアで色んな雑誌にも出るようになって、CMの仕事もやっていきたい。まあなんでもいいんだけど、ようはとにかく有名になりたいの! それで片手間に私の男性観とかスキンケアに関するエッセイとか書いて、楽に稼げるようになりたいのよ!!美しい大志をいだいてがんばっていることだろう。そして実際に売れ出したら調子に乗って二科展に出品したり、絵本でも描いて出版するかもしれない。
 スペクタクルな映像ショーが終わると、拍手とともに観客は散って行く。オレは立ったまま首をもたげた姿勢でかなり腹に負担がかかったため、休憩をかねて近くのカジノに入り、しばらくスロットマシンに興じ小銭を全て失った。どうやら少なくともこの旅の間は、オレは運を試すような行動は控えておいた方がいいようだ(涙)。

 再びバスに乗り、夜のラスベガスを巨大ホテルが集中しているストリップ地区へ戻る。とにかくネオンの洪水とテーマを持って建てられたホテル群が際限なくきらびやかに輝いており、街版のディズニーランドと言っていいほどメルヘンチックであった。メインストリートには例えば海賊船があり、活火山があり、エッフェル塔や中世の城があり、マンハッタンがありピラミッドまで建っている始末である。観光客は昼間以上に街中に溢れており、幸せなカップル達は、一歩進むごとに「痛い。痛い。痛い。痛い……」とつぶやいている
堅実な歩みのオレを悠々と追い抜いて行く。
 誰かが昔、人生をマラソンに例えてこう言っていた。「ゴールを目指してすごい速さで走る人は、メダルや、人々の賞賛や、名誉を手に入れることができる。でも、地面に這いつくばって進む人間は、たとえメダルが手に入らなくても、ただ駆け抜けるだけの人には見えない、道端に咲く一輪の花を見ることができる」。
 なんと美しい言葉だろう。今ラスベガスのストリートを這いつくばって歩いているオレは、忙しい観光客には見えないであろう道端に咲く一輪の花を探してみたのだが、ラスベガスはキレイに舗装されているので花は咲いていなかった。

 総工費世界最高額と噂される巨大ホテル「ベラッジオ」で、噴水ショーに見入る。流れる音楽とともに水が跳ね、しぶきが踊る。美しい噴水のミュージカルを眺めながら愛を語る、世界各地からやって来た幸せなカップル達。そしてそのカップル達にカメラを渡され写真を撮らされる、おととい手術して昨日退院、ツアーもショーも棒に振り、がんばって歩いていると動きがおかしいとジロジロ怪しい目で注目を浴びる、ホテルでは一人でダブルベッドに寝るオレ。


 ……。


 爆弾を! 誰かオレに爆弾を貸してくれ!! 今ここで○○※□×■▼○△○(時期が時期なので自主規制)!!! 

 ちくしょう……。次に来る時はオレもカップルで……。いや、いい。別にカップルじゃなくてもいい。ただ、次に来る時はせめて手術抜きで来たい。そんなオレの願いは、
ぜいたくで身の程知らずだろうか(号泣)? ねえ神様??











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