ロスアンジェルス1



 サンフランシスコ国際空港で、気のせいの腹痛にちょっとだけ襲われた。「あれ?」と思ったらすぐに消えたので、気のせいだったのである。気のせい以外の何物でもないのだ。1週間後のオレはこの気のせいが地獄の門前町だったということをわかっているのだが、今は
断じて気のせいだ。

 そんな気のせいよりも今はアメリカン航空の心配である。つい先日ケネディ空港付近で墜落したエアバス機は、鳥人間コンテストでも入賞を逃しそうな飛行距離、
まさかの8kmであった。今回はもうちょっと長く飛んでくれるだろうか? めざせ20km! まだまだ30km!! ……いやいや、鳥人間コンテストだったら30kmくらいで墜落しても応援席のボンボンを持った女の子が飛び跳ねて喜ぶだろうが、旅客機の場合は8kmで落ちようと30kmで落ちようと数百人の命が散るのは同じである。
 ボンボンを持った女の子が飛び跳ねなくてもいいから普通に着陸して欲しいと願っていたオレだったが、不幸にもロス上空で激しく方向転換をするこの墜落することで有名なアメリカン航空機は、一人旅の無職のイタイケな少年の心を大いに翻弄した。機体が傾きロスの住宅街が目前に迫る度、オレは「あ、もうダメだ」や「あ、今度こそ落ちる」と受験シーズンの予備校で発したらヒンシュクを買いそうなセリフをつぶやいて、葬式で涙を誘うように機内食のナプキンの切れ端に「みんな、今までありがとう」とお別れの言葉を書いた。
 
 ロスというのは響きは実にいいが、正直言ってガイドブックなどを読んでも30人31脚全国大会のようにイマイチ楽しみどころがわからない。もとい、ユニバーサルスタジオハリウッドやディズニーランドなど、旅行に来た者として楽しむべきところはたくさんある。友人同士で騒いだり、彼女と愛を深めるためにはまさにこれ以上ない絶好のスポットである。
 では、なぜオレはそれらにあまり魅力を感じないのだろうか? ……それは、みなさんそれぞれで考えてみてください。オレに答えを言わせないでくれ(泣)。
 
 空港から地下鉄を乗り継ぎオレが向かった先は、まずはグレイハウンドと呼ばれる長距離バスの発着所であった。オレは、50ドル出して明後日のラスベガス行きのチケットを買った。到着早々、ロスを離れることにしたのである。はっきり言って、こんなカップルしか楽しめないような街は一人身のオレには耐えられないんじゃ〜っ!! 
寂しいんじゃ〜っ!!
 ……なぜオレがロスにあまり魅力を感じないか。それは、みなさんそれぞれで考えてみてください(号泣)。

 そして夜を前に宿を求め向かったのは、映画の都、ハリウッドである。今日と明日は行動拠点をハリウッドに構えることにする。別に銀幕のスターとしての血が騒いだからというわけではない。そんな血はない。
 いや、たしかにオレだってハリウッドスターに勝るとも劣らない手先の器用さは持っている。パソコンのキーボードを叩くスピードならディカプリオにだって勝つ自身がある。それだけではない。足先だって器用だ。これはなんといっても日本人が世界に誇れる特権。なにしろ日本人は
柔道家でさえ足でネコふんじゃったを弾くことが出来るのだ。これならハリウッドに宿泊する理由としては申し分ないであろう。
 まあこのように様々な要因はあるのだが、ぶっちゃけ一番の理由は、ロスのダウンタウンよりも夜でも観光客がウロウロしているハリウッドの方が治安がいいからである。たしかにオレが強盗だったとしても、オレと白人の婦人が並んで道を歩いていたら絶対に婦人の方を襲う。どっちが金を持ってるは一目瞭然なのである。オレの方を襲うとしたらせいぜい
大穴狙いの時くらいしか考えられない。
 
 オレにお似合いなうらぶれた宿にチェックインし、案内された部屋に入ると、一人の白人の先客がいた。彼のベッドの脇には、いかにも長旅してますよ〜といった感じのお徳用サイズのビッグな荷物がある。鍋やコンロまで揃っている有様だ。オレは一応日本の慣習に従い、引越しの挨拶をしておくことにした。



「こんにちは。今日からこの部屋にお世話になります作者と申します。どうぞよろしく」


「ハーイ! どのくらいここに泊まんの?」


アーハー? そうですね、今日と明日だけなんですけど」


「ふーん。じゃあそんな長旅じゃないんだな」


ンーフー? はい。もう来週には日本に帰ります。しかしあなた荷物多いっすねー。それだけ持って移動するの大変じゃないですか?」


「まあ仕方がないさ。まだまだ先は長いからな」


「ん? もしかしてあそこにある自転車もあなたのですか?」


「そうさ。アラスカから下って来たんだぜ!」


「まじで!? それだけのキャンプ用具に加えて自転車まで背負ってアラスカから??」


乗って来たんだよ!! アラスカから自転車で下りて来たの!!」


「ぎょえ〜! そりゃすごい!! 背負って来るより凄い!!」


「ふふふ。そうだろうそうだろう」


オーイェー? そんでどこまで行くんですか?」


「うーん、まだ決めてないけど、とりあえず南米には入るつもりだよ」


「な、南米までね……。よくやるな……」



 なんということだろう。アラスカから南米まで、気の遠くなるような距離、険しい道々を、なんの交通機関にも頼らず自転車だけで旅しているなんて。彼は
電車代も払えないほど貧乏なのだろうか? 少し気の毒になってくる。
 まあたしかにアメリカ大陸を自転車で縦断しようとすることは凄いことである。アラスカからスタートして既にロサンゼルスにキチンとたどり着いていること自体凄い。もし地図が読めないオレが彼と一緒に自転車でアラスカからスタートしていたら、きっと今頃は道を間違えてチベットあたりに迷い込んでいることだろう。



「本当に大変ですね……」


「いや、まあそれなりにキツイけど、これもいい経験なのさ!」


「でもね、能率を考えたら、いきなり自転車で旅に出ちゃうよりもしばらくバイトでもして稼ぐ方がいいと思いますよ? 1ヶ月も働けば交通費くらい稼げるじゃないですか。そうすればわざわざ節約して自転車なんかで行かなくても……」


「チャレンジだよ! チャレンジ!! 別に交通費が惜しくて自転車に乗ってるわけじゃないんだよ!!」 


「げげっ!! そうだったんですか……。それは本当に凄いかも……」


「ふふふ。そうだろうそうだろう」



 うーむ。オレはこうしてアメリカを一人で回っているだけでも結構なチャレンジだとこっそり思っていたのだが、今目の前にいるアメリカ人の彼とは
チャレンジのスケールが全く違う。もはや今となっては、オレの旅などスプーンおばさん並にちっぽけなものだという気がしてきた。
 まあいい。人間身の丈をわきまえたチャレンジをすることが大切なのである。もしオレが無理して難しい旅をしようなどと思ったら、食中毒になったり救急救命室で手術を受けたり全財産盗まれたりと、常識では考えられないような悲惨な目に遭うのがオチである。無茶なことはせず、素直に日本で大人しくしているのが利口なのだ。

 チャレンジャーとの話がひと段落した後、オレは食事もかねて夜のハリウッドに繰り出すことにした。やはりここは白人の観光客が多く、裏道に入らなければ特に危険な香りはしない。
 とりあえずオレはチャイニーズシアターへ向かった。日本語に訳すと「中国の映画館」である。だからどうした。しかしここはどちらかというと映画館というよりも、地面に並んだスターの手形や足形で非常に有名な所だ。おおっ! あれはハリソンフォードの手形だ! あれはマリリンモンロー!! そしてあそこにはアーノルドシュワルツェネッガーの足形がああっ!!!
 と喜ぶのはいいが、これが本当にハリソンフォードの手形だという証拠もないし、あんまりはしゃぐのもどうかと思う。例えばチャイニーズシアターの建設中に、



「あっ! やっべえっ!! まだコンクリート固まってないのに手ぇついちまったよ!!」


「ぎゃははは!! おめえばっかだなあ。あーあ、こんなにくっきり跡ついちまって。親方に怒られるぞ〜」


「ど、どうすんべ……」


「おい、おまえ工具箱もそこに置いてあるけど、そっちは大丈夫なのか?」


「し、しまったっ!! あ、ああ〜っ。こっちもくっきり形がついてる……ああ……ここをクビになったらオラはどうやってスーザンやジョンを養っていけば……」


「そうだ! こうすりゃいいんだ! おめえその手形の上にハリソンフォードのサイン書くだっぺ。それで、親方が戻ったら『さっき撮影中のハンソロ船長が来て、記念にって手形とサインを残してったとです』って報告すりゃいいんだべ」


「そりゃいいなあ! で、でもこっちの道具箱の跡はどうすりゃいいっちゃよ? こんな形の手形なんて……」


「そうだな……。そうだ! そっちは『一緒にR2−D2もついてきたんで、足形もらっときました』で大丈夫だっぺよ!」


「ぎゃっははははは! おめえ頭いいなあ!! よっしゃ、じゃあマリリンモンローやニコラスケイジの分も作っちまおう!」


「よっしゃ! オレはドナルドダックだべ!!」



 というように、本当は単に
地方から出稼ぎに来た左官屋の手形なのかもしれないじゃないか。

 その後バーガーキングで夕食をとり、セットのドリンクのあまりの大きさに溺死しそうになったりしながら、ぶらぶらと道草を食いながら宿へ戻ることにした。
 途中、道端で派手に営業している本屋があったので、アメリカの大衆文化の勉強のため一冊のエロ本を手にとって見てみた。アメリカの若者はどのような娯楽を楽しんでいるのだろうか? アメリカの家族計画の進み具合は日本と比べてどうなのだろうか??
 ……。



 
しょえ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!

 ちょっと!! モザイクかけ忘れてるよ!!! 
 こんな本を売っていたら青少年の育成に悪影響を与えるだろう!! 若者の精神構造を破壊し、軽率に非行や犯罪に走る乱れた社会を……
 ……。
 どれどれ。

 ほ、ほほー……。
 いやー、人体ってほんとに不思議ですねー。時として小宇宙に例えられるのも納得がいきます。……。アメリカばんざい!! アメリカばんざい!!!
 オレはアメリカの性の開放ぶりをたっぷりと学び、国際的感覚を身につけたところで、明日に備えて休養をとるために少し前かがみになって宿へ帰った。
 しかしむしろギラギラして眠れなかったのである。











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