ロスアンゼルス・最後の夜



 手術の3日後。帰国の前日。
 今日オレは、再びグレイハウンドに乗りロサンゼルスへ戻らなければならない。うーむ。このたんざく切りに切り刻まれた体で5時間のバスに耐えられるのだろうか?? 市街地はまだいいが、一歩ラスベガスを抜け出ると砂漠の道路にはムネオハウスやマイケルジャクソンくらい
問題が山積みである。3箇所の傷口は縫われてもおらず、果たして悪路を走るバスの揺れに耐え切れるのかどうか非常に気になるところである。
 しかし普通手術をしたら傷口は縫うものだと思うが、なぜかオレの腹の傷には
テープが貼られているだけで、縫合の跡は無い。これはどういうことだろうか?


 ……


「よし、次は縫合だ。デイジー、やってみなさい」


「はいっ、ドクター! あ〜、なんか緊張します」


「いいんだよ、落ち着いてやりなさい」


「よーし……。じゃあまずはこの剃毛された情けない部分から……チクッ。いった〜い!! 指に刺しちゃったあ!!」


 思わず針を落とし、人差し指をもう一方の手でつまむデイジー。指先には小さい血の玉が出来ている。


「大丈夫か?」


「は、はい。ちょっと指に刺さっただけです……」


「どれ、貸してみなさい。」 チュパ


 突然デイジーの指を引き寄せると、ドクターがその指先を口に含む。信じられないといった表情でその動作を見つめるデイジー。


「ド、ドクター……ああ、そんな……」


「チュー……チュー……」


 最初は驚いて体を強張らせていたデイジーだが、ドクターの優しさと大胆さ、そしてその真剣な姿に次第に抵抗する力を奪われ、ついにはドクターに体を預ける。


「ああっ……ドクター……」


「デイジー……」


 見詰め合う二人。もはや彼らの瞳には、お互いの姿しか映らない。傍らにいるもう一人の助手・サムの姿や、医療設備の並ぶ手術室の光景、ましてや手術台で腹を開かれて横たわっている貧相な東洋人のことなど、彼らにとっては2人の燃え上がる愛の間に入る邪魔者でしかないのであった。
 残されたサムが、やれやれといった表情で手術台に向かう。


「あーあ、ドクターもデイジーもそういうことは勤務明けにやってほしいよなあ……。仕方ないなあ、どうするかなこの日本人……。オレ昔から洋裁は苦手だからなあ。よし、じゃあとりあえずメディカルテープでも貼っとくか。開いたままより多少はマシだろ」



 ……というように、オレの腹はドクターとデイジーの愛の犠牲になったということも充分考えられるのではないだろうか?? デイジーめ……。あいつの両親がちゃんと子供の頃からデイジーに裁縫の練習をさせていればこんなことには……。
 とまあ実際はそんなことは全然無く、本当はこの3箇所をちょこちょこと切る手術、そして縫合せずに特殊なテープだけで済ませるというのは、どうやら最先端の治療方法らしい。ただ、
「そのテープは傷が治るころ自然に取れてくるから、それまでは絶対自分で取っちゃダメよ」と言われたが、例えばバンソーコーでも5回に1回くらいは寝ている間に勝手に取れるではないか。着替えたり人ごみに揉まれているうちにペロンと取れたらどうするんだ。こんな短い布テープだけに内臓への道を委ねるのは、かなり心細いものがある。空手の有段者というボディガードを雇ったはいいが、よくよく聞いてみたら空手と言っても通信教育、昇段試験は筆記テストのみだったというくらいの心細さである。

 4日、いや中1日あけて3日間を過ごした病室代わりのホテルをチェックアウトする。ロビーは今日も相変わらずカジノに興じる紳士淑女で盛り上がっている。本当ならオレも4日間、昼間はカジノ夜はショー、派手なネオンを歩いて夜中もカジノと
関白藤原道長も「うらやましいぞよ」と着物の袖を噛んで悔しがるほどの、贅沢の限りを尽くす予定であった。しかし結果的に、昼は腹痛夜手術、夜中はショーの夢を見る という、文章にしてみると妙にリズム感のある結果になった今となっては、逆に藤原道長のことがうらやましい。出来たらオレも一度は天皇が幼いころは摂政に、成長してからは関白になり、朝廷の政治を補佐してみたい(摂関政治)。

 歩幅20cmの
古典芸能的な動きでバス停に向った。今日の歩き方のイメージは人形浄瑠璃スタイルだ。
 オレの隣では車イスに乗った白人のおっさんが同じくバスを待っていた。しばらくしてバスがやって来ると、ドアが開くと同時に階段が自動的に変形し、車イス用エレベーターが出来上がる。すぐに降りてきた運転手が手伝って、おっさんはすんなりとバスに乗り込んで行った。
 やるではないか、アメリカ。こういう民間レベルのバリアフリーな精神はさすがである。本当はオレもそのエレベーターで上げてもらいたかったしその正当な理由もあるのだが、車イスの白人を乗せた途端にエレベーターは目の前でまた元の階段に戻ってしまったため、オレはまた
四つん這いの赤ちゃんスタイルでのそのそと入り口を上がり、バスに乗り込むのであった。乗客や運転手は赤ちゃんというより這い回る夜叉でも見るような恐怖の表情を浮かべていたが、昨日に引き続き、白人達よ、これがバス乗車時のジャパニーズスタイルだ。

 グレイハウンドのターミナルでは、時間指定のチケットを持っているにも関わらず「よーし、ここまでで満員だ。あとの奴は2時間後の次の便に乗んな!」オレの直前で行列が切られるという、脈絡の無い作者いじめがまたも行われた。今やオレが旅をするといじめられるというのは、
女子バレーのシーズンになると新しいジャニーズが売名行為のために勝手に応援団を名乗るのと同じように、しごく当然の出来事となっている。
 ……なぜオレだけがアメリカにこんな扱いを受けなければならないのだろう。オレが日本人だからか? そんな国籍だけで区別される理不尽な理由だとしたら非常に納得がいかない。名前が一緒というだけの理不尽な理由でターミネーターに殺された、
サラコナーの同姓同名さんもおそらくこんな気持ちだっただろう。
 しかし2時間とはいえ、ラスベガスで経験したとびっきりの楽しい思い出に浸っていれば、あっという間に過ぎるものである。あんなこと〜こんなこと〜あ〜った〜でしょ〜♪ うれしかったこと、おもしろかったこと。いつになっても〜わすれ〜ない〜。 ……
あれ? なんで涙が出てくるんだろう? 楽しいことばかりだったはずなのに。それに、なんか血もでてきたよ??

 マジックの国から現実へ抜け出し、ロスに向けてバスは砂漠を走った。オレのベルトは股間の前にだらんと垂れ下がり、ボタンは外れチャックは全開、パンツもシャツも見せまくりである。腹を守るためには、変質者扱いも甘んじて受け入れる構えだ。なにしろ5時間の長丁場、砂漠の真ん中でひょんなことからテープが外れ
傷口がパックリ開いても、流れ出る血を止め手術跡を塞ぐ医療用具は存在しない。砂でも詰めておくしか手は無いが、ちょっと体に悪そうだ。
 隣に座ったドイツ人は、こんな変質者を通報するでもなく侮蔑の言葉を浴びせかけるでもなく、むしろフレンドリーに、まるで普通の人間に接するような態度で扱ってくれた。おお……。なんという慈悲深い……というかオレはあくまでも中身は普通の人間である。ごく稀に変態な部分がほんのり顔を出すだけだ。
 しかし、中学生レベルの英語力しかない日本人が外人と話すと、本当に話題は
スシ、テンプラ、マウントフジくらいしかないのであった。もちろん相手方としてはもっと深い日本の生活習慣や見所を知りたいのだろうが、悲しいかなこちらに対応能力が備わっていない。

 夕暮れが迫ったころ、下腹部はだけ作戦が功を奏し傷口のテープは粘着力を保ったまま、オレ達は無事ロスアンゼルスのバスターミナルへ到着した。そこからはやはりロスだけに
ロスオリンピックのアンデルセン選手のようにフラフラになりながら市バス、メトロを乗り継ぎ、ダウンタウンにある安いホテルへチェックイン。
 しかし、ここで終わりではない。今日は、どうしてもやらねばならぬアメリカ最後のミッションがあるのだ。オレは部屋に戻り荷物を置き、早々に再びロスのダウンタウンへ繰り出した。地下鉄に乗り、ハリウッドへ向かう。
 正直言って、この体で夜の街を歩くのは自殺行為に等しい。満足に身動きも取れず、暴漢に襲われたら一環の終わりである。だが、男には、危険だとわかっていてもチャレンジせねばならない時がある。人は歩みを止めた時、挑戦をあきらめた時に年老いて行くのである。
(作者座右の銘:アントニオ猪木引退セレモニーより)

 ハリウッドのマックでサラダやヨーグルトなどの軽い夕食をとり、オレは弱音を吐く体を励まし、血ヘドを吐きながら足を引きずり、目的地である道端の本屋へと向かった。およそ1週間前に発見し、立ち読みでアメリカの性の開放ぶりを学び驚異の小宇宙・人体について驚きと感動を味わった場所である。
 オレは僅かに残された力をふりしぼって陳列されたエロ本を何冊か手に取り、よく吟味した。道端の怪しい本屋だけあって、どれもラスベガスで買った常識的なエロ本ペントハウスとはエスニック料理並に辛みのシーンのレベルが違う(辛みと絡みをかけています)。キャリア25年になるプロの目で厳しく選別を重ねたオレは、そのうちで
最もアメリカの若者文化を学べそうな開放的な1冊を大事にレジへ持って行った。


「すいません、これください……」


「OK、14ドル70セントな」


「じゃあ20ドル札で、お釣りください」


「はいよ、サンキュー。また来いよ」


「サンキュー!」



 ……。



 
エイドリアーン!!!

 オレはやった! やったぞ!! ついに、アメリカ最後の夜にしてついに目的を果たすことができたのだ!! 長い、長く苦しい道のりだった……。あの日ハリウッドの道端にひっそりと置かれたこのエロ本を見てから、ここまでオレの前に立ち塞がった幾多の試練。一時は自暴自棄になり、諦めかけたこともあった。大人としての、日本人としての恥だという弱い考えに屈し断念を考えたこともあった。盲腸にもかかった。だが、そんな逆境を、他人の目ばかり気にする日本人の欠点を克服し、今ついにオレは、念願の本場のエロ本を手に入れることが出来た。オレの、オレの1ヶ月のアメリカ旅行は無駄ではなかったんだ……。

 夜のロス、ダウンタウンの治安は悪い。オレは常に周りを警戒しながら、エロ本を服の中に隠してじりじりと表通りを進んだ。本来拳法の使い手であるオレは、五体満足であっても襲い来る黒人にはかなうはずもないが、この人形浄瑠璃スタイルでは
相手がふわふわのファーファでもコテンパンにやられる自信がある。なにしろ、オレに勝つにはただ腹に貼ってあるテープをはがすだけでいいのだ。シール剥がしの液体でもシュッシュと服の上から吹きかければ、あっという間に内臓グランドオープン、大出血サービスである。

 明日、日本に帰る。











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