寝かせろ オレの今後の人生の展望のように時々真っ暗になるニューヨークの地下鉄を降り、地上へ出る。そこには夜のとばりを明るく照らし出すマンハッタンの高層ビルが建ち並んでいた。もちろんそれしきの光量など、オレの不安という闇にとってはマッチ売りの少女ですら返品しそうな質の悪いマッチほどの明かりでしかない。 しかし、実は今日はそんなオレを救ってくれる、マリア様のような存在がここニューヨークにいるのだ。公衆電話からマリア様、いやひろ子さんの携帯に電話をかけしばらく待っていると、マリア様、いやひろ子さんはその美しい天使の羽を屈託無く羽ばたかせながら、罪を負ったこの幼き迷い子を救うためにやって来た。 ふとどこからか「不安不安とか言っておきながらテメー結局頼る人がいるのかよ」とか「一人旅に来たくせに初日から誰かに助けてもらうなんて卑怯じゃねーか」という声が僕の耳に聞こえてきました。ここで、みなさんの誤解を解くためにも一言いっておかなければなりません。 卑怯で結構。 さて、一応ここでマリア様、いやひろ子さんについて説明せねばならない。マリア様、いやひろ子さんはオレの知り合いの知り合いで、コロンビア大学博士課程終了後、まだ26歳の若さにしてニューヨークの大手国際貿易会社の通訳兼社長秘書として働いている才女だ。まあ言うまでもなく英語はネイティブと同列にペラペラで、マンハッタンのことは隅から隅まで知り尽くしている。驚くことに日本の新聞社から彼女を取材に来たことも一度や二度ではなく、時々プロモーションなどで訪日するハリウッドスターの通訳なども手がけているらしい。さらに信じられないことには、その上今までオレが見たことの無いような美人なのだ。 凄い。こんな素敵な人に協力してもらえるなんて、まさにオレ冥利に尽きる。 ・・・あ、そうそう、言い忘れましたが、上の説明の中に7箇所間違いがあります。写実的な描写を目指しましたが、わずかばかりオレの願望が入ってしまったようです。さて、正しい説明はどれでしょうか。 「作者くん?」 「あ、マリア様、いやひろ子さんですか?はじめまして!どうも今日はお世話になります!!」 「いえいえ、いいのよ。えっと、今日と明日はアタシの知り合いの牧師、マイクの家に泊めてもらうように頼んどいたから。」 「いやー、ホントすいません。あ、そうそう!ガバッ こちら、日本より持参いたしました銘菓『ひよこ』でございます。この度は私のような若輩者に対し格別なご配慮を賜りまして誠に痛み入る次第であります。しごく短期間ではございますが、どうぞご贔屓下さいますよう何卒よろしくお願い申し上げます。」 「はいはい。じゃあ近くのビルにマイクとかみんないるから、早速行きましょうか。」 簡単に挨拶を済ませたオレは、マリア様、いやひろ子さんの後について街を歩いた。ひろ子さん、そしてもちろん牧師のマイクという人も熱心なキリスト教徒、で今から向かうところはその集会所らしい。・・・若干イヤな予感がする。もしかして、オレが最も苦手とする強制的アットホーム攻撃を受けなければいけないのだろうか。 自慢じゃないがオレはどちらかというと家庭崩壊派である。今までも自分の空気を貫くあまり「な、なにあのヒトー・・・。信じられない・・。ちょっと、次からあんな人呼ばないようにしてよねー!!」と言われた数も鳥取砂丘の砂粒の如しである(涙)。ホームパーティの楽しいゲームや、軽いジョークが飛び交い笑いの絶えないアメリカンな雰囲気はオレが松本先輩と並んで最も苦手とするところである。つまらない奴かもしれないが、それが古来の武士道というものではないか。 なんとかストリートとなんとかアベニューの交差点にあったビルを最上階まで昇っていくと、彼らの集会所らしき部屋が見えてきた。今日オレを泊めてくれるマイクという人はここの責任者の牧師らしい。マイクと言えば幸福物語のペンギンの名前である。どんな人なのか気になるが、名前のイメージからして純朴で右の頬を殴られたら本当に左の頬も差し出しそうなタイプな気がする。言ってみればマゾだ。そしてお世話になる人に対して失礼な物言いだ。 ひろ子さんについて集会所の方に近づくにつれて、なにか声が聞こえてきた。・・・いや、これはただの声ではない。歌声だ。 「ああ、みんなゴスペルを歌ってるみたいね。」 きたーーっ!!アットホーム爆撃!!! もちろん歌を歌うことは悪いことではない。しかもここは彼らの集会場だ。彼らが彼らの場所で何をしようと自由である。ただし、一緒に歌おうよ攻撃だけはなんとしても勘弁して欲しい。まあ当然彼らにはオレを歌に誘う自由もある。なんといってもここは自由の国アメリカだ。そしてオレにはオレでそれを断る自由がある。それでよいではないか。・・・と思ったら大間違いである。なぜなら、時としてアットホームな空気というのは人から断る自由を奪い去ってしまうのである! 入り口からチラっと中を覗くが、彼らの邪魔をしないようとりあえずひろ子さんと一緒に歌が終わるまで待っていた。そして歌声が止み、ひろ子さんがオレを伴って中に入った。そこは日本人だらけであった。 「作者くん、こちらが今日明日と家にお世話になるマイクね。」 作「あ、そうだ!ガバッ つまらないものですが、こちら、日本より持参いたしました銘菓『ひよこ』でございます。この度は私のような若輩者に対し・・・」 マイク「あーいいよいいよ。気にせんで。」 作「そうですか。どうもありがとうございます。・・・ん??『気にせんで』??うおっ!!」 マイクは、思いっきり日本人のおっさんであった。しかも、細かいパーマと角ばった顔、怪しい髭を生やしたその姿はどちらかというとマイクというよりヤクザだ。本名なのか源氏名なのか知らないが、激しく間違っている。一休さんの桔梗屋を「けつびんや」と読むくらい間違っている。しかしそんなヤクザ、いやマイクはこう見えてギター一本でキリスト教の人々の歌の指揮を執り、率先して和やかな雰囲気を作っている。そういうところだけはたしかにマイクであった。 ![]() 「はい、これ。」 作「あ、どうも。ってこれって・・・。」 マイクの容姿に対して一人で盛り上がっていたオレに、隣からなにやら歌詞カードのようなものが回ってきた。こ、このアットホームな展開はもしかして・・・。 「歌えるところがあったら、一緒に歌お!」 作「・・・。は、ははは・・・」 きたきたきたーーーーーーーっ!!!もう歌詞カードが回ってきた時点でその言葉は予測していた。気分の進まない人間を無理矢理アットホームに巻き込むフレンドリー空襲。オレにとってこの歌詞カードは大東亜戦争当時の赤紙のようなものだ。一緒に歌いません。 当然のことながら、その後オレはできるだけその場の雰囲気を壊さないようにいかに歌わずに済むかに苦心することとなった。こういう時はイベント会場のアイドル歌手と金魚から教わった、口パク作戦だ。周りの人たちはみなキレイな歌声で、主を賛美している。しかしオレは別に主とは知り合いでもなんでもないので、賛美する筋合いはない。主がオレを賛美するというならお返しに賛美し返してもいいが。せめて君が代を歌わせろ。 オレの苦しみをよそに、みんなの歌の時間は続いた。オレの口パクも次第に上達し、はたから見ればもはや声が出ていない以外はどっから見てもプロのシンガーとしか思えなかっただろう。頭の中で歌っていたのは賛美歌ではなくヤーレンソーラン北海道だったことなど見抜かれるはずもない。曲調も似ていることだし。 しかしいくら気分はロック歌手とはいえ、もう夜の11時を回っている。もう半分以上の人達、そしてひろ子さんも帰っていった。ちなみに、ひろ子さんは明日オレをニューヨーク観光に連れて行ってくれることになった。どうだ。普通だろう。で明日朝8時に待ち合わせというのもあるし、今日はできるだけ早く寝たい。なにしろ、普段のオレは睡眠時間だけなら生後8ヶ月の柴犬とすら勝負できる分量を誇るのだ。 そうでなくてももう夜の11時。今朝起きたのは6時だが、今日に限っては朝6時から夜11時までが31時間である。当社比14時間増しである。 12時になった。そして1時を回った頃、さすがにマイクを囲む聖なる夕べの会もお開きの様相を呈してきた。バラバラと帰っていく参加者達。しかし、なぜかオレとマイク以外におっさんとおばさんが各一人ずつ帰らない。しかも やっとかよ・・・。 マイク「さて、人数は少なくなっちゃったけど元気出すために1曲歌おうか。」 ぐはっ。 ・・・。 夜中の1時に元気出す必要がどこにあるっていうの(涙)?? もっと元気を出すに適した時間帯はあろうに!!大体、こんな時間に暗いビルの一角から賛美歌が聞こえてくるのはむしろ怖い。・・・そして歌い終わった彼らは、オレのことなどお構いなしに仕事のことや家族のことをまた楽しそうに語り始めた。 たしかにオレは部外者で、お世話になりに来ている者だ。言ってみれば高砂部屋に出稽古に来た高見盛のようなもの。文句などつけようが無い。だが、おそらく今オレの存在は彼らに完全に無視されている。これはある種のいじめと言っても過言ではない。きっとオレのもち肌をひがんでいるのだろうが、それは大人のやるべきことではない。 そして、そのまま3時になった。 この人達はおしゃべり好きなのか?それとも暇なのか?そしてオレはとことん無視か??既に今日起きてから35時間が経っている。寝かせろ。・・・しかしさすがに彼らも黒柳徹子では無い。延々と喋り続けられるのも無理のようで、ふと会話が途切れた時、マイクはちらっと時計を見て言った。 マイク「さーて。もう3時か。だいぶ遅くなっちゃったな。」 そうだろう!!やっとあんた適切な事言った!! ちょっと気付くのが遅いが、牧師として早寝早起きの実践を推奨するのは当然の行為である。「もういい加減おしまいになさい。」そうオレの心を借りて主も言っている。 マイク「どうしようか。じゃあとりあえずもう1曲だけ歌いましょう。」 ・・・。 マイーーク??( ´_ゝ`)∂゛チョットコイヤ おまえもしかして「作者を寝かさない協会」の会長か?とりあえずもう1曲だけ歌いましょう。のとりあえずの意味を文法的に適切に説明しろコラ!!! 彼らは元気に歌っていた。楽しそうに歌っていた。人の気も知らずに。そして歌が終わると、今度はやっと閉会に向けて最後のお祈りが始まった。このお祈りは、一人ずつ主に感謝を捧げる言葉や自分の身の上の心配ごとなどを報告するというもので、またそれが長いのなんの。 しかし驚いたことにというかありがたいことにというか、彼らはお祈りの途中で「今日日本からやってきた我々の新しい友人の、これからの旅が平穏に過ぎますように・・・」となんとオレの旅の平穏まで主に祈ってくれているのだ。さすがにこれは感動的だった。少しだがキリスト教の愛というものを感じたような気がした。既に彼ら自身の手でオレの旅の平穏は乱されていることは別として。そしてオレが「オレのために祈ってくれなくてもいいからその分10秒でも余計に寝させろ」と思っていることも別として。 マイクのアパートに着いたのは4時だった。ソファーに倒れこんだオレは、土曜ワイド劇場でクロロホルムをかがされた脱ぎ役の女優よりも早く意識を失っていた。 |