〜ケープタウン1〜 宿へ向かうミニバスの中でも、オレの心臓のドキドキは止まらなかった。なにしろ道を歩けば殺人犯に当たるというあの噂の南アフリカ共和国なのだ。カラオケで勝手にシンドバッドを歌っていて、サビにさしかかる直前に「みんなちゃんと『今何時?』って言ってくれるかな・・・」と心配する時のドキドキの比ではない。 思い込みが激しいせいでいつも社交ダンスのパートナーに迷惑をかけているオレには、道を歩く黒人が全て山賊に見えた。もちろん本当はいくら犯罪が多いからって、普通の人の割合から見たら犯罪者なんて少ないに決まってる。せいぜい普通の人5人に対して連続殺人鬼が1人いるかいないかくらいだろう。 そんな不安の中でふと窓ガラス越しに流れる景色を振り向いた時、キレイな街並みのバックにそびえる、巨大なテーブルマウンテンの姿が見えた。 うっ。 ・・・旅だ。この、瞬間的に言葉もつまってしまうくらいのスケールのでかい景色。 インターネットで収集するグラビア画像よりもちょっとだけ感動的なこの景色。それは、ちょっとだけ勇気を出して旅に出た人間へのちょっとだけのご褒美だ。たとえ酒井若菜のグラビア画像を3枚集めても、テーブルマウンテンを目にした瞬間の感動にはかなわないだろう。岡本夏生の生写真なら結構いい勝負ができるだろうが。 これから、あと何回言葉がつまる景色が見れるのだろうか。 まだまだ旅は始まったばかり。というか始まった瞬間だ。命さえあれば、結構な回数が見れるはずだ。 そしてミニバスは、いよいよ街の中心部に到着した。 オレが決めた宿は、キャット&ムースというところだ。なんといっても、ガイドブックに載っている宿の中で一番名前がかわいい。これだけかわいい名前なら、犯罪者も決して強盗に入ろうとは思わないだろう。まあ名前がキャットだからといってネコがいるなんて短絡的なことはないと思うが、なかなかセンスのいい名である。 バスを降りて20歩ほど大通りを進み、かわいい宿キャット&ムースの前に立ったオレは、はたと困った。なんと狭い入り口全面に鉄格子のドアが立ち塞がっていて、新型ターミネーター以外は絶対に中に入れないようになっているのだ。 この厳重な作りは一体なんなんだ?入れない入り口はもはや入り口とは呼べないのでは?? しかしふと周りを見ると、それは南アフリカ共和国ではごく普通の標準仕様だということに気が付いた。立ち並ぶ家々、そしてレストランから文房具屋まですべて入り口は鉄格子で完全防御している。 いくらなんでもそんなに警戒しなくてもいいだろうに・・・。もしかしてそんなに犯罪が多いってことか? ↓ 在南アフリカ共和国日本大使館のコメント: 「殺人、強盗、強姦、強盗殺人など時間、場所を問わず発生しています」 強姦・・・。 「おーい!!!誰かいませんかーっ!!!!中に入れてください!!お願い!!開けてっ!!襲われるうっ!いやあ〜〜〜〜っ!」 臨場感たっぷりの迫真の猿芝居をしていると、オレのたくましい演技に興味をそそられたのか、いつの間にか鉄格子がするすると開いた。助かった。これでオレの貞操は守られた!そしてキャット&ムースの中へ突撃したオレは、早速受け付けへ殴りこんだ。すると、なんとそこには!!! ドドーン! 南アフリカネコだ!!! やはりキャット&ムースは猫の宿だったんだ!! こいつが名付け親なんだろうか。たしかに猫が受け付けをやっているくらいだからかわいい名前にもなるだろう。夜も目が利くために防犯の面でも信頼できる宿に違いない。だが問題は、宿泊交渉である。こいつには何語が通じるのだろう? 「あの、すいません。人間なんですけど、今晩泊まれますか?」 「・・・。」 「今日着いたんです。ここすごくかわいい名前だから気に入って。」 「・・・。」 腹立たしいことに、受け付けネコはオレの顔をにらんだままでニャーのひとことすら発しない。黄色人種のオレを泊める部屋など無いとでも言うのだろうか?それともやはりここはネコ専用の宿なのだろうか? だが、もはや太陽はテーブルマウンテンの天井部分に夕暮れを映している。ここから先の時間帯、黒人以外が荷物を持って通りを歩いたら即死亡である。たとえネコの宿であろうと、部屋が猫の額ほどの広さであろうと構わない。今夜はもうここから出るわけにはいかないのだ。 凶悪犯罪から逃れ、無事明日を迎えるためには、なんとかしてこいつに気に入られなければならない。しかし一体どうすればいいのだろう?お世辞でも言って雰囲気を和ませようか?しかしネコなで声を出すのは向こうの方がうまいはず。そもそもオレは人をおだてるのが苦手だ。 そうだ、ここは何か貢ぎ物を与えるというのはどうだ?いくら南アフリカのネコとはいえ、物欲は豊富だろう。だが、こいつが喜ぶものを何か持っているだろうか?モーニング娘のガチャポンは黒人の子供にあげる為にわざわざ用意したものだし、非常食のカロリーメイトを今あげてしまったらこの後サバンナで生き残れないかもしれない。 他に何かこいつが喜びそうなものを持っていないだろうか? 必死になってカバンをあさったオレの手に、何か木の枝のようなものが触れた。 またたびだ!!! これだ!!! なんという用意のよさだろう!!まるで旅に出る前からネコが受け付けの宿へ泊まることを想定していたかのような準備の行き届きっぷりである!! ふふふ・・・。ネコめ。ネコにまたたびという言葉をおまえも聞いたことがあるだろう。このまたたびの前では、すました受付譲を演じているおまえも化けの皮をはがされ、ただの物欲の鬼と化すのだ!! すかさずオレは、天然またたび100%の高級またたびの枝を一本取り出し、受け付けネコの前にチラつかせはじめた。奴の顔色はすぐに変わった。必死に我慢し理性を保とうとしているが、内心またたびに飛び掛りたくて仕方が無いのがわかる。 「ほ〜らほ〜ら。またたびだぞ〜」 「・・・。」 「こんな上物のまたたびおまえが一生働いても買えやしないぞ〜。」 「・・・。」 「いらないのか?いらないんなら別に他のネコにあげてもいいんだけどな。どうしようかな〜。」 食いついた!! あーっはっは!!冷静に振舞っていても所詮ネコはネコ。またたびにはかなわないようだな!さあ、宿泊手帳を出してもらおうか!!素直に宿泊を認めなかったらその醜態を日本のネコにばらすぞ!!さあ泊めやがれ!! 「ヘーイ。お客さんかい?」 「ん?」 受け付けネコとキャットファイトを繰り広げながら声のした後ろのドアを振り向くと、そこにはネコではなく白人のおにいさんが不思議そうにオレを見ていた。 「は、はい。今日ここに泊まりたいと思ってるんですけど・・・。」 「そーか。混んでるけどあと1人だったら大丈夫だよ。日本人か?」 「そうです。あの、もしかして受付の人ですか?」 「そうだよ。席を外してて悪かったな。なにしろネコの手も借りたいくらい忙しいもんで。」 「ホントにネコの手を借りるな!!!」 「じゃあパスポート見せて。」 「はい・・・。」 こうして、長い戦いの末なんとかオレは初日の宿を確保することができた。 ネコにまたたびをやると本当に喜ぶということをこのアフリカ大陸の端、南アフリカ共和国で学び、やはり旅というものは修行であり勉強であるんだなあということを改めて考えさせられた。 苦労して得た知識というのはおそらく決して忘れることがないと思う。まさに一人旅は勉強の繰り返しである。 オレは旅の開始日にして既に新しい知識を得た喜びとともに、この知識は一体今後なんの役に立つのだろうという激しい疑問に襲われながら、約35時間ぶりに寝床につくのだった。 今日の一冊は、永遠の仔〈1〉再会 (幻冬舎文庫) |