〜無座地獄(ウーツォティーユー)





 そんなこんな(どんな?)で、待合室で何もすることも無いままなんとか6時間くらいが過ぎた。ようやくあと少しで発車時間である。と思う。多分。
 いやあ、長かった……。だいたい、深夜の1:49分発というのが客をナメてんだよ。昼間ならまだしも、そんな真夜中に待合室でひたすら待たされることで、我々善良な一般市民がどれだけ苦しまされるかという、そういうところへの想像力がちょっと乏しいんじゃないかキミたち(キミたち=ダイヤを組む中国人)? もう本当に長かったんだってこの6時間。見知らぬ中国の駅で深夜に一人で6時間だぜ? 退屈な上に、めちゃめちゃ心細いしさ……。
 おっと!! それはそうと、何時ぐらいになった? ボケっとしていて乗り過ごしたらシャレにならんぞ。


 …………。


 おっ。


 
まだ8時半じゃねーかっっ!!! 前の章の終わりから23分しか過ぎてねえっっ(涙)!!!! ちょっと、どういうことよこれっ!!! オレの頭の中ではとっくに6時間経ってるんだぞっっ!!! だってすんげー長いこと座ってた気がするもん!!! 長い時が経ったような気がするんだもん!!!! これだけ苦心して退屈を乗り越えたのに、なんでまだ23分しか経ってないんだよっっっ(号泣)!!!



 だいたい常識的に考えて、
章が変わってるんだから今回は乗車するシーン、もしくはもっと進んで車内の描写から始まるのが筋だろう。紀行文ってそういうもんじゃねえかよ。この旅行記はだいたい1週間に1回の更新なのに、その1週間でたった30分の出来事しか書けていなかったら、同じペースで1年間の旅を全部書き終えるには350年かかるぞ。記憶も無くなるっつーんだよ。
 ただ、今回の部分を前の章から続けて読んでいる人のことを考えると、あっという間に6時間を過ぎさせてしまうのも
なんか悔しいんだよな……。オレが「辛かった辛かった」って涙ながらに書いても、読む方はなんの同情もせずにたった数秒でオレの6時間を消費するんだぜ? そこで目を閉じて本当に真剣に「初めての中国で深夜一人で電車を待つ6時間の辛さ」というものに思いを馳せてくれる人なんて誰もいないんだよ。下手したら菓子食いながら読んでるんだぜ人が苦しい思いしてる旅行記を?? ふざけるなよあんたっ!!! 駅の待合室のオレはひもじいけど何も食べずに待ってるんだぞ!! 少しはわかり合おうとしろよっ!!! なんだその不快感の一切ない適温に保たれた部屋はっ!!! 今すぐエアコンを消せっ!!!!

 こうなったら悔しいので
読むのに6時間かかる文章を、オレが記憶を持っている人生のいちばん最初のシーンから最近のマッサージの先生への恋の話まで、淡々と作文にしてべらぼうに長く書いてやろうか。と一瞬本気で思ったが、よく考えたら読むのに6時間かかる文章を書いたらオレは100時間ぐらいを更に無駄にすることになるため、結局もうどうしようもないのだ。もう泣き寝入りするしかない。100時間かけて半生を綴って、それも読み飛ばされようもんなら無駄の上に無駄を重ねることになる。オレの半生そのものまでが無駄だということになってしまう。人生は「半生×2」であるが、半生が0(無駄)であるならば「0×2=0」オレの人生すべて無駄ということになる(号泣)。

 あっ。
 
そんなこんなで本当に電車の時間だ(号泣)。
 いいんだよ。6時間最高に辛くて必死だったけど、
それはオレだけが胸の中にしまっておけばいいんだ。どうせ人間は他人の苦しみなんか感じることは出来ないんだから。
 待合室の半分以上が同じ火車(ホーチョー)に乗るらしく、中国人+オレの大移動が始まった。う〜んこんなにたくさんの乗客がみんな同じように6時間も待ってたのか……。中国では、昔からこんなことが当たり前だったんだな。これだけ大勢の人がしょっちゅう退屈をもてあましていたら、
そりゃあ乱のひとつやふたつ起こしたくなるわ。そうやって義和団の乱とか起こったんだろ?

 車両入り口には荷物を抱えた中華人民の皆様が殺到。きっと、みんな無座なのだろう。イスの席だったら全部指定席なんだから、殺到する必要は無いからな。
 人と争うことがなにより苦手で、誰かを傷つける位だったら自分が傷つく方がずっとマシという考えの優しすぎるオレは、うごめく塊と化した乗客の最後尾についてやっと車両に入ることができた。というかもちろん中国人の小競り合いが激し過ぎてとても割り込めなかったというのが本当の所である。インド人の中なら突撃して行けないことも無いが、
中国人だとなんか怖いのはなぜだろう。やっぱりイメージが……。歌舞伎町……マフィア……青龍刀……。

 さて、無座のチケットを持っている者は、最もランクの低い座席である「硬座」がもし空いていたら勝手に座ることが出来る。とはいえ、そんな貴重な空間は先頭で殺到した方々がとっくに殺し合いの末に確保しており、さすがの漢委奴国王(かんのなのわのこくおう)であるオレも特別扱いはされない。
 乗車率5万%
の血みどろの車内を見渡してみると、中央の通路に人が並び、車両間の出入り口スペースも人で埋まり、中国だけに両足を180度広げてそれぞれの足裏を壁に付けて踏ん張り、合掌しながら空中に留まっているクンフーの使い手などもいる。
いるわけねーだろっっ!!!
 ふと見ると、閉まっている乗降用のドアのところに、50cmほどの床の空間を発見した。よし、あそこを取るぞ。あそこまで行くには……、空間の手前に座っているバアさんを飛び越えて行く必要があるな。
 それではまずは荷物から……。オレは背負っていたバックパックを下ろしてぶらんぶらんと前後に振り、勢いをつけバアさんの頭ごしに放り投げてスペースに着地させようとした。
 せ〜〜〜のっ!



「ニープーライチュイナーリー!!!」 グワ〜ン


「おおおっっ!!!」




 ……使用法によっては
十分凶器になり得る20kgのバックパックをほとんどぶん投げるような状態で振り上げると、バアさんのしわがれた叫び声と同時に、何か重い手ごたえの物に当たってバックパックはそのまま跳ね返って来た。 …………。やばい。やっちゃった? もしかして、殺っちゃった?? どど、どうしよう……これはただならぬことに……今まで30年も生きてきてただの一度も人を殺したことが無い超優等生のオレだったのに……。
 に、逃げよう。まだ発車したばかりだからそんなにスピード出てないんじゃないか? 飛び降りてそのまま、ほとぼりが冷めるまで山の中に逃げよう……そしてしばらく山賊として人を襲いながらばあさんの霊を弔おう……
 
おおっっ!!!!
 ば、バアさんが、何事もなかったかのようにさっきと同じ体勢で座っている……。なんだ、生きてるじゃないか。別に彼女に直撃したわけじゃなかったのか。よかった、オレの「人を殺さない記録」を途切れさせることにならないで。じゃあ、もう1回やってみよう。バックパックを揺らして……勢いをつけて……せーーの!



「ニープーライチュイナーリー!!!」 グワ〜ン


「おおおっっ!!!」




 ま、また跳ね返って来た。
 これは……、
ブロックだ。元女子バレーボール中国代表のバアさんが、飛んで来るバックパックを鉄壁のブロックで跳ね返しているのだ!!! なんていう豪腕だ。こんなに重い荷物を、座っている体勢から両腕だけで防いでしまうとは……。
 …………。せ〜の!



「ニープーライチュイナーリー!!!」 グワ〜ン


「なんでやねんっ!! なんでダメなんだよっ!!! 空いてるじゃねーかよそっちはっ!!!」


「ニーチュイナーリーチュイナーリー!! チョーシーウォータチャンスオー!!」




 バアさんはオレに向かって
地獄の処刑人のような人類を超越した恐ろしい表情で叫ぶと、そのままオレのスペース(にしたかった所)まで目一杯使って、転がって寝てしまった。……そうですか。横になって寝られるように、そっちの場所も誰にも与えず確保しておきたかったんですね。だからあんなに鬼気迫る迫力で往年のスーパーブロックを連発していたんですね。……勝手な奴だなっ。おシリ触っちゃうぞこの野郎!!! ……もう、近頃欲求不満すぎて誰でもいいんだよ(涙)。
 仕方なくオレはガッタンガッタン揺れている連結部、トイレのすぐ斜め前にかろうじて一人分のスペースを見つけ、荷物は地べたに置いて自分はそこに立って耐えることにした。よし、がんばるぞ。ここで到着まで、
13時間……。
 …………。麗江から今朝バスに乗って12時間、そのまま駅で電車を待って6時間、そして、
これから立ったまま13時間か?? それはどうかと思うぞ。やりすぎだって。あまりにも残酷だろう。ここまで残酷なシーンを見せてしまったら、もしこの旅行記が映画化されるとしてもR−18指定がついてしまうではないかっ!!! ※主演・作者役=宮崎あおい
 とりあえず立ったままではとてももたないと判断したオレは、そのまま尻を浮かしたウンコ座りに移行したのだが、それでもとてももたない。揺れるし……。オレはこんなこともあろうかと持っていた必殺スーパーの紙袋を床に敷いて、その上に尻を下ろした。さっきのバアさんは直に床に寝そべっているが、はっきり言ってこんなもの
汚床(おゆか)である。しかもここはトイレの真ん前だ。トイレ付近の床というのはトイレの床を歩いた靴がそのまま来るわけで、つまりここに座るのはトイレの床に座るのと同じだ。そんなの断じて許されない。こんなところにマイジーンズのケツで直接座るようなそんな残酷な描写は、もはや映像化したらR指定どころかお蔵入りレベル、教育評論家などが「近ごろの青少年の凶悪犯罪の背景には『中国初恋』のような残酷な映画の影響があるのではないでしょうか」などとワイドショーでしたり顔でコメントしても何らおかしくない究極のタブーだ。 ※主役・作者役=宮崎あおい、脇役・アホの多神役=出川哲朗

 ……ということでそれからずっと紙袋の上に座っているのだが、連結部なものだから人が通る度に動いて道を空けなければならず、そして空調の風が直撃して寒い。車両部のエアコンから風が吹いてくるため、車両入り口のドアを閉めれば風は止まるのだが、通行人の面々はドアを開けても通った後に全く閉めようとしない。キミたち、開けたら、閉めろっ!! それがモラルだ!! オリンピックを開催する国の国民ならそれくらいわきまえるもんだっ!!
 空調の直撃が我慢ならなかったため、オレはわざわざ自分でドアを閉めに行くことにした。すると、立ち上がった瞬間その空調の風が座っていた紙袋をスマッシュヒット!! ぴらぴら〜んと宙に浮いた貴重な敷き袋は、そのままやはり
ドアの開いていたトイレの中まで飛んで行き、その汚床に見事に裏返って着地した。

 …………。

 
きたない〜〜〜っっ(泣)!! なんてこった〜〜〜〜〜っっ(涙)!!!! 汚床から尻を庇う唯一のバリアがが〜〜〜〜っっっ(号泣)!! もうダメだ……これで座れなくなった……。座れないよ〜到着まであと12時間32分もあるのに〜〜〜〜っっっ(まだ乗車して28分しか経っていないのであった)!!!




違う電車だが硬座はこんな感じ(これは比較的空いています)





 ……さて、
そんなこんなで乗車から5時間。
 オレは両膝を激しく痙攣させながら、薄れゆく意識の中で徐々に白み出したドアの小窓の風景に目をやっていた。うう……、
写真1枚挟んだだけで5時間もすっ飛ばせるなんて日記って腹立たしいよな。この5時間、尻を汚床から守るために膝の痙攣を迎えてもなお立ち尽くしたこの苦しみ、それが体験記を読むとたったの20秒だなんて。
 朝を迎えた段階でこの弱りようである。この揺れる連結部であと7時間は無理だ。時折ニュースで見かける、
水の中で70時間ぐらい過ごしてギネス記録を更新するマジシャンでも、この中国の火車で連結部に立たされたら5時間でギブアップするはずだ。だいたい、あれをやっているマジシャンは、はっきり言ってマジシャンではなくてただの我慢強い人である。

 自分自身の限界もそうだが、座席の乗客の方々が目覚めるに従って、もうひとつ
あまりに恐ろしいことが起こり始めた。比較的マナー意識のあった雲南省では見られなかった光景がここで……遂に作者に対して中国がその凶暴な牙をむいた!!!
 オレは自分自信は連結部にいるのだが、バックパックをはじめとした荷物はギリギリ車両内、座席に立てかけるように置かせてもらっている。ところが、
中国人の方々は、電車の中にもかかわらず所かまわず床に、通路に向かってカーペッペッ!と唾やタンを吐きまくるのである!!!
 おおお……
なんと恐ろしい……(涙)。さすがに人の荷物に向かってわざわざ吐く奴はいないのだが、近隣に座っているおじさんおばさんの面々は、平気でオレのバックパックの上を通過するように唾を飛ばすのだ。積み重なったオレの荷の上空で、四方八方から中国人の唾液が飛来し乱れ飛んでいる。完全な領空侵犯である。
 いくら彼らがツバを吐くのに慣れてるからといって、絶対に途中で墜落しないとは限らないではないか。必ずしも無事に上空を通過して行くという保証なんてどこにもない。
だから日本政府だってテポドン2号に対してミサイル防衛システムによる破壊措置命令を出しているんじゃないか。……でもオレは日本政府と違い防衛予算を組んでいないので、迎撃する手段など何も持っていないんだよ。ナムアミダブツナムアミダブツ……(号泣)。

 このように飛び交う唾に恐れおののいていると、今度はいきなりモップを手にした乗務員がやって来て床を拭き始めた。ひまわりの種や落花生の殻、その他あらゆるゴミそして当然乗客から吐かれたいろんな体液、さらにトイレ付近の汚床もまとめてひとつのモップで拭いており、残念ながらオレから見ればそれは
掃除ではなくただ汚物を満遍なく広げているようにしか見えない。おっ。
 や、やばい……。モップが、オレのバックパックに迫っている。き、汚い。
やめてくれっ! モップの毛を1本でもオレの荷物に触れさせないでくれっ(号泣)!!! その辺は掃除しないでいいからっっ!!! やめてっ!! 近寄らないでっっ(涙)!!!!
 ……幸い、どうやら乗務員もそんなに丁寧に拭き切るつもりは無いらしく、荷物の周辺の床は少しスペースを残してアバウトに擦っており、バックパックと汚モップとの間には常に一定のスペースがあった。良かった……。荷物が汚物と一体化しないで良かった……(涙)。
 と、思ったのもつかの間。乗務員は、
おもむろにオレのバックパックを持ち上げ、その下の床を一生懸命汚モップでナメナメ〜っと汚すと、そこに、完全なるブレンド超汚床と化したその地面に、そのまま再びバックパックを置いた。


 
ブクブクブクブクブクブクブクブク……(泡吹いて気絶) オレの、オレのバックパックが……ああ……



「おーい、そこのにいちゃん! 泡吹いてるにいちゃん!」


「はっ。誰か……誰かが僕を呼んでいる。僕を気にかけてくれる人がいるのだろうか。この欲望渦巻く中国の火車で……」


「一人降りたぞ! この席空いたから、座れよ!」


「ぐおおおおおおおおお(号泣)。こんな僕のために、こんな口下手で頼りない僕のためにすみません〜〜〜〜(号泣)」



 空席が出来た座席のおじさんが、わざわざオレを呼んでくれた……。今にも泡を吹きながらヘロヘロと汚床に崩れ落ち、そのまま汚モップでゴミと一緒に掃かれて最後には電車のドアからドバーッと捨てられそうになっていたオレを、一人の中国人のおじさんが救ってくれた……。
ありがとうございます(涙)。あなたは、日中友好の懸け橋です(号泣)。そして僕はその橋を渡る天使(エンジェル)……。
 深く頭を下げ頭頂部を床の汚物にすりつけながら礼を言い椅子に座ると、硬座とはいえ今まで連結部で立ち尽くし膝をわななかせていた身にとってはなんのその。さすがにオレは眠りに着いた。そして目が覚めた時には、もはや夢の成都は
オレの眼前20kmに迫っているのであった。








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