〜カーマスートラ(18歳以上推奨)〜





 それでは気を取り直して……。

 さて。デリーで毎日コンノートプレイス(デリー中心街)を歩くたびに、オレはある本屋のショーウィンドーの前で立ち止まり、物欲しげに中を覗いていた。
 そこには、インド名物ニセ宝石屋のガラス玉のようにさん然と輝く、1冊、いや何冊かの麗しい本があったのだ。

 ほ、欲しい。あの本欲しい……。

 毎日ここに来るとガラスに額をつけて陳列されている本を眺めるのだが、サンタさんに頼むにも今はまだ4月。いや、たとえ12月まで待ってサンタクロースのおじいさん宛に手紙を出しても、「やあ作者くん。サンタのおじいさんだよ! お手紙ありがとう。キミの要望してくれた汚らわしい本だけど、ぜひ今度のプレゼントとして、
認められるわけねーだろうがっ!! こちとら子供に夢を与える存在なんだよっっ!!! 変態に付き合ってる暇はねーんだ!! 二度と手紙送ってくんじゃねーぞこのクソガキっ!! あわよくば死ねっっ!!!」と老人らしくない怒りのお返事が返ってくるだろう。
 あまり興奮させるとサンタのおじいさんの血圧も上がり健康に悪影響を与えるだろうし、ここはお年寄りに頼らず自力でなんとかしなければならない。そうだよ。もう上に頼っている時じゃないんだ。
オレたちの世代ががんばらなきゃいけないんだ!!

 ということで長い禁欲生活を送っている修行僧のオレが一瞬前を通るなり度肝を抜かれた本、それがこの道路に面したショーケースに陳列されている、数々の
「カーマスートラ」の本である。




 東京都の
青少年健全育成条例に引っかからないよう、念のため写真集にはボカシ処理をしています。

 これらの本は、「カーマスートラ」もしくは「フォトグラフィック オブ カーマスートラ」というタイトルがつけられており、インド古来の性の技術が書かれている、
という肩書きではあるが要はエロ本である。どうやらインドの書店では、お国柄ただのエロ本を売ることはできないが、このように「カーマスートラ」とタイトルをつけて伝統を受け継ぐ学術的な感じにすれば販売が許されるらしい。学術的なただのエロ本なのに。
 日本でも女優がヌード写真集を出す時に、目だけの写真とか草花の写真とか
全く意味不明で必要の無いカットを織り込んで無理やり芸術に持っていこうとする動きが多いが、それと同じだ。あと日本のことでついでに言うと、ヌード(もしくは水着グラビア)に混じっていきなり着物の写真とか出てくることもあるけど、そういうのもやめてほしい。どうせ画像として集める時には全部捨てるんだから。あと、アイドルが水着で動物と戯れている写真もやめてほしい。動物がいると、こっちがほのぼのしてしまってエロに集中できないから。それに、なんか罪悪感を感じるだろ。大人が見るグラビアなんだから、無邪気な笑顔とかいらないんだよ。インリンオブジョイトイや森下千里の潔さを見習えって言うんだよ。
 …………。
 おお、修行僧の身のこの私、まだ修行が足りないために何か
悪鬼のようなものにとりつかれていたようです。今言葉を発したのは、決して私の心ではありません。なんまんだぶつなんまんだぶつ……

 とにかく、しかしまた、エニウェイ、実際にカーマスートラというのは1000年以上も前に作られた性典のひとつで、学問、研究の対象としても非常に興味深いもの。そういう意味で、オレはこれが欲しくてたまらないのだ。だって、
勉強の虫だもの。諸外国の、歴史や文化に強い関心があるもの。
 オレが一番興奮探究心をそそられたのが↑写真の左に写っているやつで、とにかく芸術的視点で見て女優さんの表情がいいのだ。芸術的視点で。だが、なんとお値段が
1000ルピー(涙)。オレが今泊まっている宿が、一泊120ルピー。食事がだいたい一食50ルピー。そりゃあ何日もショーウィンドーの前で立ち尽くすわ……。
 メインで陳列されている写真集の他に、ケースの下の方にはコンパクトサイズの
ミニミニカーマスートラ写真集もある。こちらは295ルピーとやや現実的な値段であるが、しかし安い方を買えばいいというのは誤った考え。残念ながら、オレという人間はミニミニで満足するような器ではないのだ。

 最初は、「こんな高い物とても買えやしないぜ! だいいち、インドに来てまでエロ本なんて買ってる場合か!! といっても日本でもそんなふしだらなものを買ったことは一度も無いけど!!」と立ち尽くしながらも自分を励ましていた。しかし2日目は、なんとか表紙の画像だけでも手に入れたくて
デジカメでショーケースの写真を撮った。ケース前でベストポジションを探し右往左往しながらカメラを構えていると、通りすがりの白人女性に敵意のこもったわざとらしい咳払いをされた。
 3日目は、昨日写真を撮って満足したはずなのに、気づいた時にはなぜかまたショーケースの前に立っていた。4日目に、もう我慢できない、買うしかない。買うしかないけど、これが本当にオレの気持ちなのか宿で一晩考えようと思った。そして5日目の今日、
銀行で両替をしてたくさんお金を持って来た。

 よーし……。今日こそ……今日こそ買うぞ……。
 だが、ここでまたひとつ問題がある。もしこれが普通のエロ本なら、自分で手に取ってレジに持って行けばいいだけのことだ。恥ずかしいのはただ一瞬。しかしこのカーマスートラ写真集は、
ガラスケースの中に陳列されている目玉商品なのである。これを手にするためには、店員さんを呼んでわざわざエロ本を買うためにケースを開けてもらわないといけないのだ。もろに歩道に面しているこのショーケースを。それから商品を選んで取り出してまた鍵を閉めてもらい、その上でレジに持って行き会計をするという段階を踏んだ持久力のある恥に耐える必要があるのだ。ぬう、手強い……。これほどまでに手強いエロ本がかつてあっただろうか?

 これは自分との、そして書店員との戦いである。

 ……大丈夫、あせることはない。昨日、
ベッドの中で作戦を考えたじゃないか。日本人ルームメイトとの会話にも加わらないで、一人で布団をかぶって綿密な計画を立てたじゃないか。ちゃんとシミュレーションもしたじゃないか! 恐れることはない。自分を信じるんだ!!
 オレは、棚の整頓をしている女性店員は普通に
通り過ぎ、レジの中にいるオヤッサンに声をかけた。そして昨晩から考えていた、以下のようなスペシャル問答を展開した(本当に行った問答です)。



「あのーすみません書店員さん。ちょっと探している本があるのですが」


「なんだい?」


「僕はインドを一人で周っている旅人です。そんな僕が、いろいろとインドの遺跡を見ていく上で、ヒンズー教にとても興味を持ったのです。それで何かヒンズー教のことを勉強できるような本があればと思ったのですが」


「おーそうか。じゃあ探してやろうじゃないか。そうだなあ、これなんかどうだ? シヴァ神の生い立ちや伝説をまとめた本」


「ありがとうございます。でもこれって、シヴァのことしか書いてないですよねえ」


「シヴァ嫌い? もしかしておまえヴィシュヌ派? それともクリシュナ好き? いろいろあるよ」


「いえ、個別にというわけではなく、せっかくだから、ヒンズー教の神様がまとめて登場する、早分かりガイドみたいなものはないですか?


「うーん、早分かりガイドみたいなのは無いなあ。ヒンディー語でいいんなら探せばあるかもしれないけど」


「あらー。英語版は無いのですね……。じゃあ仕方が無いです。ヒンズー教はあきらめます」


「すまんな」


「……
あっ、ちょっと待ってください!


「ファットハップン?」


「インドといえばヒンズー教ですけど、
もうひとつインドで有名なものがあるじゃあないですか!! それは何かと尋ねれば、そうですカーマスートラです!! つい今しがた思い出したのですけど、カーマスートラってインドではすごく有名ですよね??


「んーまあそうだな」


「じゃあせっかく本屋さんに来ていることだし、カーマスートラの本でも買って行こうかな。 ……あっ。
もしかして、表のショーケースにあったやつ!! このお店に入ってくる時にガラスの中に飾ってあったやつ、あれカーマスートラの本ではなかったですか??」


「イエス。あれがカーマスートラだよ」


「リアリー!? じゃ、じゃあ、あのケースを、ちょちょ、ちょっと開けてもらっていいでしょうか??」


「いいよ」



 書店員のオヤッサンは、レジの引き出しの中から鍵を取り出すと入り口まで出向き、
インド大好きっ子の純真な旅人(オレ)のためにショーケースを開けてくれた。

 …………。

 
おおおおおお(涙)。
 
5日間、長く夢に見ていた憧れの世界への扉が今、音を立てて開いている……(涙)。本たちが、ヌードモデルたちが「ようこそ作者!」とオレを歓迎してくれている……(号泣)。

 オレは彼ら、彼女らにつられてヌードになりたいのを人目をはばかりなんとかこらえながら、ずーっと目をつけていた左端のエロ本じゃなくて
カーマスートラのありがたい性典写真集を、すぐに手に取ろうとしたがしかしそれもこらえた。
 ここは、
あえて時間をかけねばならないのだ。ここでスムーズに動いてしまったら、事前にショーケースの中をじっくり見て買う商品まで選んでいたということがばれてしまうではないか。あくまでも、オレはヒンズー教の神々について学びたかったけど適切な本が無かったのでカーマスートラのことをふと思いついた人なのだ。3分前までは、ショーケースになど露ほども興味が無かった人なのだ。



「え〜〜、どれにしようかなあ。写真もいいけど、こっちの、
絵本になってる方にしようかなー


「……」


「いや、でもなー。絵のやつだとたしかに伝統的って感じはするけど、
やっぱりわかり易さという点ではどうしても写真に軍配をあげざるを得ないよなあ。迷うなー」


「……」


「どっちがいいかなあ。ついさっきまであんまりカーマスートラには興味無かったから、なかなかどちらにするか決めかねるなあ」


「もういいか? 買わないんなら閉めるぞ」


いやいや待ってくださいっ(涙)!!!! 買います。ええい、もうこの際2冊買っちゃえ! カーマスートラについてたくさん勉強をしたいもの」



 オレは書店員オヤッサンが閉めようとするところをケースの中に体を入れ込んでブロックし、当然ずっと欲しかった、積年の野望であったエロエロ写真集を、抱き寄せるように手に取った。
……ああっ(涙)、触っている。憧れだったこの写真集をオレが今自分の手で触っている。うれしい〜〜〜夢みたいだ〜〜〜(号泣)。
 そして、1000ルピーの写真集を手にしたら
もうあと何百ルピーか増えてもあまり変わらないような気がして、295ルピーのミニミニカーマスートラ写真集も一緒に買うことにした。ああ、人間の欲望というのはなんて留まるところを知らないものなんだろう……。
 2冊の参考書を手にしたオレは、レジに進み素直に1300ルピーを支払った。普段の買い物では
「もっとまけろよっ!! オレは30ルピーでないと買わないからなっ!! じゃあ他の店に行くよ!! あばよっっ!!!」と強気に出て相手の出方を探るオレだが、恥ずかしい上に本当に欲しかったので何も言わずに定価で購入した。
 うーん……。アクセサリーや食べ物のレベルでは5ルピー10ルピーを惜しむのに、
男はエロにはどうしてこんなに湯水のように大金を使えるのだろうか。逆に言えば、エロを発信する側はその大金をどんどん懐に入れているということだ。オレも、これからはエロを発信してみようかな……。

 紙袋に2冊の性典を入れてもらうと、オレは顔をかくしてそそくさと店を出て、コンノートプレイスを歩く通行人の一人となった。後ほどまたこっそり書店の前に戻り、ショーケースの写真を隠し撮りした。

 先ほどの写真と比べて、目出度く棚から一冊消えていることがおわかりいただけるだろう。


 やり遂げたぞ……。ああ、こんなに大きな達成感を得られるなんて、
旅ってなんて素敵なものなんだろう。
 昨日まで、オレとスートラはたった1枚のガラスに隔たれていただけだったのにその距離は遠く、
渋谷スペイン坂スタジオなみに向こう側とこちら側では全く別世界だったのだ。しかし今2つの世界はこうして交わり、オレと性典は手を取り合うことができたのだ。

 そして時が経ち興奮が収まった頃、オレは思った。

 
なにやってんだオレは……(涙)。

 こんなことのためにオレは何日も思い悩んでいたのか……。
こんな1冊のエロ本に(2冊買ったけど)、オレは5日間もたぶらかされていたのかっ!! アホかオレはっっ!!! アホっ!! ボケっ!! ……くそっ、こんな本!!! こんな不謹慎な本なんかなあ、こんな本なんかなあ……、大事に読んでやるっっ!!!! ←王道

 しかし時が経てば経つほど
得体の知れない罪悪感に襲われたオレは、この日の夕方近くから心を改めて真摯な気持ちになり、しょく罪のために平和と独立の父マハトマ・ガンジー由来の地の観光へ出かけることにした。
 「ガンジーが亡くなる間際に住んでいた家」と博物館が併設されているのだが、オレはガンジーの部屋から外に出て、庭の真ん中、彼が暗殺され最期を迎えた場所までを神聖な気持ちになって歩いた。そしたら途中で工事中のために置かれていたレンガの角に、
サンダルからむき出しになっていた左足の薬指を思いっきりぶつけた。そして指の皮がザックリとめくれて血がほとばしり、あまりの痛みでうずくまりしばらく動けなくなった。
 くそ……(涙)、ガンジーは……
ガンジーの最期の痛みはこんなもんじゃないぞ……なんだこのくらいっ!! い、痛い〜〜〜〜〜〜(号泣)。あああああああ(号泣)(号泣)。

 オレは痛みに泣きながら、
なんとなく今日1日の行いをガンジーに叱られているような気分になった。




↓めでたく部屋にやって来た大小2冊の、
インド文化を学ぶ上でとても大事な、伝統的な性典です。

 中身は、まあ日本的に言えばソフトなエロ写真集といったところで、全然たいしたことはありません。








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