THE FIGHT ROUND35

〜怒り頂点に達す〜






←シティパレスにて

たった5ルピーでダンスを見せてくれる謙虚な踊り子親子(作者がそれしか払わなかっただけだという噂もある)。






 ジャイプルでは本当は不可能なはずにもかかわらずなぜかラクダに乗ることができ、その上自ら新曲の作詞も手がけることができて、オレはこの上ない満足感でミーハーなジャイプル観光をしていた。
 一応ジャイプルには観光名所として、宮殿(シティパレス)や天文台(ジャンタル・マンタル)といった場所があり、それぞれに興味を惹かれるところはあるのだが、オレにとっては監禁されたりラクダに踏まれたりする絨毯工場や、女優気取りのナマイキな娘がいる宝石工場の方がよっぽど好奇心をそそられるものがある。


「ヘーイ! おまえキャメルライディングの日本人だろ!」


「ヘーイ! ラクダはどうだった?楽しかったか!」



「は? あ、ああ、まあそこそこね……」


 何人か通りすがりのリクシャの運転手が声をかけてくる。しかしこうして初対面の人間に何も躊躇せずにフレンドリーに声をかけられるという所は、日本人にはないインド人のいいところだと思う。
 いいところというか、 なんでおまえらそんなこと知ってんだよ!
 いつの間にか全然見たことも会ったことも無いリクシャワーラーにさっきのラクダ騒動が知られている。どうやら運ちゃんネットワークによってオレのことが広く知らしめられたようだ。もしかしたらオレもジャイプルでの知名度ではタマちゃんとどっこいどっこいかもしれない。

 久しぶりに観光客の多い場所に行き、ツアー客に紛れ込んでガイドの説明を聞いたりしながら平和な旅行気分を味わう。そしてシティパレスを出て風の宮殿あたりをさまよっていたオレに、一人のサイクルリクシャーのおっさんが横山弁護士を取材する芸能レポーターのごとくしつこくつきまとって来た。


「ハロー! ハロー! おい、おまえ今からどこ行くんだ? 乗ってけよ!」


「乗ってかないよ」


「乗ってけよ!」


「乗ってかないよ」


「乗ってけよ!」


「乗ってかないよ」


「へーいジャパニーズフレンド! 安くしとくぜ! 10ルピーだ!」


「なんでもフレンドにするなっ! ……今からアンベール城に行くんだ。とてもサイクルリクシャーで行ける距離じゃないだろ」


「おお! アンベールフォートか! あそこはいいところだ。よし。行ってやろう。10ルピーだ!」


「無理だろ!! あんな遠くまでサイクルリクシャーで行ったらどんだけ時間かかるんだよっ! とても生放送中にゴールなんて出来ないぞ!!」


「なんの話だよ……。大丈夫大丈夫。そんなのは慣れっこだ。10ルピーで行ってやるって言ってるんだから文句ないだろう? オレの足を信用しろよ!」


「本当に行けんの?」


「ああ。まかせなさいっ!」


「よし。そこまで言うなら乗ってやろうじゃないか。10ルピーね。約束だぞ?」


「ノープロブレム!」


 地球の歩き方によると、ここからアンベール城まで数十キロあるはずである。しかもアンベール城は正式名がアンベールフォート=砦で、山の頂上にあるのだ。こんなボロいリクシャーでおっさんが人を乗せてあの山を登るのは浜松興誠高校脇の坂を自転車で登りきるよりも難しいはずだ。しらねー。
 だが、確かにおっさんもある種の職人である。リクシャをこいで何十年、もしかしたらオレの想像などはるかに超えた脚力の持ち主で、長い坂道や障害物など筋肉番付のケインコスギのように全くものともせずに登って行ってしまうのかもしれない。
 おっさんの実力を試すためにも、オレはとりあえず彼を信じてみることにした。ジャイプルに来てからリクシャワーラーには実にさんざんな目にあったが、今度こそ、この人こそは正直じいさんなみに正直なインド人かもしれない。
 頼む、オレのあの頃の純真な心を、人を信じる心を取り戻させてくれ。どうか、どうか今度こそはオレを裏切らないでくれ!!
 おっさんのペダルを漕ぐ後ろに乗って、ピンクシティ(ジャイプルは街並がピンク)と呼ばれるジャイプル市街を揺られる。


「ヘーイ! どうだ。せっかくジャイプルに来たんだから、ファクトリーに連れてってやろう。絨毯工場とか宝石工場とか……」


「ファクトリー言うんじゃねーっっ!!!」








 5秒で裏切られました(涙)。


 インド人は信用するなということを学習しているはずなのに、ついつい今度こそはと信じてしまうオレ。我ながら愚かな、だがしかし闘病中の少年と約束をするスポーツ選手のような美しい心。
 でももうダメだ。もう金輪際奴らは信用しない。もしも今オレが中国で軍勢を率いることになっても、絶対にインド人よりも呂布を信用するだろう。


「おい、おっさん。アンベール城行くっつったのはあんたなんだからな。自分で言ったことに責任持てよ」


「オー! フレンド! ユーアーマハラジャ!!」


「おだてても駄目だってーの!! アンベール城だ。ファクトリーに行くんなら今すぐ降りるぞ!!」


「ま、待て待て!! わかったよ! ちゃんと行くから!」


「やろー。本当だろうな……」


 怒りはジワジワと蓄積されていた。
 ジャイプルに来て最初の頃こそ「ちょっとムカつくけどいいネタができてラッキー!」などと、フランダースの犬の話をする西村知美のごとく無邪気に喜んでいたのだが、このジャイプルのリクシャのいい加減な仕事っぷりを3回も4回も連続して見せられると、さすがに頭の神経がミシミシいっているのを感じる。
 オレが降りるそぶりをしたのが効いたのか、おっさんは潔く黙ってリクシャを走らせていた。
 アンベール城までかなりの長旅になるはずである。10ルピーとは言っていたが、さすがにもう少し上乗せしてやらねばなるまい。
 ジャイプル市街をゆっくりと走るリクシャから辺りを見渡すと、やはり動物の姿が目に付く。ここには本当にたくさんの種類の生き物が共存している。
 ……おかしい。
 どうもこの辺の景色は今までにどこかで一度見たことがあるような気がする。
 なぜだろう?
 ここラジャスターンは、オレの、いや人間の心の故郷だとでも言うのか?
 たしかにもともと人間は動物と一緒に暮らしていた。その頃の記憶が無意識のうちにオレの脳に働きかけているのだろうか。もしかしてこれがデジャビュ(既視感)という現象……動物と暮らした太古の記憶……?
 そう、今まさにこの瞬間オレの周りにいるものだけ見ても、心の奥に見覚えのある様々な生き物がいる。我が物顔で道路を行進するインド象、タクシー代わりに使われている馬車、荷物を運んでいるラクダ、中央分離帯にのさばる牛、にこやかにオレの手を取ってくる宝石娘。

 ……?   


 なぜか昨日のジュエリーシスターズと宝石屋のおっさんが、リクシャを取り囲んでオレに声をかけている。


宝石娘「あ、おにいちゃーん! また来てくれたんだね?」


宝石おやじ「ヘーイ。おまえなんだかんだ言ってやっぱり宝石欲しかったのか?」



 ああ、そうか。どうりでどこかで見たことある景色だと思ったよ。
 だって、ここ昨日来た宝石工場だもん。



運ちゃん「ヘーイ、どうだ! ジュエリーファクトリーに連れてきてやったぞ。結構勉強になるし楽しいぞ、ってヘイヘイ! どこ行くんだ!!!」


 オレはとりあえずアンベール城に行きたかった為、歩いてジャイプル市街へ戻り出した。シティパレスの辺りからバスに乗れるはずだ。


「おいおい! おまえどこ行くんだよ!!」


 後ろから追いかけて来た運ちゃんがオレを呼び止める。一応、素直な疑問をぶつけてみた。


「なあ、あんたなんで宝石工場に来たんだ? なんでアンベール城に行ってくれないんだ?」


「は? おまえ何言ってるんだ。あんな遠いところサイクルリクシャで行けるわけないだろう」




























 プチーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン









「……ん・だ・とコラぁぁぁ!!!
このクソボケインド人が!!!
いい加減な仕事しやがって!!テメーそんな年になっても自分の言葉にすら責任持てないのかよ!!そうやって人ダマして金稼いで楽しいのか!?あ?楽しい旅行しようと思ってインドに来てる観光客に嫌な思いさせて楽しいのかよ!!あぁぁ??そうやって自分の国が世界中から最低な国だって思われて恥ずかしくないのかよ!?インド人として親として、人間としての誇りはないのかこのクソ野郎!!!
!!!!!!!!!!!!」






 生まれてこの方、オレがここまで激しく怒り狂ったのは明らかにこの時が初めてであった。
 旅の疲れ、病後の体調の悪さ、今日までのインド人に受けた詐欺行為へのストレスがついに身体の許容量を超えたようだ。この数週間で溜まった怒りの全てを、目の前にいるインド人のリクシャワーラーに叩きつける。
 人間ここまで感情が表面に出てくると、言葉は自然に母国語になるようだ。もはやこの時のオレはほとんど日本語で怒鳴っていた。


「ちょちょちょちょ……なんでそんな怒るんだ? しょうがないじゃないか、ここからアンベール城まで30キロもあるんだから、無理に決まってるだろう」



「無理だあ? おまえが行くっつったんじゃねーのか!!」



「あそこはバスで行くところなんだよ! わかったよ、じゃあオレがバス停まで案内してやるよ! ほら、そこだ。バスが停まってるだろう。あれに乗って行くんだよ」


 随分都合のいいことに、そこからすぐそばにアンベール城行きのバス乗り場があった。本当はリクシャーを蹴り倒して叩き壊して引き裂いて、宝石娘ともども粉々にしてやりたい程全身の血が煮えたぎっていたオレだったが、なんとか心を落ち着けてバスに乗り込んだ。
 だが、まだ奴との戦いは終わりではなかった。愚かなことにリクシャのおっさんは、バスの中までオレを追いかけて来たのだ。


「おい、リクシャーの運賃はどうした! 10ルピーだぞ!」


「は? おまえバカか!? 脳味噌あるのか?? 誰がテメーなんかに払うかよこのボケが!!」


「ここまで連れてきてやったじゃねーか! 最初に10ルピーって言っただろう!」



「それはアンベール城までの値段だろうが! こんなとこに連れてってくれなんて一言もいってねーだろうが!!」


「でも宝石工場にも行ってやったしバス停も教えてやったろう! 払えよ!!」


「寝言いってんじゃねーこのタコ!!」





車掌「おーい、そろそろ発車するぞー」


 バスの中で怒鳴りあいを続けるオレとリクシャ運ちゃん。ふと周りを見ると、他の乗客のインド人が全員オレ達に注目し、興味深そうに見ている。そりゃそうだ。



「5ルピーだ! 5ルピーにしてやる! だから払えよ!」


「黙れハゲ! さっさと降りろ!! 払わねーっつってんだろ!!」


「じゃあ2ルピーだ! 2ルピーだけでいいから払え!」


「おまえに払うくらいならドブに捨てた方がまだましなんだよ! 邪魔だ!! 失せろこのインチキ野郎が!!!」




車掌「おい! もう時間だ! 降りろ!」


「……クソッ!」



 ついに車掌の強権発動によってリクシャおやじはバスから降ろされていった。
 静けさが戻る車内。すかさずバスはジャイプルのガタガタ道を郊外に向かって走り出した。

 険しい山道を登りたどり着いたアンベールフォートは、ジャイプルで1、2を争う観光スポット。
 戦い終わってひと息つき、砦でノラ犬と戯れ、象に乗る。一日でラクダと象に両方乗れるなんて、考え様によっては今日はなかなかラッキーな日だったのではないだろうか。

 明日は、ついにインド最後の訪問地、アーグラである。










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