THE EXTRA FIGHT

〜クアラルンプールへ〜



 散々インドインド言っといてなんだが、出発日の朝、オレは成田からクアラルンプール国際空港へ向かっていた。マレーシア航空を利用したため、インド直通便がないのだ。
 ルートは、成田→クアラルンプール→デリー→クアラルンプール→成田。せっかくだからストップオーバーし、マレーシアに3泊することになった。
 およそ6時間程でKL国際空港に到着。いやー、しかし外国に自分ひとりで到着した瞬間のこの気持ち。なんというか、これから起こることへの期待とか、異国の空気の新鮮さとか、アジアの人々との触れ合いとか、そんなことはどうでもよくただただひたすら心細い。だって一人だぞ? お母さんが一緒じゃないんだぞ?? オレなんかが一人で海外で行動できるわけないじゃないか!! 死んじゃう!!! オレ一人じゃ死んじゃうよ!!! 

 ……。

 ああ、ダメだ。こんな弱気じゃダメだ! 今時、一人で海外旅行なんて友達のいない人たちの間では普通のことじゃないか! このくらい女の子だって普通にやってることなんだ。裕木奈江だってたった一人で国費を使ってギリシャに留学してたじゃないか! オレは裕木奈江より弱虫なのか? そんな男なのかオレは!?

 そうです。そんな人間ですオレ。

 でも、一応旅行記書くんだし、本当は弱虫でもぜんぜん構わないからさ、旅行記の中では弱さを見せないでいこうよ。頼れる男っぽく書いておけば、告白とかされるかもしれないし。

 そういうことにして、とりあえず空港ロビーを歩いていると、海外では定番のタクシーの客引きがやって来た。

「にーちゃん。タクシーのらないか?」
「バスで行くからいいよ。」
「バスじゃめっちゃ時間かかるぜ?」
「いいんだよ。オレには時間はたくさんあるから。」

 フッ。なんの面白みもない会話だが、こうして客引きに声をかけられるとまさしく旅にでた気分になってくる。そう、オレには時間はたくさんあるんだ! なにしろ、無職で次の仕事も全く見当がついていない!! だから時間はあるけど時間以外のものはほとんど無いんだ(涙)。
 貧乏人の旅の相棒、市バス乗り場を目指して空港を出る。

 むむむ……。

 オエッ。
 暑さで思わず吐きそうになる。全速力で服を脱ぐ。2月の日本から来た寒がりのオレの服装は、旅のルートを変更し、ネパールでチョモランマ登頂ツアーにこのまま参加できるほど防寒対策バッチリなのである。
 2月にTシャツになれることに感動しながらバスに乗る。成田からの飛行機にあれだけたくさんいた日本人はここではたった2人になった。バスに乗っていたもう1人の日本人は、大学の卒業旅行初日の岳くん。彼は1人旅は初めてらしい。
 1人旅同士、打ち解けるのは早い。


「岳くん、マレーシアの次どこ行くの?」


「最初オーストラリア行って、それからニュージーランド周るんですよ。
作者さんはどこ行くんですか?」


「え?おれ?オレは、この後……インド。」


 なんか負けたような気がするのはなぜだろう。
 せっかくだから岳くんと一緒に今夜の宿を探すことにする。彼は宿探しなどやったことがないようなので、とりあえずオレが先導し、目的の宿に最も近いと思われる駅まで電車で行く。
 もう7時を過ぎ暗くなり始めているが、予想ではそこからちょっと歩けば宿に到着するはずだった。ところが、クアラルンプールは道の造りが物凄く入り組んでいて、なかなか思う方向に進めない。二人とも汗だくになって歩き続ける。
 旅先で、夜になっても泊まるとこが決まっていない程不安なことはない。重い荷物を背負っても早足でガンガン歩いているのだが、あまりに道の造りが複雑すぎて、地図上で現在地がどこかすらもわからない。
 年上の責任感で、なんとかこの暗い空気を変え明るい雰囲気にしようと夢がモリモリの話題などをふってみたのだが、 全く話が通じなかった。「キックベースとか夢モリチームとかあってさー」と一生懸命説明してみたが、二人の上には暗さに加えて修正不可能な寒さまで覆い被さってきた。その時オレの額を流れていた汗が冷や汗だったことに彼は気付いていただろうか。
 結局電車を降りて2時間程歩き、二人とも完全に無言になってきた頃、やっと目指していたトラベラーズロッジが見つかった。ドミトリー(大部屋)は埋まっていたため、岳くんとツインルームをシェアすることに。空港に着いてからざっと5時間。ようやく落ち着ける。
 寝転がって地図を見直す。冷静に見てみるとなんとか全体図が把握でき、クアラルンプールの街の造りが段々わかってきた。
 そして、降りる駅を間違えていたこともわかったのだが、それはオレの心の中だけにしまっておいた。岳くん、一人旅って、歩くってことなんだよ。勉強になったでしょ。でも、ごめんね心の中で

 一息ついた後、岳くんと二人で屋台に夕メシを食いに行く。
 串にささった新鮮のしの字もないような生の魚貝類や肉。これをしゃぶしゃぶのように沸騰しているお湯につけて食べる。
 果たしてこれを食べて大丈夫だろうかと一瞬躊躇したが、この後インドが待っているのだ。こんなもので戸惑っている場合ではない。インド行きを決めてからは、下痢に備えるため日本にいながらも 食べ物をあえて床に落としてからふーふーせずに食べるという血のにじむような特訓に耐えてきたのだ。もうオレの胃は相当タフになっているに違いない。
 胃を決して貝を、鶏肉を、イカを食べる。



 うっ。



 うううっ。



 うまい。
 


 マレーシア仕込みの辛いタレが串に刺さった魚介類と繰りなすハーモニーのなんと絶妙なことか。この味をどう表現したらいいだろうか……言葉で表すとするならば、そう、まるで南国の透き通った波が打ち寄せる浜辺で、パラソルの下で甘い香りのする風を受けながら、世界中の女性がうらやむような美しさを誇る双子の姉妹が奏でる心地よいフルートの二重層を聞いているような味だ。
 この味の前ではもう新鮮かどうかなど全く問題にならない。とにかく一番美味いのは魚介類なのだ。一度食べたらもう止まらず、野菜など無視して肉食獣のように食いまくる。


「岳くん、このイカめちゃめちゃ美味いよねー。」


「え、そうですか……。オレはちょっと……」


 まだ彼は屋台の味に馴染んでいないらしい。辛いのもちょっと苦手らしいのでオレの方が食べている量は多いが、まあその分勘定は多く払うつもりだ。せっかく東南アジアの屋台に来てるんだから、もっとどんどん食おうぜ!
 串をくわえながらふと岳くんの食べたものを見てみる。小皿に並んだソーセージにハムに卵


「あ、あれ?肉とか魚とか食べてないの……?」


「ええ、なんかやっぱ心配で……。」


 裏切ったな岳。
 オレが苦労して宿まで連れてってやったのを忘れたか?まあたしかにオレと一緒じゃなかったらもっと早く辿り着いてたかもしれないが……。おいしいから道連れにと一生懸命勧めてみたのだが、結局彼はあまり食べなかったようだ。

 宿に帰り、水しか出ないシャワーを浴びる。昨晩はほとんど一睡もしていなかったため、泥のように眠る。
 クアラルンプールの消えない喧騒の中で、世界の先進国日本から来た二人の不安だらけの旅行者の第一日目はなんとか過ぎていった。










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