〜マルサビット−モヤレ〜





 1日目、尻が限界に達し
ケニアの大地に切ない泣き声を響かせたのは午後2時くらいだっただろうか。もうこのままで尻が一生使えなくなるくらいなら、いっそのこと野生に返ってもいいからここで降ろしてくれと叫び周りの黒人に止められたのは、イシオロの町を出て7時間くらい経ったころだったろうか。
 オレが取り乱しているのは決してオレが弱いからではない。きっと日本人なら、このトラックの乗客になったらほとんどのやつは泣くはずだ。客の中で泣きだす数の割合は、
世界の中心で愛を叫ぶより多いだろう。かなりの感動巨編である。
 だが犬のおまわりさんを歌っていて気付いたのだが、泣いてばかりではただ困ってしまうだけで、問題の解決には全く繋がらない。結局オレは、屋根の最前列の棚のようなところに無理矢理入り込み、後ろ向きで足をぶらんぶらんさせて乗ることによりなんとか尻の激痛を3分の1にまで軽減することができた。
なんだかよくわからんけど最初からそうすればよかったじゃんという意見は、オレには聞こえない。

 夕刻を告げるころ遠くに集落が見え始め、そのマルサビットの町にオレ達は疲労困憊の状態で到着した。……いや、ヨレヨレになっているのはオレだけで、他の乗客はごく普通に散り散りに宿を求めて去って行く。あ、あんたらの尻は
超合金でできているのか? 尻マスターか?? 尻解脱者か??? 尻チャンピオンシップか??? 尚、あまりの放心状態で尻を自分でソフトになでる以外の行動が取れず身動きのできないオレは、ただ寄ってくる宿の客引きの言いなりに、泥酔したテニスサークルの新入生のように近くのホテルに連れ込まるのだった。
 それにしても、これだけ孤立した場所に町があるというのが実に凄い。隣町まで行こうとしたら、ゲリラや野生動物にハラハラしながらトラックで10時間である。こんな町にある宿には、宿泊客として
勇者・戦士・僧侶・魔法使いの組み合わせの一団がいそうである。もしそんな人たちに話しかけられたら、オレは「天空に浮かぶお城の話はわたしも聞いたことがあります。なんでも伝説の武器・防具を全てそろえた者だけが竜の女王に会う資格を得られるとか・・・」それらしいコメントを何度も繰り返してすることにしよう。

 ちなみにドラクエの世界では一晩寝れば体力も魔法も完全に回復するのだが、
現実の世界では尻のダメージはたいして回復しないらしい。この痛みのせいで、昨晩はイチローの振り子打法で尻を殴打され、年間尻安打記録の更新に貢献する夢を見た。
 ということでしぶしぶ起きだしたオレは、昨日と同じくまだ真っ暗な中を、荷物をまとめてトラックの集まる広場へ向かった。なんとか前日に乗っていたローリーを見つけ出し、再び気合を入れて荷台へ乗り込む。よっしゃあっ!! 今日一日耐えればエチオピアだ!! この尻、
砕けるもんなら砕いてみやがれ!!! かわいい子供たちを救うためなら尻のひとつやふたつくらいくれてやらあ!!!!

 尚、この日オレがトラックに乗り込んだのは朝の5時過ぎであるが、実際に出発したのは9時であった。別に発車時刻が予定より遅れたわけではない。ただオレが早く来すぎただけだ。だって昨日出発時刻を確認しようと思っても
関係者が全員スワヒリ語しか喋れなかったのだから(涙)。念には念を入れて昨日の朝よりも早く、5時15分にやって来たオレは、他の乗客がやって来るまで一人でトラックの屋根にじーっと座って4時間待つという、細木数子に改名を強要されるような本来ならば味わう必要の無い苦しみを味わうことになった。きっと他の乗客達は、この朝の貴重な4時間をそれぞれ実に有意義に使っていたんだろうね。
 マルサビットの町で積み荷があらかた降ろされていたこともあって、オレ達の下にある2日目の荷台は
タトゥーの東京ドーム公演よりもガランガランであった。ということは苦しくなった暁にはいつでも屋根から下りることが出来るのだが、なにしろ荷台はジャングルジム状態の鉄骨の屋根以外は四方が木の板で覆われており、さらにここは赤道直下である。オレがパンだったらすぐに蒸しパンになるだろうし、もしオレが酒だったらすぐに酒蒸しになるだろう。きっとこの荷台の中で今日1日過ごしたら、たとえ曙でも屋根の鉄骨の間をすり抜けられるくらいスマートになるに違いない。


「おい、ジャパニーズ、今日はワイルドアニマルが見れるぞ。楽しみにしてろよ」


「オレ野生動物はマサイマラとかタンザニアのンゴロンゴロでたくさん見たよ」


「なにを言ってるんだ。あんな
国立公園にいるやつなんて野生じゃないよ!! 今日のやつは本当の野生なんだから」


「いやいやいや!! 国立公園っつっても日本の都道府県より広いし
普通に食物連鎖してまんがな」


 む〜。あのケニアとタンザニアのサバンナを
あんなの野生じゃないと言い出すとは、一体これから通るところはどんだけ野生なんだ。10億年前かよ。ほんとに地球上なのかオレ達の行く先は……(涙)。

 マルサビットの町を出ると、すぐに人工の物体が視界からぴったりと消滅した。一体どうなってるんだ……。つい3分前まで町だったじゃないか。まさにダンディ坂野、もしくは
中間試験の結果発表直後の「期末試験は絶対勉強するぞ……」というやる気くらいの瞬間的な消え方である。強いて言えば人工と言えば遥か上空に浮かんでいると思われる人工衛星くらいであろう、ただただ目前に続くのはサバンナの景色であった。


 ズドーン!!


「おおおっ・・ちょお・・・そおはっ・・・」


 ……パンクしました。


 今のショックで
尻も大ダメージです。痛みが頭まで全身貫きました。あまりの衝撃で口を開いたまま声がでません。手が空中をつかんでいます。これで全身を白く塗れば暗黒舞踏団の百虎社です。
 すぐさま乗員がするすると降りて行き、5人くらい集まってタイヤを修理している。中には
12歳でこのローリーの乗員として働いているアブドゥがいる(前ページの写真で中央にいる赤シャツの少年)。まったくなんてことだ。こんな子供でも普通に仕事をせにゃならんのかこの国は。日本で12歳で働いていたやつなんて、せいぜい安達祐実やえなりかずきくらいなもんだ。ということは、安達家やえなり家も幼子を働きに出すくらい家計が苦しかったのだろうか。
 まあそれでも頼もしいことだ。これがアブドゥでなく12歳当時のオレだったら、
「パンクとかどうでもいいから早く帰ってさんまの名探偵がしたい」と思いながらただパンクしたタイヤを見つめていたことだろう。

 30分ほどで修理は完了し、再び赤道直下をジリジリと焼かれながらサバンナを走る。驚くのは、人工の建造物が何も存在しないにもかかわらず時々部族の人達がいるということだ。一体この人たちはどこから来てどこへ帰って行くんだ? これだけ全方向地平線まで何も無い場所に住めるその生命力が凄い。彼らはきっと
土星くらいに送られても平気で住めてしまうのではないだろうか。いや、もしかしてこれは旅の臨場感を出すために造られているCGか??
 このあたりの部族はサンブル族というらしい。歩いている女性の隊列がいたので、ローリーの上からすれ違いにこっそりカメラを向けてみる。


「キャ〜ッ!!!」


 なぜかよくわからんが、カメラを向けられていることに気付いた部族の彼女たちは、
一斉に逃げ隠れし出した。

 ……。

 うわっははは!!! 女ども、せいぜい逃げ回るがいいわ〜! さあ逃げろ逃げろ〜! 逃げないとつかまえちゃうぞ〜!!

 ……しまった。ケニアにいるのに悪代官ごっこをしてしまった。
 しかし彼女達は明らかにオレの持っているカメラを見ただけで逃げて行った。普通カメラなんて怖くもなんともないだろうに。あれ? もしかしたらカメラを見てじゃなかったのかも?? と思い
慌てて自分の股間を見てみたが、間違いなくズボンは履いている。よかった。
 でもほんとにシャイなんだからサンブル族の女の子たち……。これじゃあ合コンに誘ってもあんまりノリが良くないだろうな。レモンサワー飲みながら
焼き畑農業の話とかしちゃって。しかも引き止める男性陣を無視して「そろそろ帰らないとハイエナが出るから」ととっとと帰りそうである。

 昼時になると、ローリーはサバンナに突然登場した、サービスエリアのような存在の部族の集まる休憩所に滑り込んだ。……なんか100人くらいサンブル族の人たちがいます。
 先ほどはオレが部族を追い回していたが、今度は明らかに一人だけ肌の色と顔の造りが違うオレが
全員の注目を浴びることになった。一応彼らにも部族の誇りがあるのだろう、見返してやると「ハハ〜ん、別にオレはあんたには興味ないよ。だってここに来る外人は結構いるし。珍しくもなんともないよ」興味のなさそうなフリをして目をそらすのだ。だがそれならばと、オレはわざと見せびらかしながらゆっくりと目薬を取り出し、上を向き2、3滴、垂らすと同時に不意をついてパッと周りを見回すと、やはり部族の100人全員がオレを凝視しているのである。また慌てて目をそらしているがもう遅い。キミ達、オレにそんなに興味深々なんだね……。






休憩所にて。日本のサービスエリアとはやや異なる風景。っていうか帰国させてくれ。




 当然この後まだひたすら続く屋根上移動生活に向けて、ここでたんまり食って体力をつけておかねばならない。ここで出しているのは「カロンガ」というもので、ケニア北部でなぜかよく見るアフリカ版肉じゃがと言えるうれしいメニューである。
 オレは食堂でカロンガとごはんが混ざっているカロンガライスを頼み、勢いよく食べ始めた。出発時間が不明なためとにかく急がなければならない。気付かずにここに置いていかれたら今日から
違う人生を歩むことになる。

 ……ジャリジャリ。
 ……ジャリジャリ。

 ……く〜っ!!! 
砂利ごはんです(号泣)。卵や納豆をかけるごはんはよく食べるが、砂利かけごはんには日本人はあまり慣れていない。ケニアならではの調理方法か……。本当は怒り心頭で店長かリーダーにクレームをつけたいところだが、「ちょっと! ご飯にジャリが入ってるよ!!」と訴えても、「おー! よくわかったな!!」などと、むしろ食材を見極めたことに感心されそうである。
 くそ……どこをどう食っても必ず砂利が混入している。しかし朝飯も当然食べてないし、このまま何も食わずに今日を乗り越えるのは厳しい。
ええい、砂利ごと食うぞ!!!
 ジャリジャリジャリジャリ……。
ああなんて歯ごたえのある食事(涙)。この食堂の裏手には砂かけババアでも住んでるんだろうか。

 ブーッ! ブーブーブー(クラクションの音)!!!

 おおっ!!! もう出発だ!!!! ちょっと待ってくれ〜!!!!!


 ダッシュでローリーに戻り側面についているハシゴを登ると、
まだ登っている途中でスタートし時速60kmまで加速。この旅で何度も言っているが、東洋人だからといってジャッキーチェン扱いはやめてほしいのだが。ジャッキーチェンはこういう場面でも落ちないが、オレは落ちる。しかし幸いにも、身動きが取れなくなり側面にただぶら下がって耐えるだけだったオレを発見した乗客の何人かが、なんとかオレを屋根まで引っ張りあげてくれた。
 ……殺す気かよ(号泣)!!!


 この日の移動運搬も昼を過ぎ後半になると、他の乗客が言っていた通り、
野生の中の野生の筋金入りのシマウマやダチョウがちらほら姿を現すようになった。オレからすれば、どうぶつ奇想天外などではちゃんと「アフリカの大自然」として特集が組まれる国立公園の中のシマウマも立派な野生なのだが、こころなしかここの動物達からは「ふっ……俺達はあんなマスコミにちやほやされて舞い上がってるアイドルシマウマとは違うんだぜ!!」という職人の自負が感じられた。オレにはよくわからないが、このあたりの確執はワイドショーで特集される周富徳を見る、裏道で30年間味を守り続けている中華料理屋のおやじの思いのようなものか。
 ちなみにここらでラクダの群れが初登場。これなら、いざとなったら彼らを調教すれば目的地まで乗って行くことができるだろう。1年くらいみとけば。

 午後3時くらいになると、突然上空に雨雲が出現した。そして、
よせばいいのにシトシト、シトシトと降ってきた。雨よ……オレの怒りの導火線に火をつけてしまったな……。だまってりゃあいい気になりやがって!!! この状況で降ることがどれだけオレ達の神経を逆なですることかわかっていないようだな!!!!!
 さて、このように激怒したところで
雨にはかなわないので、屋根の上の乗客はおおわらわで全員荷台に緊急避難。といっても、天井はジャングルジムである。体の直径が5cmくらいの人だったら鉄棒の下で雨宿りができるだろうが、今回の乗客の中に該当者はいなかったため、唯一の避難場所は運転席で前方がふさがれている荷台の一番前の1mくらいだけである。当然20人からの人間がそんなスペースに入りきれるわけがないので、縄張り争いに負けたオレのような弱々しい人間が、ただしゃがんで冷たい雨に打たれ耐えることになるのである。


「ヘイ、ジャパ〜ン! もうちょっとだ、がんばれ! あと少しで国境の町・モヤレだぞ!」


「はは……もう、もうオレはだめみたいだよ。なんだか目も見えなくなっちゃった……」


「おいっ!! しっかりしろ!!! それはおまえが雨を避けるためにパーカーのフードを深くかぶっているからだろう!!!」


「はっ!! そうだった。……つ、着くの? ぬお〜っ!!! やっと終わりかよっ!!! オレは積み荷じゃないんだ!! オレ達は腐ったマンゴーじゃない! 人間なんだ!!!」


「おおっ! いいセリフ!! 言葉の魔術師!!!」


「ふっふっふ……」



 丸2日の荷台移動を経て、ついに
人工の建造物がまとまって建っているという奇跡的な場所、地上の楽園、目的の町モヤレが視界に入ってきた。長い苦しみの時を共有した積み荷仲間……いや乗客達ともここでお別れであるが、とにかく我々は一人の欠品も出さずに配送先に無事届けられたのである。
 それにしても、オレの人生でトラックの積み荷の気持ちがわかったのは初めてであった。






今日の一冊は、ここまでの話+αを本でどうぞ アフリカなんて二度と行くか!ボケ!!―…でも、愛してる(涙)。 (幻冬舎文庫)





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