〜パレスチナ自治区1〜





 
地中海東岸のこの地域はそもそもがパレスチナと呼ばれており、現在のイスラエルというのはユダヤ人が比較的最近建てた国らしい。その前にここに住んでいたのは隣のヨルダンやエジプトやシリアと同じアラブ人で、今もイスラエルに残っているアラブ人のことを特別にパレスチナ人と呼ぶそうだ。
 第一次大戦中にイギリス政府がパレスチナのアラブ人にはアラブ人国家の成立を、ユダヤ人にはユダヤ人国家の成立をそれぞれ勝手に約束し、そのおかげでいらぬ紛争を招くことになったのだがそもそもの歴史は紀元前11世紀にこの地にイスラエル王国ができたところまで遡り、アッシリアとかバビロニアとかダビデとかヘルツルのシオニズムとか……



 ……。



 ……なに? 
難しそうで読む気にもならないって(そして実際に読まなかったって?)??




 ……あのなーきみら。

 さすがに温厚なオレでも怒るよ?





 
よく言ってくれた。オレも丁度難しいんで投げ出そうと思ってたところだ。

※やさしい人は転びながら
「ズコーっ! ズッコケたよ!!」と叫んでください。


 ……はい、うまい具合にチャチャが入ったところで(というかわからないため
自らエスケープ)、そういう難しいことはこんなホームレスの書いている旅行記ではなくて、文化庁芸術祭参加作品の番組とかに任せておきましょう。多分そういう真面目そうなドキュメント番組を見ればみんなも、結果的にやっぱり難しくてよくわからないから。なんだか何もかもわからなすぎて、自分が香田晋や若槻千夏になったような気分が味わえるよ。そう、それがあなたの知らない世界。無知の世界なのです。
 まあ昨日からオレが書物を読んだり家庭教師のトライに女性教師(でもバイトの大学生)を派遣してもらってムチ等で体罰を受けながら学んだところによると、彼らが争っているのは宗教対立というよりは国家というか領土の問題が大きいらしい。そもそもガザやウエストバンクといったパレスチナ自治区はイスラエルがヨルダンやエジプトに先制攻撃をかけて奪った領土で、現在でも実質軍による支配状態が続いている占領地であるということだ。しかしそれを言うなら過去に遡ればそもそもバビロニア崩壊の後紀元前135年にローマ帝国によって追い出されるまでここにはユダヤ人が住んでおり……



 ……。



 ウェイト!!

 
ウェイトアミニット!!!

 
わからんといったらわからん!!

 
そんなあれこれ言われても、ガッツ石松が衆院予算委員会を傍聴するようなもんで、脳自体が混乱を避けるために難解な情報の進入を拒否している。頭の中はスプーン一杯程度のおどろきの真っ白さだ。
 もちろんオレは決して頭は悪い方ではなく、なにしろマギー司郎の
縦じまのハンカチを横じまにするマジックの種すら一瞬で見破ったほどの鋭い洞察力を持つ男であるのだが、しかしこのイスラエルの歴史というのは混沌としすぎてどうにも理解できん。この混乱の時期の長さ杉田かおるの人生に匹敵、いやそれ以上である。だいたいシオニズムとか言われても、そこからオレの頭で連想できることなんてシオマネキのサンバくらいである。カニのお面をつけて、でかいボール紙のハサミをふりふり振りながら「し〜お〜ま〜ねえき〜〜♪」と創作ダンスを踊らされたことくらいである。たしかあれは小学4年生くらい、まだ作者が割礼を受けていない、逆ロリコンの頃だった……。

 ということで、
もう歴史について語るのは金輪際やめる。ゲーム脳のわがはいには、一次方程式より難しいことはちっともわからないナリ〜〜☆
 ゲーム脳でありネット脳でもある(ほとんどの部分が溶けている)オレでわかるのは、せいぜい
恋愛の方程式くらいだ(ただし「ときめきメモリアル」と「サクラ大戦」、もしくは脳内恋愛限定)

 敬愛するイエスキリストの軌跡を求めてエルサレムとベツレヘムの観光を終えた次の日、オレは宿にいた日本人2人と一緒に、パレスチナ自治区で最大の街、目下バリバリの占領下であるナブルスというところへ向かった。
 なぜそんなところに行ったのかというと、
もちろん単なる好奇心だ。勉強のためとか「パレスチナの悲惨な現状をetc.」とかいくらでももっともらしい理由を作ることは簡単だが、「単なる好奇心で行くんじゃない」と言い切るほどのものなどオレたちは持っていない。

 しかしエルサレムから乗り合いタクシーで2時間、破壊神の棲むかのような街ナブルスのパレスチナ人たちは、そんな
すぐ人質になりそうなニセジャーナリスト風のアホな観光客ですら必要とされるほど、日夜イスラエル軍にこれでもかこれでもかといじめられまくっていた。
 ボランティアスタッフに混ざって裏道からうまく街に侵入したオレたち3人組は、たまたま声をかけたメディカルセンターのスタッフに連れられ、2日間に渡って商店街を案内してもらったり銃撃された人を病院に訪ねたり、ドクターや他のスタッフにパレスチナで
どれだけイスラエル軍が暴虐の限りを尽くしているかということを聞いたりした。その被害状況はレポートでも書いたが、ここはパレスチナ自治区で最も大きく、産業化された街であるがために、テロリストの活動や支援やまたテロリストでなくとも抵抗するパレスチナ人を抑え付けるため、イスラエル軍が人の道を大きく逸脱した非道を行っているのだ。

 日中イスラエル軍はすぐ近くの丘に陣取り、夕方6時を過ぎると戦車に乗って下りて来る。そしてテロリストの活動を抑止するという名目で、パレスチナ人の
家を壊したり動いてる物を銃で撃ってみたり手榴弾を投げてみたりするのだ。
 ……この
鬼畜めっ!! そして家畜めっ!! なんて言ったらかわいい家畜のブタさんやウシさんがかわいそうだ。家畜以下の鬼畜めっ!!!!

 軍の奴らは夜半になると登場するという点では
山本晋也監督と同じだが、銃火器ではなくマイクを武器に風俗やラブホテルに突撃する監督の方が、青少年の風紀は乱したとしても命は奪わない分よっぽど安全である。むしろ山本監督はラブホテルのカップルに突撃取材をしているということで、新しい生命の息吹すら感じるではないか。ゴッドとサタンくらいの差があるぞ。

 イスラエル軍が住民を虐待するからテロが起こるのか、テロが起こるから軍が住民を虐待するのか、そもそもユダヤ人がアラブ人の土地を奪ったのが悪いのか、もう人類発祥からのことなのか、
わしゃ知らん。しかし実に市民レベルで見ると、現状では圧倒的にパレスチナ人がイスラエル(=ユダヤ人)によって虐げられて撃たれて殺されているようだ。イスラエル軍には、個人的にどぐされ野郎の称号を与えたいと思う。いいなあ、なかなか出ないんだよこの褒め言葉。


 たとえばだいたい100mに1軒くらいの割合で、ごく普通の建物がなにげなく破壊されている。
 理由は一応「テロリストの潜伏の可能性」や「テロリストに協力している可能性」やら「テロに使用する武器や薬品を持っている可能性」という名目であるのだが、とりあえず「テロ」のせいということにして
問答無用でいきなり爆破しているのだ。

 家の中はこんな感じ。ある夜静かにしているといきなりイスラエル兵がやって来て、上記のようになんやかや理由をつけて爆弾を仕掛けたり手榴弾を投げていくというのだ。
 中には空爆された家まであるらしい。いくらどぐされ野郎でも、
空爆までするか??

 オレたちを案内してくれたパレスチナ人も、「さあ、次は隣の家に行くぞ。ここは壁が爆破されてるからわざわざ玄関に戻らなくてもいいんだ。がっはっは」てなことを言いながら、みんなで壁の穴を通って隣家に移動するのである。
 隣近所の関係が希薄になりがちな昨今、こちらは
なにもかもさらけ出した裸の付き合いである。


 人間というのは一度狂気の道に入ると、1人殺すも10人殺すも同じ、もう完全に歯止めが利かなくなってしまうようだ。しかも赤信号をみんなで渡るかのように、
集団の狂気となるとなおさらだ。みんなが人を殺していれば、自分も殺してもいいと思ってしまう(多分)。
 昨日の朝はモスクへ礼拝に通う途中だった女性が、おとといは10人の子供を育てる母親が、ここで納得のいく理由もなくイスラエル兵に射殺されたらしい。ある空き地の前を通った時には、メディカルセンターのメンバーから「ここにも家があったんだけど、ユダヤ人に爆破されて妊娠中の奥さん含め家族8人全員死んだんだ。みんなで死体を掘り出すのにまる2日もかかったんだぜ」と淡々と説明を受けた。
 更に進むと小さな商店があったのだが、2階部分がこれも粉々に全壊している。やはり最近、突然軍に爆弾を仕掛けられ大爆発したそうで、年老いたじいさんたった1人を残して、家族はみな殺されてしまったそうだ。そして今1階の店先では、生き残ったじいさんが道端に1人腰掛けて店番をしている。家族がみんな死んで家もぶっ壊れているのに、そうしなければいけないのか、それ以外の生き方など無いのか、おそらく家族と一緒に生活していた時もそうだったように、今日も店番をしているのである。
 このじいさんの人生の全てを奪ったのが、かの有名な
鬼畜どぐされ軍団イスラエルだ。
 
 病院はまたひどい有様だった。救急車は外からライフルで狙い撃ちされ車体を貫通し中の人間に弾が当たり、なぜか怪我人を病院に運ぼうとするアラブ人たちをユダヤ人兵士が意味も無く阻み、撃たれたパレスチナ人は放置のまま、何時間も拘束させられたという。




 
ボケーっ!!!!

 
カスーーっっ!!!!!



 
イスラエル軍の人でなし〜〜〜〜っ!!!!!!


 
おまえらは、人間のクズだ〜〜〜〜〜〜っっ!!!!!





 ……。

 力いっぱい叫んでみても、
兵士の耳には聞こえない。
 いや、むしろ
聞こえるところにイスラエル兵がいたら、言えない。怖いから。
 しかし、勇気あるパレスチナ人は
言うし、やる。同行のKくんが話したパレスチナの子供が、「ユダヤ人を巻き込んで自爆するやつは、パレスチナのヒーローなんだぜ!」と言っていたそうだ。たしかに、世界最強の部類に入るイスラエルの軍隊に立ち向かい、家族や優しかった近所のおじさんやおばさんや友達の仇を討ってくれる自爆テロの実行犯、いや実行者は、彼らにとってはかっこいい英雄なのだろう。その事実を踏まえると、テロを防ごうとしてユダヤ人は必要以上にパレスチナ人を殺したり破壊したり虐めているが、それではテロは増えるに決まっているのだ。

 ではどうすればいいのか。それは簡単だ。そのへんの女流作家や先生が言うように、お互い武器を持ち出すのはやめて、話し合って、仲良くすればいいのである。
ってそう簡単に紛争が止んだら世界に150カ国も国が無いわっっ!!!!!!!!!!
 暴力の応酬というふうに語られるこのイスラエルとパレスチナの泥沼の殺し合いだが、客観的に見て最初に、しかも罪の無い市民を大量に殺しているのはユダヤ人の方である。パレスチナ人は、なけなしの武器で
命がけのささやかな報復をしているだけだ。
 ユダヤ人や他の人間はどう思うか知らんが、少なくとも作者という個人が客観的に見たらそうだったというのはこれはひとつの事実である。

 翌日、オレたちはまたエルサレムに戻るためナブルスを後にしたわけだが、このナブルスの検問の物々しさは半端ではなかった。
 検問に向かう人間は、左右にバリケードの張られた歩道に縦1列に並ばされ、1人ずつ数十メートル先にいる兵士のところまで歩いて行き、身分証(とかパスポート)のチェックを受ける。しかしその途中にも、
最後のページで「両津のバカはどこいった!!!」と殴りこみにくる大原部長くらい重装備のイスラエル兵がおり、自動小銃の銃口を1人で歩いているオレを狙ってずーっとこちらに向けてくるのである。これはもう、足が震え膝が笑い股間がしぼむくらい怖い。こんな本能的に怖いのは、タンザニアのサファリで初めてライオンを見た時以来である。
 検問所などは過去何度も自爆テロの標的になっているため、兵士としては不審者を見逃すことは即自分たちの死につながり、その真剣味は半端ではない。例えば、もし仮にオレが検問まで歩く間にヨルダンを思い出し、「じぇい! おー! あーるでぃー! ためて〜〜えいえぬっ!!!!!」とやったら、「じぇい! おー!」のところで一瞬だけ警告を受け、
「えいえぬっ!!!」のポーズを決めると同時に蜂の巣にされることだろう。

 またそれだけでなく、そもそも検問を待っているパレスチナ人と日本人(オレたち)の行列に対して、もう1人のイスラエル兵が、なんかドラムみたいのが回転して
1秒で30人くらい殺せそうな重機関銃をコンクリートの台座に乗せて、引き金に指をかけてじっと狙いをつけているのだ。
 この後にニュースで見た映像では、検問所に突撃し自爆を試みたパレスチナ人の爆弾を積んだ車が、ユダヤ人兵士のところに到達する前に重機関銃の連射で爆破されていた。要するにオレたちを狙っているこの機関銃は、
猛スピードで突入してくる車をも爆破できる破壊力なのである。もし引き金に指をかけている兵士が「い〜〜〜くしっ!!!」と加藤茶風のくしゃみでもしようもんなら、はずみでダダダダダッ! と20人くらい殺されそうな気がする。
 といっても、ユダヤ人にとってはパレスチナ人が何人死のうがその命など
風の前の塵に同じである。上官に始末書一枚書けば済む話であろう。多分、パレスチナ人をついうっかり殺しちゃったくらいの過失は、イスラエルにとっては両津巡査長が勤務中にプラモを作ったくらいの軽い罪であろうと思われる。

 この検問では1人1人チェックを受けるようになってはいるが、別に全員が向こう側に抜けられるわけではなく、だいたい2人に1人くらいの割合で、パレスチナ人はこちら側に追い返されて戻ってくる。一度は中年の男性がヨボヨボで死にそうなじいさんを連れて、「すぐ病院に連れて行かなけりゃならないんだ!! 先に通してくれ!!」と訴えながら(アラビア語のため想像ではあるが)先に進もうとしたところ数人の兵士に阻まれ、少し抵抗するそぶりを見せたところ兵士に
本気で一斉に銃を構えられたため仕方なく引き返すということもあった。
 その、
1秒後に殺人事件が起こる空気を目撃したオレたちは、もう気絶せんばかりに震え上がり、3人とも楳図かずおのマンガの登場人物になりきり口を開けたまま恐怖の表情に凍り付くだけだった。
 だが銃を突きつけられた男性は、戻りながらも兵士を振り返り激しい怒りの言葉を投げつけている。全く銃を怖がっていないかのようなのである。これは虐げられているパレスチナ人のプライドであるのか、それとも銃口を向けられるということに慣れ過ぎているのか。いずれにしても、
人間が人間と向き合う時に、こんなことがあっていいのか(号泣)。

 その後なんとかオレたち日本人3人は検問を通過し、向こう側に待機していたエルサレム行きのバスに乗ることができた。しかしところどころで当然のように検問に降ろされ、今度は横1列に並ばされて上着をまくり、一斉に腹を晒すように命令される。
腹に爆弾を巻いていないかのチェックである。たしかにオレの腹は最近プックリ出てきているが、これは爆弾を巻いているのではない。ほら見てみろ、全部脱いでも膨らんでいるだろう(涙)。全体的にはガリガリに痩せてるのにお腹だけが……これじゃあ餓鬼だよ……ってうるさいんだよオレ!!!!!

 再び走り出すと、隣のパレスチナ人の青年がポツリとオレに言った。


「1年前までナブルスは、本当にビューティフルな町だったんだ。イスラエル軍が常駐するようになる前までは。今からじゃ想像つかないだろうけどな……」


「……」



 ナブルスの町で病院内を案内してくれた男性スタッフは、お菓子を買いに行く途中や学校へ行く途中や農作業をしている途中に射撃の的になり、あるいは家で寝ていたら突然撃たれたという重傷患者のベッドをオレたちを連れて回り、「いつまでオレたちは迫害され続けなければいけないんだ!! いつまで!!」と叫んで、泣いてしまった。
 その時もそうだし、今もそうだ。
なんという返事をすればいいかわからん。
 しかし、ビューティフルだった頃のナブルスの町は知らずとも、病院にはユダヤ人に撃たれた患者が溢れていることや、家族を殺された人と家を失った人、まだ何も失ってないけど明日あたり突然全てを失う可能性のあるパレスチナ人がたくさんいるということは今では少し知っている。
 そして、決して自爆テロを行うパレスチナ人が異常なのではなく、
パレスチナ人を自爆テロを決意するほどまでに追い込んでいるイスラエルとユダヤ人の方が異常なのであるということを、この日から確信を持ってオレは思うようになった。




 右手と
 右足を撃たれた人。

 誰に撃たれたかは、
言わないでもわかるだろう。




今日の一冊は、まんが パレスチナ問題 (講談社現代新書)






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