〜ヨルダン−イスラエル〜





 ヨルダンをアルファベット表記にすると、JORDANである。一見してヨルダンとはとても読めない書き方だ。ただこれはラテン語と英語の発音が違うだけで、ジュリアスシーザーとユリウスカエサル、ジーザスクライストとイエスキリスト、
ともさかりえとさかともえり、もしくは「謝罪と賠償を請求」と「たかり」のように、読み方は異なっても結局は全く同じことを指している。
 まあそんなことはともかく、オレはヨルダンに入国し港のイミグレーションで「JORDAN」の文字を見てから、毎日毎日町を歩く時はこの言葉を口ずさんでいた。

 ジェイ!

 オー!

   あーる
 ディー!

 ためて〜〜〜
え〜えぬっっっ!!!!!!!

 ※何度も繰り返し

 ジェー! オー! 
Rディー!ためてーーエーエヌ!!
 ひたすら毎日、宿から外へ出た瞬間から容赦なくこの
ヨルダン国家の1フレーズが頭の中をぐるぐる回り始める。辺りに人気の無いところでは「じぇい! おー! あーるでぃー!ためて〜〜えいえぬっ!!!!!」と自分で何度も叫び、特に「えいえぬ!」のところでは歩いていたとしてもわざわざ立ち止まり、髪を振り乱してAとNのポーズを激しくキめるのだ。もしこの気が狂った姿を他の旅行者に見られたら、おそらくアラビアの怪人と命名されることだろう。
 しかしきっと東洋人の若者がヨルダンのためにここまでしていることを政府関係者が知ったら、感動して
ラクダと石油1年分くらいプレゼントしてくれるのではないだろうか。日ヨル親善大使に選ばれる可能性もある。

 ちなみに元祖アラビアの怪人といえばプロレスラーのザ・シークであるが、ある試合の場外乱闘で、マジックショーでもないのにシークが
大仁田厚の腹を包丁でおもいっきり刺していた。大仁田は別に手品用の箱に入っていたわけでもなく、どう見ても種も仕掛けもないというか、種があるとすれば大仁田が我慢強いというだけの単純な種なのだが、これなんで殺人未遂で逮捕されないのだろうかと、非常に疑問を持たされた。
 プロレスだから乱闘も演出であり、刺したのも
合意の上だという意見もあるが、合意の上だとしても包丁で人の腹を刺したら逮捕するべきである。

 さて、突然話は変わるが、オレはリュックの中に塩を四六時中携帯している。そう、
「お兄ちゃん、何でいつも廊下の端っこをしおしお歩くの? 学級委員でしょ? 私、肩身が狭くて……」の塩だ。なぜかって? そりゃあ、しょっぱいものが好きだからに決まってる。それに、多少味気ない意味不明の理解に苦しむ例えば頭にエチがつく国のひどい食事とかでも、ひたすら、小梅太夫の化粧くらいこんもり層ができるほどに塩を振りまけば、あ〜ら不思議、あっという間に味気ない食事からただの塩のかたまりに!! どっちにしろ食えんもんは食えん!!!!

 でも、ポテトとか魚とか肉とかに辛党としてひと味加えたいときに役立つし、ツアーなんかで白人とテーブルを囲んでいる時、それまで一切会話に入れなかったとしても
「う〜ん、なんか塩がほしいわねえ」「そうね、塩あるかしら? 店員呼んでみようかしら??」なんて言葉が出たらすかさず「アイハブソルト!!!」塩を片手に得意気に前に出ることにより、何の役にも立たぬこの頼りない日本人旅行者も初めて白人の皆さまに有り難がられることができるのである。そこでやっと自分の存在意義を知ることができるのである。「オー! グッド! ユーアーペラペラペラペラ!」とか言われて結構感謝されるのこれ。
 他にも調味料として使うだけでなく、なめくじを縮めさせたり悪霊を祓ったり目つぶしに利用したり、
部屋の入り口に撒いておいて泥棒が入ってきた時に転ばせたり、あるいはふわっと投げ上げて赤道直下に生きる子供たちに雪を見せてあげたりと、まさに志穂(塩)美悦子も裸足で逃げ出す八面六臂の大活躍を見せてくれるのである。
 そんなわけで、オレはどんな時でもたとえ明日世界が終わろうとも、塩の小瓶を背負って旅しているのだ。“塩の旅人”なのだ。

 ヨルダンの入り口であるアカバから、バスに乗ってオレはワディ・ムーサという町へ向かった。宿を確保した後はやや寂れた町を歩きながら「じぇい! おー! あーるでぃー!ためて〜〜えいえぬっ!!!!!」と人目の無いところを見計らって
全ての気を開放し、何度も全力で決めポーズを作った。それがオレなりの、きんぱっつぁんへの恩返しなのである。ありがとう3年B組金八先生。上戸彩を世に出してくれてありがとう。今日もテレビで彩ちゃんを見られると思うから、生きる希望が湧くんです。

 その日は宿でバイキング形式の夕食だった。もうめっきり食事には不自由しない、
元祖でぶやが取材に来てもおかしくないくらいのユートピアな地域になっているのだが、オレは例によってもうひと味つけるため、リュックから必殺の食卓塩を取り出したのである。控えおろ〜〜!! このマイ塩が目に入らぬか!!!! マイオウンソルトだぞ!!! 無礼者の白人どもめがっっ!!!! おらっ!!!
 ……おや??
 なんか妙に塩が軽いぞ。てかほとんど空じゃないか。これまだ買ったばっかりなのに。しかもなんで、蓋が開いてるのよ? まさか塩泥棒が入ったのでは……って
おいっっ!!!! 塩がっ!!!! 塩がリュックの中に全部出てるっっ!!!!!! 一本分全部リュックの中に!!!!!!

 ガイドブックやら予備のお金やらカメラのフィルムやら筆記用具やら傘やら、リュックに入っていた物体全ては
白い恋人たちによって優しく、そして激しく包まれていた。まるで冬の津軽平野のようだった。うおっ、ぐぬぬぬぬ……(涙)。




 うあわわあああっ(号泣)。





 しっかり蓋は閉めてたのに!!
 簡単に開くこのフタがいけないんだ!! 日本のようにねじ式のフタにすればいいのに、なんでこんなパルメザンチーズみたいに大きい方と小さい方があるカパカパ方式なんだよ!!!!
 こんな根性の無いフタだったがために、こいつらはオレの「じぇい! おー! あーるでぃー!ためて〜〜えいえぬっ!!!」
「えいえぬっ!!」の激しい動きに耐えられなかったんだ! こんな貧弱なフタだったがゆえに、繰り返しの「えいえぬっ!!!」のもたらす巨大な振動により、大爆発を起こしてしまったんだ!!

 オレはその後1時間を、塩を取り払う作業に費やさねばならなかった。いったいこの世に生きる人間の何人が、
自分の荷物から塩を取り除くという行為を行ったことがあるのだろうか。ガイドブックの、日記の、ページをめくればそこに塩。チャックを開ければそこに塩。リュックの中は、瀬戸内海を思わせる塩の香り。小さな小さなソルトレイク。
 オレは泣いた。幼い小さな手で目尻を拭ったら、塩の目潰し効果で
大ダメージを受け、目が開けられなくなった。
 
むぎょーーーーーーーーーーーーーーーっっっ(激怒)!!!!!!!!

 翌日近くの商店に塩を買いに行ったところ(全然懲りてない)、ちゃんとねじ式のフタの塩が売られていた。さすがにヨルダンの塩は、「えいえぬっ!!!」と暴れる国民のことをよく考えて、丈夫に作られているようである。また今日からは、わくわくの塩ライフの始まりだ。


 ワディムーサの町には、ペトラ遺跡というのがある。

 インディジョーンズ最後の聖戦で、三日月の谷を越えて最後にたどり着いた神殿ということで、チラっとこの建物が登場している。

 映画と同様、実際オレがこの遺跡に入ってみると突然蜘蛛の巣をかき分けてギロチンが襲ってくるし、「エホバ」の順に床のパネルを辿っていかないと足元が崩れて落下し串刺しにされるし、一番奥の部屋ではもう少しでイエスの聖杯を守る十字軍のじいさんに
一刀両断にされるところだった。
 幸いオレは「インディジョーンズ最後の聖戦」のビデオが家にあるため仕掛けの謎は知っていたが、観光客の多くは最初のギロチンにやられて
真っ二つになっていたようだ。


 さて。
 ペトラについては
そんなもので、オレは首都のアンマンを経由してイスラエルに向かうことにした。なんといっても中学校の社会の授業で習った、キリスト教の聖地エルサレムがすぐそこにあるのである。きっと20億人のキリスト教徒にとって、聖地エルサレムを訪れるということはオタクが聖地秋葉原に行くのと同等の神聖な行為なのであろう。これはぜひエルサレムでも石丸電気やメイド喫茶に期待したい。
 オレは普段慈悲の人としてイエスキリストと
よく比べられるし、生まれつき下着を取ろうとする者には上着をも与え、敵を愛し迫害するもののために祈る性格をしているため、どうしても聖地エルサレムは他人とは思えない。もしかしたら前世が関係しているのかもしれないが、聖地と聞くと妙な興奮がオレの体を支配し、自然にアイドルのデビューイベントや水着撮影会を期待してしまうのである。……あ、これは前世じゃなくて、普通に現世の影響だった。しかし下着を取ろうとする者に上着をも与えるのは本当で、オレが部屋にいる時ほとんど全裸なのはそのせいである。変人なのではない。与えた結果なのだ。

 ところで、イスラエルという中東の異端児は、なぜか周辺の国から
嫌われ松子からも「あんなに嫌われてかわいそう……」と同情されそうなほど嫌われており、それがゆえに、イスラエルを訪れたことがある人間は、それだけでシリアやイランなど中東の国から入国拒否をくらってしまう。中東諸国を旅しようと思ったら、パスポートにイスラエルの入国スタンプがあるというのは絶対に許されないのである。市民プールにおける入れ墨や、女子プロレス入門希望者の彼氏のようなものだ。
 たとえばヨルダンの北にあるシリアには、イスラエルを通過した後では絶対に入ることが出来ない。たとえイスラエルにいた理由がただの観光旅行だとしてもだ。
ホストにはまってしまったOLが二度と普通の会社員を愛せなくなってしまうのと同じ構造である。一度でもそこを通ってしまったら、もうあの頃に戻ることは出来ないのだ。

 しかし、では中東を旅するにはイスラエルを諦めなければならないかというと、実はそうでもない。
だいじょ〜ブイ!! そこには、アイフルや村上ファンドもびっくりの法の抜け穴が存在するのだ。この裏技を知ったがために、村上代表はあんなびっくりしてるような顔になってしまったほどだ。
 その方法とは、飯島愛のAV女優の過去やゆうこりんのコギャル時代の過去のように、
なかったことにするということである。
 具体的に言うとこうだ。まずアンマン近くの国境を通ってイスラエルに入国するのだが、その際、ヨルダン出国の時もイスラエル入国の時もパスポートではなく、別の紙
スタンプを押してもらう。そしてイスラエル観光の後全く同じポイントからヨルダンに戻ってくるとあーら不思議。イスラエル滞在の証拠も年金未納やキャバクラ嬢だった過去も、オレが以前パソコンのコールセンターで働いていた時に「お客さま、ではまず、マニュアルをご覧いただけますでしょうか」と言おうとして「お客さま、ではまにゅ、まにゅあるを……」と3歳児みたいになってしまったという恥ずべき記憶も、一切消えているのである。もう消えたよ。完全に忘れたからね。

 そんなふうに国境に到達し、ヨルダンのイミグレーションを抜け1時間ほど待つと、外国人用のバスがやって来た。そのバスでイスラエル側まで運ばれたのだが、なんだか国境を越えた途端他の国と違い
圧倒的に物々しい。今までアフリカ大陸で見かけていた貧相なライフルと違って、プレデターとも十分戦えそうな、そしてランボーがこれを持っていたら怒らないでも脱出できそうなごっついマシンガンを抱えた兵士が要所要所に立っている。多分ここで暴れたりしたら射殺どころか、精肉屋の店先みたいな細かい肉片にされることだろう。今のオレは作者だが、そうなったら明日からは「作者の肉片」だ。

 イスラエルの入国審査では、怖い人に1人ずつ別室に連れ込まれ、上着どころかズボンまで脱がされボディチェックをされる。この国では自爆テロなどが相次いでおり、入国者の持ち物に対してはとにかく敏感だ。まあオレはズボンを取ろうとするものには
下着をも与える性格なので、大人しくパンツも脱ごうとしたところ「それはいい」と止められた。なんでだろう。パンツの中だって小銃とか隠してるかもしれないじゃないか。もしかしてオレの股間を見て、「そんなちっぽけなふくらみじゃあ何も隠してるわけないよな」とか勝手に決め付けられたのだろうか。ふざけんなコラ!!!!! オレは履きやせするタイプなんだよっ!!!!
 くそ〜、こうなったら、このオレの
股間の迫撃砲をテロリストに売り渡してやるからな。あんまり弾は無いけど。

 あくまで冷静にイミグレーションを出た後は、そこらへんにいたフランス人の旅行者とタクシーをシェアし、エルサレム旧市街の城門へ向かった。そして
到着した。
 ……見てくれ。
もうエルサレムに到着しているではないか。ヨルダンの首都アンマンからイスラエルの首都エルサレムまで舗装道路をかっ飛ばしてほんの3時間、旅行記でもたったの数十行で隣国の首都までたどり着いているのである。

 それに比べて、思い起こせばアフリカ大陸。


 スーダンの首都ハルツームから隣国エジプトのカイロまでは全力で進んだとしても1週間、その上、首都から首都の間に、
 
←20章も書いているのである(泣)。

 
ざっと400字詰め原稿用紙300枚分、そこだけで本1冊分の分量ではないか。こうなったら、おそらく地球上の旅行記史上初となる、スーダン旅行記の出版を狙ってみようか。多分情熱を持って持ち込めば、文芸社さんならほんの200万円くらいでもれなく出版化してくれるはずだ。内容は関係なく。

 おおっと……
 なんか触れてはいけないことに触れてしまったような気がする……。

 
ともかく、このエルサレムの城壁で囲まれた旧市街こそが、キリスト教とユダヤ教さらにイスラム教と、3つの宗教の聖地に同時になっているという、どう考えても揉め事が起きそうな聖地中の聖地なのである。こりゃあメイド喫茶とか掘り出し物の成年コミックとか探してる場合じゃなさそうだな……。

 エルサレム旧市街には2000年前のユダヤ教の神殿の一部が「嘆きの壁」として残っており、その真後ろにはムハンマド(マホメット)が天に昇った場所と言われる岩のドームがある。2つの宗教の聖地が、もう目と鼻の先に隣り合っているのだ。普段表立っては敵対心を見せないが、これではお互い心の中では複雑な感情を持っているはずである。
ドリフ解散後のいかりや長介と志村けんもこのような関係だったことだろう。
 だがどれだけ冷静を保っていても、彼らの緊迫した関係には、ほんの少しの圧力が加わっただけでヒビが入ってしまうのだ。そのもろさは、理科室でよく登場した
プレパラートの上に乗せるカバーガラスといい勝負である。もう、ちょっと顕微鏡のレンズを下げすぎちゃうだけで、すぐ下のゾウリムシともどもパリパリっと、まるで三杉くんの心臓のように繊細で危ういその存在。その薄氷を踏むような日常生活。さぞかし、息苦しいことでしょう。

 旧市街をプラプラと歩き、夕暮れも迫ってきたため城門へ戻ろうとすると何やら騒ぎが起きている。隣合った商店の若い息子同士が、すさまじい口論を繰り広げているのだ。時が経つにつれ殺気立ってきた息子の1人が突然家の中に引っ込むとすぐまた戻って来たのだが、ふとその手に注目すると
包丁が握られていた。
 それを見た親父は息子に飛びかかり、後ろから抱きついて必死に若き凶行を止めようとしている。

 うーむ。

 
殺伐としている。

 このエルサレムの冷ややかな空気はエルサレムという場所のせいなのか、それともユダヤ人のせいなのか。それとも、先進国の空気というのはこういうものだったっけ。
 考えてみればまだ3月になったばかり、そしてオレは日に日に北上しているのである。ああ、これからどんどん寒くなりそうじゃのう……。







 嘆きの壁










今日の一冊は、ヨルダンで出会った日本人旅行者と交換したのがこの本  “I t”(それ)と呼ばれた子 幼年期 (ヴィレッジブックス)





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