〜ブランタイヤ−ムズズ〜





 仲本くんとヒキタさんはオレの行かないルワンダを経由して南下してきた。彼らの撮影して来たルワンダの虐殺記念館の光景は、近さを感じるせいか衝撃的に生々しい。


「いや〜、やっぱ匂いはきつかったっすねー」


「ワタシは途中でダウンした。2部屋くらいで気分悪くなっちゃって……」


「表情がすごいんですよ。死体の。殺される瞬間の表情がそのまま固まってるんです」


「あわわわ……」


 ビデオカメラに映る虐殺記念館は、記念館といえどもただの死体置き場の風景だ。廃校にとにかく置けるだけ死体を置いているだけで、ケースも仕切りも全くなく、古いものはほとんど骨になり、新しいものはまだピンク色の肉が残っている殺された人々が、折り重なって視界を埋め尽くしている。その数は1万体を超えるそうだ。
 ルワンダの大虐殺では50万人以上がわずか数ヶ月のうちに殺されたという。もちろんそんな話は今ガイドブックを読んで知ったのだが、実際オレも含め、遠い国にいる人にとって、「ルワンダ大虐殺」という出来事は「そういえば昔そんなニュース聞いたなあ……」レベルの話だろうと思う。しかしこの物理的、感覚的な近さ、逃げているところを撃たれたのだろうかビデオの中で
断末魔の悲鳴をあげたそのままの形で硬直している死体を見ると、感情というより根本的に恐ろしい。ニュースはニュースではなく、実は現実の出来事なのであった。
 
 さて、そろそろ出発の時間である。オレは今日の夜行バスで再度北上、リロングウェを抜けてマラウィを縦断し、一気に国境近くの街まで向かうのである。約5万円という、
B’zの年収にも匹敵するほどの大金を手にし、金銭的にもかなり裕福になり、いよいよアフリカ縦断の旅へ復帰するのだ。
 オレがベッドから蚊帳を取り外し、丁寧にたたみバックパックに押し込んでいると、ヒキタさんがオレの荷造りに関してインネンをつけてくる。


「ちょっと、その蚊帳ちょっとモコモコしすぎじゃない? いくらでもボリューム減らせるわよ。もっとキチッと折った方がいいよ。これだから男ってものは……」


「いや、これで限界なんですよ。たしかにじゃまですけど、これ以上小さくならなくて」


「そんなわけないでしょ! ちょっと貸してみなさい。畳んであげるから」


 そう言うとヒキタさんはオレからせっかくたたんだ蚊帳をひったくり、再びおっぴろげてしとやかに自分流に折畳み始めた。そして3分後、最終的に彼女がまとめた蚊帳は、最初にオレが折ったものと全く変わらない体積の、モコモコした物体になっていた。


「ほらね……」


「……」


「……」


「……ムキーーッ!! ちょっと! なんなのよこの蚊帳はっ!! 私たちのなんてこんな小さくなってるのに!!」


 たしかにひきたさんと仲本くんの持っている蚊帳は、2つ足してもオレの蚊帳の半分くらいの持ち運びに非常に便利なお手軽サイズであった。


「だって僕の蚊帳2人用なんですもん……だからものすごく容量は取るけど、この大きさで持ってるしかなくて……」


「なんで2人用なのよ!! あんた一人旅でしょう!!」


「だってカップルにもらったから……他にくれる人いなくて……」


「なんでカップルが入ってた蚊帳なんか使ってるのよ!? それであなた悔しくないの? それでも男かよっ!! さみし〜!! かわいそ〜っ」


「そんな言い方しなくても……(涙)。これしか持ってないし……(号泣)」


 カップル用の蚊帳の中でたった一人ポツンと寝る男は、旅先で会ったほとんど初対面の女性になじられ、べそをかきながら一生懸命出発のために荷造りをした。いいんだ。泣くことは、決して悪いことじゃない。1滴1滴の涙を力に変え、明日へ向かう原動力にしてゆけばそれでいいのである。
 それにしてもヒキタさんの上品な外見とその下……いや、
奔放な中身のギャップには非常に驚かされる。クイズ番組で優勝し、アナウンサーに、「おめでとうございます! 優勝賞品は、信頼と品質のロマンかがやくエステールから……」と言われ喜んでいたら、「信頼と品質のロマンかがやくエステールから、ひきわり納豆30パックをお送りします」とでも続けられたようなわけのわからなさだ。なにしろ彼女は、ガイドブックも持たずにとりあえずアフリカ縦断しようとしてエジプトに来たはいいが、実際来てみたらどうやって縦断したらいいかわからず、同じ宿にいた仲本くんの後を数千キロにわたってアフリカ大陸を尾行してここまで下って来たというのだ。その美人な容貌からは全く想像もつかないいい加減な性格である。
 
 6時前になり、オレは荷物をまとめて宿から目と鼻の先にあるバス乗り場へ向かった。たった一晩しか空間を共有しなかったにもかかわらず、心優しい青年、仲本くんがオレを送ってくれる。たとえ短い期間でも、辺境の地で出会った旅人同士の結束力というのは、
高校2年の女子グループが結成した彼氏作らない同盟など比較にならないくらい堅固なものなのである。ところで、さっきまでオレと話してたもう一人の旅人仲間(女)はどこ行った。


「いやー、わざわざ悪いねー」


「いいんですって。どうせ夕メシ食いに行くとこでしたし」


「仲本くんもうすぐゴールだと思うけど、気を抜かないようにね。ヨハネスブルグあたりで気を抜いたら
その瞬間殺されるから」


「作者さんもナイロビとか気を付けてくださいね。あそこの強盗は
数で勝負してきますから」


「じゃあお互い元気で!」


「そうですね、またどこかで!」


 一期一会の瞬間である。別れの会話の中に
強盗、殺人といった話題が上るのはアフリカならではのことであるが、オレ達はこうしてそれぞれの旅の健闘を祈り出会い、別れて行くのである。


「ん? あれはなんだ??」


 仲本くんの背後、宿の方向から何やら
女ギャングが走ってくる。全身黒ずくめのギャングは、オレ達に追いつくとゼエゼエ言いながら殺意の目線を投げかけて来た。


「あー、暑い……。作者くん、もう行っちゃうんだ。先は長いけどがんばってね!」


「ひ、ヒキタさんですか……。見送りありがとうございます。っていうかその女装したゴルゴ13みたいな出で立ちはなんなんですかね……」


 目の前のギャングはこのアフリカの猛暑の中
漆黒の長袖長ズボン、帽子を被りサングラスをかけ、首にはスカーフを巻き手袋をしている。六本木ヒルズあたりでお忍びデートしている若手女優にはもってこいの服装だが、アフリカ大陸においてはほぼ変質者である。


「見てるだけでも暑くなってくるんですが……。な、なんか顔が見られちゃまずい理由でもあるんですか? やっぱり諜報員か何かでしょうか……」


「作者くん、知らないの? 紫外線は肌に良くないのよ? アフリカは日差しが強いから、外に出る時はこうやって、できるだけ日光を浴びないようにしてるの」









 ……。










 
おまえは日本に帰れーーーーーーーーーーっ!!!!!
 
 
そのセリフ、根本的に間違ってるぞ!! どう考えても今のは女一人でアフリカ大陸を縦断しようとしていた人間の発する言葉ではない。ここまで場違いな発言も近年稀に見るバカバカしさだ。ミッション遂行中のチャーリーズエンジェルが、「イタ〜イ! もーっ、ワタシ子供の頃から運動とかからっきしダメなんですよ……」と弱音を吐くようなもんである。


「あのー、あんたはなんでアフリカを旅しようと思ったんですかね……」


「ヒルトンよっ!!」


「ひ、ヒルトン?」


「そうよ。ジンバブエって、闇両替のレートが凄くいいんでしょ?」


「は、はい。たしかに」


「だからジンバブエにはヒルトンホテルに20ドルくらいで泊まれるって聞いたのよ!! ヒルトンのスイートに泊まって部屋の窓から中庭のプールを見下ろす。それが私の野望なのよっ!!!」


「はあ。そうなんですか……」


 じゃあわざわざ北から来なくても南アフリカから入ればすぐにたどり着けたんじゃ……。
 まあアフリカ縦断の理由のわけのわからなさについてはあまり人のことをとやかく言える立場ではないが、それにしてもこの女性の思考回路はオレの常識を遥かに超えるものがある。この意味不明ぶりは、久しぶりに
インド人との会話を思い出すな……。 

 さて、2人に見送られ遂にブランタイヤを出たオレは、一人眠れぬアフリカのバスの中、15時間かけてひたすら北へ向かった。
 とにかくバスの移動が多い旅である。アフリカには鉄道がほとんど敷設されておらず、人間が長距離を移動するには車がメインになっている。一応アフリカ唯一の近代国家である南アフリカ共和国の主要都市は
走る5つ星ホテル・ブルートレインで結ばれており、旅行者に豪華な旅を演出しているようだ。だが、ケープタウン〜プレトリア間の乗車料金が10万円くらいすることもあり、オレの移動手段の選択肢にはたとえローラーブレードが加わることはあろうともブルートレインが加わることは無かった。
 ただ、旅行者が利用する長距離バスは、時折犯罪の現場ともなる。ザンビアのバス停で出会った日本人は見事にバスの中で睡眠薬で眠らされ、多くの荷物を奪われていた。JICAの新藤さんに見せてもらった危険情報によると、ここから北、タンザニアやケニアに向けてはバスを武装強盗が襲うこともよくあるらしい。突然銃を持った強盗団が道を塞ぎ、バスの中に乗り込んできて乗客の貴重品を全て奪って行くというのだ。「バスに乗る時はこうした強盗団などに充分注意すること」。彼の持っていた資料には、生々しい警告が書かれていた。もちろん、
どのようにしても注意のしようが無いことは言うまでもないだろう。
 
 マラウィを縦断し、通路まで荷物溢れるバスは闇の中をひた走った。寝静まる黒人の中、一人眠れずに窓の外の暗闇に
ライオンや強盗の影を思い描き、恐怖におののく。そういえば、今日はクリスマス・イブ。遠い異国でこんなロマンチックな聖夜を迎えることができるなんて、明石家サンタを見ながら一人でポテチを食っていた去年の寂しいオレが知ったら、きっと「それに比べりゃまだ今の方がマシだ……」と自分を慰めるだろう。
 こうして精神的にも肉体的にも消耗しきりようやくウトウトしだした朝もやの頃、オレ達は終点である北の町、ムズズに着いた。





今日の一冊は、あまりにバカバカしくていろいろどうでもよくなる おやすみなさい。 1巻






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