〜ナイロビの恐怖3(いろんな意味で)〜





 ナイロビに宿泊していると、宿の仲間との友好が通常の5割増しで深まる。なぜならば、日の入り以降に街へ繰り出すことが自傷・自虐・自殺行為であると誰もが知っており、その結果夕方6時を回る頃には宿泊客はほぼ全員宿に帰って来ているという、
ヤクザが生活指導を担当している中学の修学旅行なみの怪現象が起こっているためである。
 ある日の昼食後、オレはスズキワゴンRの内部ほどの広さの(狭いという意味だ)宿の公共スペースで、ルームメイトとひと時の団欒を交わしていた。オレの2つ隣のベッドで寝ているカナダ人のドラドは、以前インドに行ったことがあるらしく、色々とインドのいいところを教えてくれた。


「作者、インドといえばやっぱりタージマハルだよ。あそこはなんていうか、ミステリアスな雰囲気でいいんだよな」


「ふーん。たしかに普通インドって言われてすぐ思い出すのはタージマハルだね……」


「でもガンジス河もいいぞ。バラナシとか景色が凄くて」


「なるほど。ガンジス河とバラナシ……」


「ただな、ひとつムカつくのがあるんだ。インドでタクシー代わりに使うリクシャな。運転手どもが金にうるさいやつばっかりで料金で毎回揉めて揉めて……もうホント最初の料金交渉してる間に歩いたら着いてるんじゃないかってくらい出発するまで時間がかかりやがって……ああ、なんか思い出したらイライラしてきた」


「……」



 
わかる。わかるぞその気持ち(涙)。

 ああ、一緒にインド人にムカつくことのできる、この国籍を超えた親近感。こうして旅人同士の友好にこっそり一役買っているとは、今日もまたインドの奥深さが身に染みる。まあ奥深いというか、あくまで彼らが切実に、一生懸命に旅行者を騙そうとしていることから自然に生じた副産物なのだが。
 そこでオレも、
ジェダイの騎士に追放された暗黒卿のごとくインドへの復讐を誓っていることをカミングアウトし、ドラドと一緒にインドへの誹謗中傷で話弾む。経験したもの同士、会話はかなり強烈だ。ここにインド人がいたらきっとオレ達を名誉毀損で告訴するだろう。
 しばらくすると、もう一人のルームメイトであるスウェーデン人のステファンがなにやら興奮しながら帰って来た。


「ドラド! 作者! いやー、オレやばいもん見ちゃったよ……」


「やばい? へー、それは大変だったね……」


「やっぱり恐いよなー、ナイロビは。っておい、何を見たのか聞いてくれよ」


「聞きたくねー……。聞いたら絶対気分悪くなりそうだもん……」


「でも話したいんだから聞いてよ」


「わかったよ……何を見たの?」


「ケニヤッタ通りの歩道を歩いてたんだけどさ〜、一人の黒人がなんかもの凄い勢いでオレを追い越してったんだよ」


「へー」


「そしたら後ろから5人くらいが叫びながらそいつを追いかけて行くわけさ。でしばらく見てたら、逃げてる黒人がいきなり脇から飛び出してきた車におもいっきり跳ねられたんだよ」


ぐはあっ!! やっぱ聞かなきゃよかった……」


「でさー、すぐに後から追いかけてる奴らが追いついたんだけど、
車に跳ねられて血ぃ流して倒れてる黒人を5人がかりで更にボコボコに殴ってるんだよ。ありゃー多分死んだな……」


「天にまします我らが神よ。どうか僕が明日も、無事で安らかで穏やかな一日を送れますように。私はただつつましく、しかし平穏にナイロビを出たいだけです。犠牲になった黒人さん、呪うんならどうぞステファンを呪ってください」


こらこら!! なんてこと言うんだ! 大体おまえキリスト教徒じゃないだろうが……」


「そんな浮世離れした目撃談を持ち込まれたらインチキキリスト教徒にもなるんだよ!!! これでまた恐くなって街歩けなくなるじゃないか!!!」


「別にオレだって見たくて見たわけじゃないんだけどね……」


 
……全く期待を裏切らない都市ナイロビ。まさに噂通り、いやそれ以上だ。オレは本当は、「噂では悪い話ばっかりだったけど、実際来てみたら全然危なくなくて期待はずれ」という、K-1転向後の曙なみの拍子抜けを心から望んでいたのだが、どう考えてもナイロビは曙のパンチよりも遥かに破壊力を持つようである。今から考えれば、夜中にリクシャの運転手と揉めてバカヤローとか言えていたインドがユートピアに思えてくる。


「くそ……今ので半分以上気持ちが萎えたけど、じゃあドラド、ステファン、オレ午後は髪切りに美容院に行って来るから……」


「あれ? 出かけるのか? ならオレ達はゆっくりさっきの続きで盛り上がるから、作者も車に轢かれたり黒人に囲まれて殴られたりしないように気をつけてな。グフフ……」


「グフフと言うんじゃない!!!」


「ヘアスタイルなんてくだらんことを気にするばっかりに危ない目にあっても知らんぞ〜」


「そりゃあんたは髪がないからラクだろうさ!!!!」



 ↓左ドラド、右ステファン





「そう、やっぱり夏の男はスキンヘッド。おまえもどうだ? シャンプーの必要が無いから若干荷物が減るぞ?」


「微々たるものだろうがそんなもん……。大体、残念だけどオレはボウズが悲しいほど似合わないんだよ。一度大学の時丸刈りにしたことがあるけど、
ボウズにして失敗したヤツ・オブ・ザ・イヤーを井上晴美と争ったくらいだから」


「そりゃ相当なもんだな……」


「じゃあ、行ってきます。混沌としたナイロビの街へ」


「無事でな〜」


 ハゲのステファンに心の平穏を脅かされながら、オレは散髪をするために美容院を探して街へ繰り出した。思えばもう日本で最後に髪を切ってから2ヶ月以上経っており、オンザ眉毛のルールも守れず立派な校則違反になっている。本来ならば花輪くんのように常にクシを携帯し、ベイビーベイビーと叫びながらヘアスタイルを気にかけるオレは、いくらアフリカ在住といえども伸び放題生え放題で放置しておくのは2ヶ月が限度であった。第一、このアフリカ最後の都会を逃すとこれから先は
床屋の存在すら危うい。

 とりあえずオレは人通りの多い道を、相変わらず防犯対策で5秒おきに後ろを振り返りながら、更に車に跳ねられないよう横断歩道では手を上げて左右を確認して渡り、さまようこと数十分、近隣では比較的がんばっていると思われる一軒の美容院を発見した。立て看板には一応モデルと思われる黒人女性が髪をキチっとまとめて写っており、ガラス張りの店内は
異様に暗いことを除けばオシャレ美容室にマネキンの頭などを飾り、一生懸命だということがうかがえる。
 おそらくこんなオシャレ(ナイロビ基準で)な場所には男は来ないだろうから、客は女性ばかりであろう。しかし、それがいいのである!! 
宅八郎と同じくらい髪を気にかけている立場としては、長髪を切り慣れている繊細な美容師こそが、期待するスタイルなのである。
 オレはカリスマを求めて、やや緊張しながらドアをくぐった。


「あ〜ら!! いらっしゃ〜い!!」


 おおっ! やっぱり客もスタッフも女性ばかり!! これならきっと女性らしいこまやかなヘアーカットが望めるはずだ! さあ、
オレをパクヨンハにしてくれ!!!


「ハロー、すいません、僕は男ですけど、決して間違えて来たわけじゃありません。日本人の男は、女性のような長い髪をしていることが多いんです。だから敢えて僕はあなたにお願いしたいんです。希望としては、パクヨンハのようにさわやかでモテモテの……」


「ちょっと! お客さんよ!!」


「あいあい〜。オオ! おまえは中国人か? 日本人か? まあ、早速だけどここに座れよ」


「……。そ、そんな……」


 女性店員の呼びかけで奥から登場したのは、毎日毎日ケニアの高校生の頭をバリカンで刈り込んでいそうな、ごく普通の私服のおっさんだった。い、いや、普通に見えても、実はおっさんこそがこの美容院のトップに君臨するカリスマ美容師なのかもしれない。オレは、徳川埋蔵金を探して
赤城山を地形を変えるまで掘りまくる糸井重里なみに気合を入れて彼のカリスマを探してみたのだが、探し方が悪いのか、三国志で言えば長沙の韓玄レベルのわずかなカリスマしか見当たらなかった。


「はい、これが料金表だ。今日はどのようにいたしましょう??」


 メニュー一覧を見ると、「lady」の横に「Men's」の文字が。予想に反して、この床屋は普通に男も通う床屋であり、おっさんが男の客担当なのである。メンズのカット料金を見ると、200シリングとなっていた。約350円である。

 ……。

 もっととってくれ!! イヤ! そんな安いのイヤ!!
 せめて3000円くらい払わせてっ!!!
 破格のカット料金の床屋ほど怖いものはない。そもそも、アフリカの黒人は全員丸坊主なのである。このおっさんも、どう考えても今まで
丸刈りしか刈ったことがないと思われるのだ。だ、大丈夫か……オレの、全盛期の広末涼子のような魅力的な髪を、目の前のケニア人のおっさんに任せていいものか……??
 カリスマおっさん美容師は、嬉々としてオレの頭を見つめている。
もの凄く切りたそうな表情である。本当なら女性担当の人にお願いしたいのだが、この嬉しそうな顔を見たら、今さら「チェンジ!」なんて申し訳なくて言えない……。


「あ、あの、とりあえず切って欲しいんですけどね、2ヶ月分くらい」


「うんうん。どんな感じにすればいいんだ??」


「別にこのまんまのスタイルで減らしてもらえればいいんですけど、前髪は決して揃えないでくださいね。敢えて長さをバラバラにするというのが日本の美容業界のスタイルなんです(適当な発言)」


「なるほどねー。わかったわかった。このヘンはどうするんだ? 真っ直ぐ横一直線に切っちゃっていいか?」


「絶対駄目です!!! モミアゲはあくまでスーっと細くなるように、水墨画のように、穂を垂れる稲のように……」


「難しいこと言うなおまえは……。まあでもわかったよ。希望どうりパクヨンハそっくりにしてやろうじゃないか。じゃあ始めようか! よろしくな!!」


「おねがいしますね」


 視界には厚い霧がかかり、嵐が近づく予感がする見通しの立たない不安な船出であるが、もうこうなったら暗流に身を任せるしかない。
 おっさんは普段使わないのだろうと思われる、ハサミやクシなど各種バーバー道具を用意し始めた。そしてもうひとつ見慣れた器具を出し、カチカチといじくり回して調子を見ている。


「ちょっと待っておっさん!!! 
あんたそのバリカンで何をしようとしている!!??」


「いやー、これを一番長く切る設定にしてみたらもしかしたら丁度いい長さになるかなと思って」


「ならないよっ!!! 絶対ならない!!!」


「でもオレ達が普通切るときはこの一番短いところにツマミをあわせるんだぜ。これを一番長くしてみたらどうかと……」


「バリカンはどれだけ調節しようとあくまでボウズでしょうがっ!! 長めのボウズでもボウズはボウズなんだって!!! さっきちゃんと希望伝えましたよね!!!」


「だから刈るのは後ろの方だけにして、前髪はちゃんと長めにしとくから……」


「そりゃ大五郎だろうがっ!!! 恥ずかしくて日本に帰れるか!! ケニアスタイルからは大きく外れてもいいから、長めで切ってお願い!!!」


「じゃあ全部ハサミで切るか?」


「そう。そうしてください」


「しかたないな……」


 これだからボウズしか刈ったことのないおっさん美容師はいやだったんだ……。それとも単純に子連れ狼ファンなのか? しかしオレの必死の説得を受け、慣れないハサミとクシを手に、おっさんはジョキジョキとオレのヘアーを刈り込み始めた。
 ジョキジョキジョキ……ブチッ。ジョキジョキ……ブチッ。


「いたいいたい!!」


「おうっと。すまんすまん」


 ジョキ……ブチッ。ジョ…ブチジョ…ブチ……ブチブチブチッ!!


「いたたたたたっ!!!!」


「おおっ。ソーリーソーリー」


 悪いのはハサミのキレかおっさんの腕か、どちらにしろ、10本の髪を切るのに
8本をハサミで切って2本は引き抜くといった、購入14年目の芝刈り機のような荒療治。もはやオレの目には、日本のカリスマ美容師をアントニオ猪木だとするとおっさんには春一番程度のカリスマしか備わっていないように見える。
 もちろんおっさんの名誉のために言っておくが、彼は丸刈りを刈らせたらこの道の権威、
ナイロビでも1,2を争う有名なマルガリスマであるかもしれない。バリカンを扱う技術は日本の美容師の何倍も優れているだろうが、ただし世界には色々な髪型があるのだ。趣向の違う客のニーズに応えられるようになれば、おっさんの仕事の幅も広がりますます客が増えるだろう。だからオレはあえておっさんを批判させてもらう。というようなキレイごとを言っておくと旅行記を書く時に反感を買わなくていい。

 ジョキジョキジョキ……ブチッ。ジョキジョキ……ブチッ。

 ジョキジョキジョキ……ブチッ。ジョキジョキ……ブチッブチカランコローン


「おおっと。失礼。よいしょっと……」


 ジョキジョキジョキ……


「……」



 
落としたハサミを拾ってそのまま使い続けるんじゃないっ!!!!
 汚いんだよっ!!!!



「おおっと」 カランコローン


 ジョキジョキ……ブチッ……「おおっと」 カランコローン


 
ハサミとクシを落とすな!!! 落とした物を躊躇せずに使うなっ!!! 髪を抜くな〜っ!!!




 ……。




 そして苦闘の末の1時間後。おっさんの動きが止まった。


「よし、前髪もちゃんとオンザ眉毛の短めにしといたぞ。どうだ、見てみるか?」


「はい。じゃあ厳しくチェックしますよ」


 でかい鏡を取り出してオレの正面に掲げるオヤジ。ちなみにここには壁に備え付けの鏡は無く、要所要所で店員がでか鏡を出してきて客に見せるスタイルになっている。
 そして正面にそびえる鏡の中のオレの前髪は、
広大なアフリカに続く地平線と限りなく平行に、寸分の乱れもなく完璧に横一直線に揃っていた。


「……おっさん。なんで前髪こんな揃ってんのかな……」


「まだ終わってないぞ。横も整えて……と」


 ジョキっ


「今何切ったの!!! ハサミを地面と水平にして何切ったの!!!!」


「よいしょっと、あと反対側もな」


 ジョキっ


「おおおおお……」


 オレの左右のもみあげは、先ほどおっさんの手によってデザインされた
松岡修造の情熱のように真っ直ぐな前髪ととことん平行に、同様に水平線を描いて完全な横一直線を作り出していた。


「ま、ま、まま、真っ直ぐにしないでって……穂を垂れる稲のようにって言ったのに……」


「そうだっけ? よく意味がわからんかったからさ」


「ずおおおおおおおおっ(号泣)」


「そんな悲しそうな顔するなよ……。すごくかっこいいと思うぞ? ベリーナイスだ! なあ、そうだよなあ?」


 おっさんは、隣で女性客をカットしている女美容師に意見を求めた。


「……。そうね! ビューティフルだわ!」




 ……。






 
今あんたオレの頭見て0.8秒固まっただろっ!!! その間はなんだ!!! 僅かでもオレは見逃さんぞっ!!!

 
ビューティフルね! と言いながら、明らかにその瞳の奥に光る本心は「ちょっ……とそれやっちゃったんじゃない?」と語っている。こればかりは黄色人種と黒人、人種が違ってもわかる。どう考えてもその表情はビューティフルなものを見た表情ではない。彼女は、すぐさまこれ以上この人達と関わりたくないということで、再び自分の客に取り掛かりあちらはあちらの世界に戻って行った。
 ははは……って
はははで済まされる問題ではない。これはどういうことか。この平行線は何か。もみあげの直線と前髪の直線の平行を使って、同位角と錯角を利用して角度を求める例題を作成できるくらいである。一体ここの美容室は客というものをなんと心得ているのか。
 しかしこうなってしまったものはどうしようもない。すでに相当な短さになっているため、これ以上前髪をいじられたらおでこがベティちゃんくらい広くなってしまう。
 オレは考えた挙句、生まれて初めて、我がかわいい毛髪を金髪にすることにした。まさかこんな決断が出てくるとは思わなかったが、まだ色をつけた方がこの不気味画像をごまかせる。このまま黒髪でいたら
お菊人形と間違えられて供養されることも考えられる。

 シャンプーに別室へ連れて行かれ、終了後に染めに入ることになった。キャラクターに反して大分派手になってしまうが、いた仕方ない。ここに来てオレも遂にドリアン助川や上田馬之助の仲間になるのである。


「じゃあ、乾かしてから染めるから」


「はい……」


 ドライヤーを手に取り、スイッチを入れるおっさん。勢いよくブオーッと、温風が吹き出て……ブチッ。


 ……。


 いきなり店内真っ暗なりました。ドライヤー止まりました。停電なりました(号泣)。


「オオッ……。すまん、ちょっと電気切れちゃったみたいだから、乾くまでしばらく待ってようか」


「もうどうにでもしてくれ(涙)!!」


 そしてオレは、そのままの体勢で髪が乾くまで30分待機、結局金髪にはなったが色が変わったからといって結局直線が曲線になるわけでもなく、ちびまる子ちゃんスタイルのままおっさんに別れを告げ美容院をあとに、その後しばらくはことあるごとに鏡を見ては意識を集中し、「曲がれ……曲がれ……」と真っ直ぐに揃った前髪に向かって念じる日が続くのだった。





今日の一冊は、成功談の部分も失敗談の部分も勉強になる 我が闘争 (幻冬舎文庫)






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