〜新春氷河トレッキング3〜





 壁にへばりつきながらソロソロと進んだ恐ろしい平らな道(Aカップ程度)は終了し、再び急斜面を上ることになった。目の前にはほぼ壁のように
コースレスな山肌が立ちはだかっている。
 しかし今度は先ほどまで登っていた、岩だらけでゴツゴツの芸が無い斜面とは違う。山の神というのは女性だというのをどこかで聞いたことがあるが、おそらく今年初めての美男子に登られていることを悟った山は、
姫はじめのつもりになったに違いない、いきなり少し色気を出してきた。そう、そのゴツゴツの肌に、うっすらと雪化粧をし出したのである。
 ……ああ、キレイだよウルタル。その生娘のような、白く敏感な肌。スベスベな肌……ツルンツルンな肌……
滑るんだよてめえっ!!! 山なんだから山らしくゴツゴツのナチュラルメイクでいいだろうがっ!! もっと自分自身の肌を大切にしろよっ!! 親からもらった大事な体だろうが!! 元がゴツい奴にいくら白塗りをしても、バカ殿にしか見えないんだよ!!! 上る人間がどれだけ危ないと思ってんだてめーエーコラ!! アイアムチョーノ!! ツルンッ ぎょえ〜〜〜滑る〜〜〜〜〜(号泣)!!

 先を行くガイドのジャンは雪も斜面も全くお構いなしにホイホイと登っていくのだが、オレは四つんばいになりながらエネルギーを手の平と足の裏に集中、熱を発して雪を溶かしながら進むという
今まで封印してきた特殊能力を存分に解放せざるをえない状況に陥った。ああ、これでオレが本当は人間じゃないことがばれてしまうではないか……ううう……もう僕はこの星にいられなくなってしまうんだね……(涙)。


「よしよし、よく上ってきた。なんだか痩せたな、作者」


「フッ……だが、まだ生きている。ところでジャンさん、この急角度じゃあ、もうさすがに上れるところが無いような気がするんですが。こんな鋭角の岩場を普通に上って行けるのは、せいぜいヤギか
TBSのSASUKEに命をかけている人たちくらいじゃないでしょうか。もしかして、トレッキングはここで終点ですか?」


「まだまだだよ。ほら、ここに通れる道があるだろう。この道から上がるぞ」


「え? どこの道? 白川道?」


「ここだよ。この道に沿って斜面をせり上がりながら」



 ジャンが道だと言い張っているのは、この写真で矢印で示したところである。



 なあ、
あんた「道」という言葉を広辞苑で調べてみろよ。
 いったい誰がどう見たらこの
雪が積もった壁を道だと言える? 犬だってここに差し掛かったら、「あれ? もう道がないワン!」と言って引き返して行くに決まっている。ネコだってここに差し掛かったら、「あれ? もう道がないニャン!」と言って引き返して行くに決まっている。牛だってここに差し掛かったら、「あれ? もう道がないモー!」と言って引き返して行くに決まっている。それを人間のおまえが道と言うかっ!!! 脳が進化した分、身体能力が動物より劣化した人間のおまえがこれを道と言うのかっ!!!!

 ……。

 さあ、行くか……。

 オレはジャンの手をついた岩、踏み込んだ窪み、それら一つ一つを完璧に脳内CPUにコピーしてその通り辿って進んだ。未知の岩に足を置いてはいけない。新たな足跡を作ってはいけない。
「敷かれたレールの上を歩く人生なんてイヤだぜ!」と叫んでチャレンジ精神を発揮した途端、ここでは転落死することになる。

 究極の緊張感を保ちながら全身をタコのようにして斜面に貼り付き、しばらく進むと今度は2mほどの高さの直角の斜面
(それは斜面ではない)が目の前に登場した。ジャンはハッホッと出っ張った岩を利用して登って行ったが、オレはこれでジ・エンドである。も、戻ろう……。山を下りよう……。
 と、上からジャンがピッケル代わりに使っている木の枝が下りてきた。


「さあ、これを両手で強く握って。足は岩に乗せて。いくぞ〜。ファイトー!


「いっいいっ、いっぴゃぁぁぁ〜〜ちゅ(号泣)!!


 リポビタンDのCMが貧弱になった、
ヒホヒタンAくらいのなよなよした迫力でオレは木の枝を掴み、ジャンが手を離してオレを殺さないように祈りつつ決死の思いで直角面を上った。もはや、このトレッキングを続けることに意味があるのかとか、どこを目指しているのかとか、本当に氷河が見たいのかとか、帰った方がいいんじゃないかとか、そういう全体的なことは目の前の1つの危険を乗り切ることに神経を集中しすぎているために一切考えられなくなっている。指揮官不在の状況というのはこういうことか。
 もし今の状況を客観的に見ることが出来るもう1人のオレがいたなら、きっと「おまえはここにいるべきではない。帰るのだ。
おまえのいるべきところへ帰るのだ〜〜!!」と織田無道の除霊ふうに数珠を持ち裸になって水をかぶりながら必死に叫んだに違いない。

 直角をひとつクリアしたはいいが、結局その先も雪が積もっていないところなどなく、平坦なところなどなく、しかし人間の慣れというのは怖いもので、
もし最初からここを渡れと言われたら「新垣結衣を1日自由にしていい券」をもらえることになったとしても断固として拒否するだろうが、小さな危険から徐々に徐々に大きな危険になっていくことによってなんとなく先に進んでしまうのが恐ろしいことである。
 人間は、少しずつ悪い方に変化していく物事に対しては感覚が麻痺してしまうものらしい。
羽賀研二が小さなワルから大きなワルになっていっても梅宮アンナはなかなか別れるふんぎりがつかなかったことからも、それがよくわかるだろう。




 もはやオレが歩いているのはこんな世界になっていた。







 ……あの、すみません。
 自分で言うのもなんですが、





 
おまえ正気か??





 ……いえ、
正気じゃないです(涙)。



 写真に写っているのが
左足だということに注目してもらいたい。左足ですらこの位置につかねばならないのだ。右足はいったいどこに着地させればいいのか。思わず空中に着地(着空)させようとしてもきっと右足はそのまま落ちて行ってしまい、その後は左足だけで歩かなければならないではないか。
 ……いや、違うか。
右足だけ落ちるなんてことはないか。なにしろ生まれてから30年近くずっと一緒だった右足と左足、もし右足が落ちて行ったら左足は友として、強敵(とも)として後追いの死を選ぶに違いない。彼らは一心同体、一蓮托生の存在なのだ。見た目もそっくりだし。
 ……。
 いや〜、
雪、崩れないでほしいなあ。雪さん、できるだけそのままでお願いします。なるべく崩れないように。難しいようでしたらいいですけど。
 もちろん危険の感覚がマヒしていたとはいえ、マヒしていたのは「進もうかやめようかどうしようか、ええい、行ってしまえー!」という最初の決断だけであり、1歩踏み出したその直後から
あ〜ごわ〜〜っ(泣)。引き返せばよかった〜〜〜〜っ(涙)。だれか〜だれか助けて〜〜〜〜自衛隊さ〜ん!海上保安庁さ〜ん!ヘリで救出に来て〜〜〜〜〜〜(号泣)という、「後悔」が世界陸上の公式種目になったらアジア記録を更新するのではないかというくらいの記録的な激しさの後悔を続けるのであった。
 ……。
 
見ない。下は見ないぞ。
 ……いや、ダメだ。
下を見ないと落ちる。
 1歩ずつ、1歩ずつ必ず、ジャンの足跡を辿って崩れないところを……。滑らないところを……。ああ、どうか神様、神様、もう少しだけ滑らず進ませてください……で思い出したけど、「神様もう少しだけ」といえばフカキョンだ。フカキョンは最近だんだん人形化しているような気がするけど、でも相変わらずかわいいなあ。これだけ長い間美少女前線でトップを張れる娘も滅多にいないよ? あのクリクリしたかわいい目をつまようじでツンツンしたいなあ……友達になりたいなあ……って
余計なことを考えるんじゃねえっっ!!! フカキョンのことを考えていると落ちるぞっ!!! 集中しろっ!!!!
 今は雪のことだけ。雪に集中。何が何でも雪のこと以外考えるな。雪……雪……小雪……小雪のうなじを思い浮かべると、それだけでなんか興奮してもっこりしちゃうんだよね……あの白い首筋に……あんなことやこんなことを……むひょひょひょひょおほっ…………うがーーーーーーー(自分への怒り)!!!!

 とこのように集中と混乱を繰り返しつつ、ガイドのジャンの献身的な助けもあって、なんとか傾斜の激しい部分を抜け、中腹でひと段落つくことができた。
 ……大丈夫? 
まだ命はあるかい? ……うん、大丈夫だ。先のことは誰にもわからんけど今はまだとりあえず持っているぞ。くそおお、まさかたかがトレッキングコースを行くだけなのに命が無くなる心配をしなければならないとは。それが最初からわかっていたら、わざわざ命をここまで持ってこずに宿のセキュリティーボックスに預けて来たのに(涙)。

 さて、引き続いてやや傾斜が緩やかになったトレッキングコース
もといただの崖を上るのだが、ここで先ほどの説教が効いたのか、デリケートな乙女・山姫ちゃんは雪化粧を一時途切れさせ、代わりに少しクールさを引き立たせる小悪魔メイクに挑戦し出した。雪化粧の次は、言うなれば氷化粧だ。岩と土の上に積もった雪が見事に凍り、薄い氷になって斜面を覆っているのである。
 いやあ、クールでいいねえ。単なる白塗りの厚化粧じゃなく、冷たさも感じさせるような薄い自然なメイク。いや〜、挑発的でゾクっとするね〜。輝いてるね〜〜。キレイだよ〜〜。




 
上れるかっ!!!!!!




 おまえなあ、オレがいつまでも文句を言わず黙って上り続けるだけの優等生旅行者だと思ったら大間違いだぞっ!!! たしかにここまでのしとやかな態度ではそう思われても仕方がないかもしれんがなあ、
清純なだけのオレはもうここまでなんだよっっ!!! 女優として一皮むけるために、今からは悪女役にもどんどんチャレンジしてやるからなっっ!!! この醜いブタめっ!!!!



「さあ作者、また気合入れて行くぞ!」


「ラジャー!! ブラジャー!!」



 
キエエエエエエエ〜〜〜〜〜〜ッ!!!! バリーン

 
キエエエエエエエ〜〜〜〜〜〜ッ!!!! バリーン


 1歩、また1歩。オレは清純派のイメージをかなぐり捨て、持ちうる全ての力を足の裏に集約、1歩進むごとに激しく地面を踏みしめ
足元の氷を叩き割り、明確な段差の窪みを作って足を固定した。左右に足を動かし、キッチリはまっているのを確認してから次の1歩を踏み出す。怒涛のように氷を踏みしだくこの時のオレの姿は、雑兵を踏み潰す黒王号や松風と瓜二つであったという。

 キエエエエエエエ〜〜〜〜〜〜ッ!!!! バリーン


 キエエエエエエエ〜〜〜〜〜〜ッ!!!! ツルリ〜ンッ


 
おああだまずざ〜〜〜っ(涙)!! すべった〜ずべっだ〜〜ああ〜〜(号泣)。

 油断してキエエエエエの力を少し弱めたところ、
氷の破壊に失敗し見事にキエエエエの勢いのままツルルンと滑った。斜面に這いつくばり、差し出されたジャンの腕と近くの窪みに捕まり必死に重力への抵抗を試みる。
 おおのれっ!! 遠慮なく滑りやがって!!! 
氷だから滑るのかよっ!! 氷だから滑ればいいのかよ!! じゃあなにかおまえ? 他の氷が泥棒してたらおまえだって泥棒になるのかっ!! 違うだろうよ。みんなはみんな、おまえはおまえだろうが!!! 他の氷がみんなツルツル滑るのか知らんけど、それを真似してるだけでどうするんだっっ!!! もっと個性を大事にしろよっっっ!!!! おまえは滑らなくていいんだよっ!! ツンツルリーン ほがはへへーーーーーーっっ!!! 落ちるっ!! 落ちるうううううっっ(号泣)!!!

 ……。
 オレは身をもって学んだ。絶対忘れない。よーく聞けみんな。
雪より氷の方が滑るんだ。実際に足を置いてみて、歩いてみて、上ってみてわかった。氷は雪より滑る。命を危険に晒して学んだこのことは、一生忘れることはないだろう。
 ……待て、待てよ。言葉を選べよそこのあんた。人がこんなに必死になって、自らの身体を実験台にして「雪より氷の方が滑る」ということを伝えているんだ。
その必死な人間に対して、「そんなこと考えりゃ誰でもわかる」とか心無い発言は決してするなよな!! あんたも大人なら!!! ツルル〜ンっ おあ〜〜〜〜っ(号泣)!!!!



「がんばれ! 作者!! あとひと息だぞ!!」


「あっ……見える! 平地が見える!! 遂に、遂にオレは着いたの? 着いたのか〜〜〜っ!!!」


「ああ、よくここまでがんばった!」


「うん、がんばったよ!! オレ、ウルタル氷河を見るために一生懸命がんばったんだ!! フカキョンや小雪のことなんて決して考えずに!」


「ウソつけ! 考えてたくせに〜!」


「いや〜んばれちゃった〜?」



 そしてオレたちは……。






今日の一冊は、暖かい部屋で読んでいても寒くなる 八甲田山死の彷徨 (新潮文庫)






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