〜その後の追記、告知など〜


※2016年追記:10年ぶりに中国を旅行してきましたYO!→ さくら通信「10年後の中国」


 みなさんこんにちは。旅行記「中国初恋」の作者です。
 このサイトの旅行記が完結してからすでに5年ほど、旅自体が終わってからだと(北京から帰国してから)もう10年が経ちました。
 サイトでの私「作者」はのちにペンネームを「さくら剛」と変えまして、作家活動をしていることはみなさまご存知でいらっしゃると信じたいですがしかし残念ながらあまり知られていないという現状もありまして、ここで少しだけ最近の活動報告や告知などを書かせていただこうと思っています。

 現実世界の作者ことさくら剛はなんとか現在まで作家として食いつなぎ、いつしか旅行記からサイエンス、サイエンスから心理学、心理学から小説から時事問題へ……と実にまとまり無くいろいろなジャンルの本を書きながら、気付けばいつしかデビュー10周年を迎え、しかしながら相変わらず家との親密さにおいてはヤドカリといい勝負というひきこもりな日々を送っておりますが、ここ数年は「いい加減外に出る生活をしないとおまえは人として終わるぞ」という心の声に叱咤され、一方では内なる悪魔の声が「どうせもうおまえは人として終わっているんだから、今さら外に出たってなにも変わらないさ」と囁き、他方では内なる天使が「そうだそうだ! おまえはもう人として終わってるんだ!」とダメ押しをかけてくるのですが、ええいっ、天使悪魔なにするものぞっ!!! 俺はまだ終わっていない! もう一度、あの頃の自分を! あの頃の腹痛を、あの頃の下痢を取り戻すんだ!!!
 ……という意気込みで、ガラにもなく年甲斐もなく近頃は国内そして近場の海外にちょこちょこと旅行に行くようになりました。そしてかろうじてあの20代の旅の気持ちを、あの下痢の苦しみを思い出して号泣しながら正露丸を飲み続けています。

 一応まっとうな社会人になったつもりである私はあの頃(下痢ソムリエの頃)とは違い半年も1年も休みが取れるわけではないので、本にしたり新たな旅行記サイトを作るほどの大陸縦断とか横断とかいう壮大な(ように見えて今やもう誰にでもできるんですが)旅には出られていませんが、しかし苦しい思い出は誰かに伝えてこそ報われるもの、あの下痢の苦しみを話さずにいられるかということで最近の旅行話についてはちょくちょくとネットラジオさくら通信の方で喋っております。
 さくら通信ではテーマは多岐に亘っており、どちらかというと旅の話よりはひきこもりライフやひきこもりライフを邪魔する世間の邪悪なものたちについてグチグチと難癖つけていることの方が多いのですが、国内旅行の話バックパッカー時代のこぼれ話、もしくは多神くんと一緒に語るアフリカ、その他もろもろ様々なことを気まぐれに語っております。一休さん結婚ファミコンの話なんかもあるよ。
「ネットラジオ」といっても耳なじみの無い言葉かもしれませんが、実はこれはラジオとは名ばかりの「音声版ブログ」のようなもので、いつでもどこでもパソコンかスマホさえあればクリックするだけで無料で聞ける通勤通学ひまつぶしに最適のお笑いコンテンツとなっております。作者およびさくら剛の最近の活動についてチラリとでも興味があるという方は、ぜひ1回分でも試しにお聞きいただければ光栄です。スマホからでしたら、podcastを聞けるアプリを入れてそちらで「さくら通信」と検索していただく方が聞きやすいでしょう。まあ上のリンク先から聞いていただいても構いませんし、なにはともあれ聞いて欲しいんだYO!! そうだYO!! 僕の高1のクラスメート森下YO!!!
 高校1年の時のクラスメート森下YOあらため森下洋くんは先日畏れ多くも僕のトークイベントに来てくださり、なんとあれ以来(エロマンガ事件以来)20年ぶりに再会を果たすことができました。今では新宿で行政書士事務所を開いている森下くん……みなさん信頼できる行政書士をお探しなら行政書士M&K総合事務所へ! 「さくら剛のホームページを見た」と言っていただければ、料金を割引くとかそういうサービスはなにもありませんが「ああそうですか」と答えてもらえると思います。

 旅の話に戻りますが、僕が最後に長期旅行に出かけたのは中南米縦断の旅です。それがおよそ5年前、その旅の話は本として出版されたのですがぜーんぜん売れなかったのでもう絶版の入手困難、それが「南米でオーパーツ探してる場合かよ!! 」なんですが、その中南米の旅以降は長期の旅(何ヶ月もかかるの)には出ていません。
 ただし先ほど述べた通りここ最近になって久しぶりに海外に短期旅行、あるいは長期ではないけど短期でもない中期くらいの旅行に出かけたりしていて、その旅の素敵なドグサレ思い出については上記さくら通信で随時語っていこうと思っていますので、今後のさくら通信にご期待ください。
 とりあえず先日(2015年末)は帰国後&デビュー後10周年の節目ということで中国へまた1人で行ってきまして、「ああ懐かしい、中国の旅ってこんなに頭に来て頭に来てたまらない絶望感と失望感と憤激にまみれたものだったんだなあ……。ぶっ殺すっっ!!!!」と激しく取り乱して腹痛地獄の下痢まみれになって帰って参りましたので、しばらくしたらさくら通信で不幸のお裾分けをするため旅の出来事と思い出について切々と語ることでしょう。

 余談ですが、アジア横断の旅から10年も経っただけあって、今や自分の旅のスタイルも、世間の人々の旅のスタイルも、大きく変わっていますね。みんな地球の歩き方とか旅行人の代わりにスマホ持って観光してるもんね……。
 自分に関して言えば、最近の旅は期間が短いため、縦断や横断していた頃と比べたら予算がだいぶ増えています。使えるお金が増えています。げへっ、グヘッ、げへへほほへへひゃっっ(笑)。
 でも別にそれは収入が増えたというわけではなく、例えば同じだけの予算を準備したとしたら、半年間旅行するのと1ヶ月しか旅行しないのでは1日に使える金額が6倍ほど違ってきます。1人旅であるので食べ物はあんまり変わらないんですが(1人ではなかなか高級店には入りづらいので必然的に安食堂となるのです)、宿泊費についてはかなり思い切って使うようになりましたね。
 もう、いいんです。「安宿」「ボロ宿」「地獄宿」のたぐいには、僕はもう一般的な日本人が一生のうちに宿泊する平均日数の何十倍も泊まってきましたから、もう何生分も安宿ボロ宿地獄宿に泊まりましたから、ドミトリーとか安宿とか宿泊費節約とかそういうのはもういいんです。卒業です卒業。20代ならまだしも、アラフォーにもなってドミトリーに宿泊して水の流れないボロ共同トイレに入って見知らぬ他人の排泄物の上に自分の排泄物を重ねて排泄ミルフィーユとかそんな基本的人権が尊重されていない憲法違反な行動ができるわけねーだろっっ(号泣)!!!

 人は、一度安宿から卒業すると、二度と再入学することはできないのです。それが人の世の定めというものなのです。毎日安宿に泊まっていれば安宿の環境が普通に思えるけれど、中級ホテルに慣れた後であらためて安宿に移ってみるともはやそこは宿ではなくゴミ処理場に宿泊しているような、そんな惨めでドギモチ悪い気分になるものです。20代の頃には合算すればまる1年以上は安宿に泊まっていたというのに。まさかあれがすべてゴミ処理場だったなんて。私は悪いキツネに騙されていたわ(※というのはウソで安宿も立派な宿です)。

 それから、予算の他に10年前の旅と比べて大きく変わったものといえば、それはバックパックです。
 インドの旅、アフリカから中国の旅、中南米の旅、いずれも私は重量20kgにも及ぶジャック・ウルフスキンのでっかいバックパックを背負って歩き回っておりました。それはそれは汗だくになり肩が痛くなったものです。
 カバーがかかっているのでわかり辛いですが下の写真が僕の全家財道具入りバックパックです(中国・鄭州にて)。



 一緒に世界を旅した黒パックくんも10年という月日には勝てず、部屋の収納に大切にしまっておいたつもりが南米からの帰国以来5年ぶりに取り出してみると湿気でカビが生え、もはや現役復帰は不可能な状態となっておりました(僕が手入れを怠ったせいで)。
 そこで黒パックには「今まで荷物を運んでくれてありがとうございました」と丁重にお礼を言って引退していただき、心機一転新規バックパックを導入することにしました。
 A型の几帳面さを400%発揮してリサーチにリサーチを重ねあちこちの旅ブログやネットショップのレビューを熟読しまる1週間くらい悩み抜いた末に、私が選んだのは俗称「2WAYキャリー」もしくは「2WAYバックパック」という、ある時はバックパック、しかしある時はキャリーケースにもなるという、変幻自在パックでした。
 下の写真こそが僕のニュー相棒であるソロツーリストスイッチパックくん(キャリーケース変身時)です。


買ったのはこの店の↓の赤
SOLO TOURIST ソロツーリスト スイッチパック55II (55L)

 ということで、つい最近、1ヶ月弱の旅をこの新しい相棒スイッチパックくんと一緒に過ごしてみたのですが、もはや「旅といえばバックパックだ」という考え方は滅び行く前時代的なものなんだなあということを実感させられました。車輪があるだけで、こうも旅の負担は変わってくるのかと。車輪とはこんなに素敵なものだったのかと。車輪というものが発明されて3000年以上経つのになんで俺は今ごろになって車輪のありがたさに気付くのかと(涙)。10年前に気付いていればどれだけ楽だったか。

 まあ「バックパッカー」という呼び名は市民権を得ているというか一部若者からは憧れを持って見られているようなので、「俺はバックパッカーになりたいんだ! そのためにはバックパックを担がなければいけないんだ!」とお思いの方がいましたらこのスイッチパックの取っ手をシャキンと収納して肩ひも(?)と腰ベルトを出せばあっという間にバックパックに変形するので、それを背負えば問題なくバックパッカーになれます。海外での旅において一度でもバックパックを背負えば、「俺、バックパッカーやってたことがあるんだぜ!」という台詞を発することが許されるのです。ちょこっとだけバックパッカーをやった後にはまた肩ひもを収納して取っ手をシャキンと出しその後はコロコロと転がしながら気楽に旅をすればいいので、ほんとにこの2WAYキャリーというのは見事な代物です。ちなみに僕が結論として辿り着いたソロツーリストのものは結構な値段がしますが、安物は車輪が壊れてバックパックとしてしか機能しなくなったり、背中にキャリーの部品が当たって痛くなったりするようなので(車輪が壊れた挙げ句に背負っても痛いとなったら地獄です)、こういうものにはちゃんとお金を出しましょう。
 そもそも発展途上国などではキャリーを転がせない場所の方が多いだろうと思ってましたし、これを買ってからもキャリーを転がせない道ではバックパック形態にして背負おうと考えていたのですが、実際にこの2WAYで旅をしてみて僕は気付きました。今の時代、キャリーケースを転がせない場所など地球上にほとんど無いということに。

 ……そう、旅といえばバックパック、バックパックなくして1人旅など成り立たぬ、キャリーケースごときが俺の険しい旅について来れるものか! と思い込んでいたものの、縄文時代ならいざ知らずこの21世紀の世界において、登山でもしない限り車輪が転がらない地面なんてもう無いんですよ。整備されているんですよこの地球は。
 もちろん今そうだということは、10年前もそうだったはずです。でも10年前は車輪つきのバックで長期旅行をしてる人なんて誰もいなかった。そう、俺たちはバカだったんです……。旅人はバカなんです……(涙)。
 なにかと物騒な世の中ですし、通り魔が出たりテロなどが起きた時に重いバックパックを体に合体させていたら咄嗟に逃げられません。普通は背負うだけでなく腰ベルトまで締めているので、外している間に犯人がやって来ます。それがキャリーならただほったらかして走ればいいだけです。ならばむしろただのキャリーケース、スーツケースで旅をすればいいと思うものの、背負えないキャリーケースで万が一車輪が壊れたらどんな事態になるかと考えると、やはりこの2WAYバックパック……、プライスレス……。

 そんなわけで、バックパッカーを卒業した私は、これからは年相応になってキャリーケーサー、いや、2WAYスイッチパッカーとして活動していきたいと思っております。
 できれば今後もみなさんに旅についての話題が発信できるように、ひきこもりがウリのさくら剛ではありますが、1年に1回くらいは部屋から出てどこかに旅に出る生活を送っていきたいと思っています。
 今後の発信の場はさくら通信またはブログまたはTwitterという感じになると思いますので、各所たまに確認しに来ていただければと思います。本業である作家活動としては旅行以外のジャンルの執筆が多くなっていますが、そちらの告知・活動報告も随時上記のネット各所で行っていきますので、今後もひとつみなさまどうぞよろしくお願いいたします。






TOP