〜ホーチミン〜





↓船の上で、犬をうまくセッティングして洗っている人。



 上の写真は「メコンデルタ・ツアー」という行事に参加して漂った、メコン川での風景である。
 そのツアーには日本人がオレの他にもう一人出陣していたのだが、そのもう一人はアンコールワット以来の再会となる、バックパックが他の旅人の2倍くらい重いのは
20kg分(期間にしてあと70年分)の不幸が詰まっているからだという冥界のバックパッカー、野ぎくちゃんであった。大丈夫だろうか……。この人また予想だにしない不幸に見舞われて周りを困らせたりしないだろうか。ボート上に突然発生したかまいたちに切り刻まれて血だらけになったりしないだろうか。楽しい雰囲気を壊すからやめてよそういうの。
 ツアーの昼食ではみんなで同じレストランに入って思い思いに注文するのだが、なぜかグループの中で唯一野ぎくちゃんが頼んだものだけが、「すみません今それは切らしておりまして……」と注文後20分ぐらい経ってから店員から報告され、彼女は
「じゃあもういらないっっ(涙)!!!」と涙目で一人ぶちキレていた。
 しかし当然腹が減った野ぎくちゃんは午後のツアーの最中にミニケーキとプリングルスを買ってバリバリ食っており、夕食で海辺のレストランに連れて行かれ豪勢な料理を前にした時には、
「お菓子食べ過ぎてお腹がいっぱいになっちゃった……(涙)」と嘆くのであった。小学生か。

 途中で上陸した島では、このようにやらされている感が強いかわいくないガキどもの歌などを聞かされる。



 こういうわけのわからない出し物はじっと聞いていて最後にそれなりに笑顔で拍手をすれば無難におさまるのだが、今回最悪なことが起きた。歌謡ショーの最後に、子供から大人から歌メンバーが集まって、
日本語で「シアワセならテヲタタコー♪」と歌い出したのである。
 おそらくこのツアーは、近くて金持ち・日本人の参加者が平均的に多いのであろう。そこで彼らなりに一生懸命練習して、日本人向けのサービスを考えてくれているのだ。それはそれでいいと思う。しかしそういうのは、
相手を見てやってほしい。おまえら、オレたちを誰だと思っているんだ。
 こういうので喜ぶのは、それなりにお年を召したおばちゃんもしくはおじちゃんのツアーグループだ。もしくは今が大東亜戦争中で、オレが
スマトラやインドシナで侵攻作戦中の日本兵だったら故郷の歌に涙を流して歓喜したと思う。あるいは最近知り合いになったバカの小林さんなら、バカだけに無邪気に喜んだり下手をしたら一緒に歌い出したりというバカすぎる展開もあり得るかもしれない。
 しかしオレと野ぎくちゃんは、
基本的に人が嫌いだ(野ぎくちゃん巻き添え)。皆さんご存知のように、オレは自分の中のどの人格を出しても全員にコミュニケーション障害がある。嵐のショーの人格がはしゃいだり歌ったりするのは、女子高生相手の時だけだ。その点はほぼ野ぎくちゃんも同じ。こういう微笑ましいシチュエーションへの対応能力など物心がついた時から無い。友人が彼氏のために名前入りのバースデーケーキを手作りしていたら、完成を待ってからフライパンでおもいっきり叩き潰すことを無上の喜びにするタイプの人間だ。
 この際知らんぷりをしてやろうと思ったのだが、歌っているベトナムの方々はオレたちの方を見ているし、
to make matters worse (=さらに悪いことには、そこへ持ってきておまけに)、同行のツアーガイドの野郎が「みんな、今彼女達が歌っているのはジャパニーズソングなんだぜ!」声高らかに発表しやがったのだ。その結果ガイドの野郎も、他の白人ツアー参加者も一斉に、人類愛を内包した素敵な笑顔でオレと野ぎくちゃんを注目してきた。

 て〜めえおい余計なことしやがってこのクソガイドがっ……。

 歌う人々からは相変わらず
「そこの日本人のおふたりは、この日本でポピュラーな歌のことはもちろん御存じよね? さあ一緒に手を叩きましょう! シアワセならテヲタタコー♪ パンパン!」という意志のこもった歌声が二人に向けられている。
 ……オレはものすごく嫌だった。
屈辱的であった。だが、今この場の全員がオレと野ぎくちゃんを見ている、もし今のこの場で手を叩かなかったら、それは人間失格である。この状況で腕組みをしたまま最後までぶすーっとしていたら、日本から世界に対する宣戦布告ととられても文句は言えない。

 …………。
 オレたちは……。


 し、しあわせならてをたたこ〜ぱんぱん。


 …………。










 
まあそんなこんなで一気に時間は経過して、いろいろあって1泊2日の日程をこなし、メコンデルタツアーはめでたく終了を迎えたのであった。
 ちくしょう〜、
こんなもの参加しなけりゃよかった。

 ということでオレたちは無事ホーチミンの旅行会社に帰って来たのだが、到着直後に、例によって野ぎくちゃんが



「あああっ!! 靴を昨日のホテルに忘れて来ちゃったっ(涙)!!!」



 などと切迫して叫び出した。
 なんでも今朝サンダルに履き替えたため、ずっと旅先で履き続け
世界を一緒に旅して来た大事な大事な靴をそのまま置いて来てしまったらしい。そんな大事なものを、忘れて来る意味が良くわからない。
 ツアーガイドになんとかホテルに電話をして確認をしてくれないかと頼みこみ、ようやく連絡がついたら靴はホテルのスタッフが見つけたが
ボロすぎてゴミだと思われとっくに捨てられていたらしく、彼女はショックでツアー中にメコン川の河畔で見たホーチミン主席の石像のように青黒く固まっていた。……それは残念だ。なによりも、日本人女性の野ぎくちゃんが現役で履いていた靴が、ベトナム人にすらゴミだと判断されるボロさだったということが同じ日本人として非常に惨めで恥ずかしくて残念だ。そして一応オレは友達として2分間野ぎくちゃんを慰めていたのだが、3分後に彼女が激しく泣き出したため、オレは用事を思い出してその場から立ち去った。


 
さて(不幸な人は放っておいて)、このホーチミンシティ、旅行者が集うような安宿街は当然存在するのだが、オレはもちろんそんな貧乏で不幸そうな地区には滞在していない。
 身分相応に、
西川史子の結婚相手となる条件も十分満たす年収を持つオレは、ベトナム駐在中の外国人などが集まるセレブ地区で、高級下宿に招かれて宿泊しているのだ。これはまさに、オレのカリスマ(カリがスマート)のなせる業である。
 その下宿は、名付けて「ステファン亭」
 そう、以前この旅行記、ケニアのナイロビのところで出演したスウェーデン人のステファン・アンダーソン。おそらくこれを読んでいる人の中にも、彼のことを覚えているという人は
誰もいないだろう。とにかく、ナイロビの宿で同じ部屋になったステファンというのがいて、普段オレは白人旅行者と喋ることなどほとんどないのだが、なにしろナイロビは夜になったら外に出られないので(銃声バンバン強盗ドンドン→死)、同じ宿の旅行者とは自然と話も弾み彼とはメール交換をするほどの仲になってしまったのだ。


このツルっとした人



 で、そのステファンがホーチミンのスウェーデン関連施設なんたらかんたらで現在働いており、オレがもうすぐベトナムに入るというメールを出したところ、「それならオレの下宿先に来いよ」と申し出てくれたという訳である。
 ステファンは最初の何日かは帰国中で不在だけど遠慮なく使ってくれということで、ここはお言葉に甘えることにした。下宿はベトナム人の金持ち家族が自分の家の何部屋かをホテルのように改造しているその一室で、エアコンにテレビに冷蔵庫、水洗トイレにバスタブに家政婦さんの掃除つき。おそらく夜間も30℃を超すベトナムの蒸し暑い気候の中で、
安宿街にいる旅行者(野ぎくちゃんなど)は寝苦しく冷たい水も飲めず清潔なトイレも使えず風呂にも漬かれず買ったフルーツは腐りそれでも毎日宿代を払い衰弱と破産で半数は死を迎えることだろうが、ここではそんな心配はない。でも、そう考えると安宿の人たちもかわいそうだけど……。まあいいか。他の旅行者がいくら苦しんでも、オレは苦しくないし。

 ということで最強の環境でセレブ地区に無料で滞在して財を築くことしばらく、スウェーデンからステファン亭の主(ぬし)、ステファン・アンダーソンが帰って来た。
 おおっ。





 毛が生えてる……。




「ミスターアンダーソン、グレイトルームを使わせてくれてありがとう。僕は心から感謝しています(感謝の号泣)」


「なあに、オレもここでは退屈だから、一緒に遊んでくれる奴が来てくれて嬉しいよ」


「一緒に遊ぶの? でも火遊びはだめよ」


「明日と明後日は連休だから、どこかに行こうぜ」


「でもこの前ケニアで会った時はだいぶツルンとしてたのに、全体的に毛が増えてるよね。発毛おめでとう」


「実は、頭を剃る時に使っていたカミソリを無くしてしまったんだ。それでこうなっているというわけさ」


「なるほどそういうわけか。
それだけの理由かよ


「でも、オレは髪の毛が薄いからみっともなくて、本当は剃りたいんだよ。だから一応ヒゲを伸ばして誤魔化してるんだけど」


「誤魔化しになってるんですかそれっ!!」



 ホーチミンの私の英雄ステファンとはそれから同じ部屋で暮らすことになったのだが、なにしろ寝床はやや大きめの
ベッドひとつだけだ。ソファーなどもなく、床はタイル張りで寝袋を敷いても硬くて寝られたもんじゃないため、主のお言葉にさらに甘えて同じベットに入れてもらえることになったのだが……
















 この、ベッドの右側の部分にオレが入るのである。



 
う〜んなんかちょっとこれは……(涙)。


 大丈夫だろうか。
あやまちが起きないだろうか。これじゃあ確実に夜中に何度も体と体が触れ合うじゃないか。
 オレも普段は上半身裸で寝ているのだが、さすがにここで裸でいたら、何かのきっかけでお互いの裸体同士が密着することになる。それはまずい。2人共裸になって同じベッドで寝ていたなんて事実があったら、
あとで裁判になっても強姦の事実は立証出来ずステファンは無罪になってしまうじゃないか。オレも下手したら、新しい世界に目覚めかねない。なので、暑いが無理矢理Tシャツを着て寝た。でもパンツは履かなかった。

 さて、ステファンがせっかくの休日だというので、翌日はホーチミン市の港から船に乗り「ブンタウビーチ」というローカルな避暑地へ、お忍びデートに行くことにしたの。……私、驚いたわ。
人間、たった一晩でこんなにも世界観が変わってしまうものなのね。心の奥で眠っていた扉を、彼が開いてくれたの。
 ……
なんてもちろんウッソで〜す!!!! 何もなかったよ。オレたちノーマルだから。我々が欲情するのはあくまで女性(椿姫彩菜は含む)のみです。はるな愛は含みません。
 2時間ほどボートに揺られて着いた港町、そこにはビーチの他にいくつかの大きな教会があった。巨大なマリア像とキリストの像が立っており、体内に入って肩まで登れるようになっている。ああ、こんな風に優木まおみちゃんの体をよじ登って、そして胸の上を転がって先端で飛び跳ねてそのまま転落死したい……。
 ただローカルな観光地のためそれほど多く見どころはなく、その後はビーチを手を繋いで歩いたりもしたのだが、結局時間を持て余し、適当にカフェに入ってだべることになった。やはりほぼネイティブスピーカーと話すのは大変だが、ステファンは英語力高校1年生レベルのオレに辛抱強くつき合ってくれるので、なんとか会話は成立する。
 ステファンはコーヒーを飲み、オレはジュースだ。コーヒーは嫌いだ。ごはんの時も、ジュースがいいんだ。



「作者はやっぱり日本人だからブッディストか?」


「オレは日本人でもあり愛人でもあるけれど、無宗教だぜ」


「そうなのか? 日本人なのに」


「オレは日本人である前に、
まず一人の愛人でありたいんだっ!!!」


「信仰心がないんだなあおまえは」


「そういうあなたはキリスト教徒ですが、さっき神聖な教会に行って何か神聖なものを感じましたか?」


「なんにも」


ズコーーッ!! ずっこけちゃったよ!! じゃああれは? エルサレムの正墳墓教会でさあ、死んだ3日後にイエスが復活したみたいだけど、そういうのは信じているのあなた」


「普通ならありえないが、人間としての復活ではなく『神の復活』と考えればそれは神なのだからあるのかもしれない」


「そうか。オレはステファンの髪の復活を願っているよ」


「日本製のいい育毛剤があったら送ってくれよ。そう、日本には温泉があるんだろう?」


「でも毛が生える温泉は見たことないよ」


「毛はいいんだけど、ホーチミンに住んでいるオレの知り合いの日本人で、フクオカから来たユミカという女の子がいるんだ。これがまたかわいくてな……」


「それは聞き捨てならないな。
オレよりユミカの方が可愛いっていうのっ!!」


「オレは、どうしてもネイクドユミカが見たいんだ(※ネイクド naked=裸の)。日本の温泉では、男と女が裸になって同じ湯に入るんだろう?」


「混浴のことですか。あんまり良く知らないけどそうなってるところもあるみたいだね。あと、最近じゃあ日本の温泉には
エロなまはげっていうのも出るよ」


「ユミカがいつか日本に帰ったら、遊びに来ていいと言われているんだ。フクオカにも温泉があるよな? だから一緒に温泉に行って、そこで絶対にネイクドユミカを見るんだオレは」


「いいなあ夢があって。やっぱり目的を持っている人って、目が輝いているよね」



 オレは、
「ネイクドユミカ」という表現が妙に気に入った。
 それはそうと、このステファンは見かけによらずなかなかのスケベである。オレが根暗なスケベだとすれば、彼は社交性のあるスケベだ。
 昨日は一緒に散髪しに美容院に行ったのだが、そこに置いてあったグラビア誌を嬉々として見たステファンは、水着姿の巨乳モデルが出て来るたびに「ほら〜、どうだ、いいだろ〜〜」てな具合にいちいちオレに見せてくるのだ。オレだったら、そういうものを見る時には誰にも見せずに自分だけでニヤニヤしながら楽しむ。そういうところが、ステファンとオレでは同じスケベでも実に対象的である。ステファンが陽ならばオレは陰。
ステファンがゲゲゲの鬼太郎ならばオレは墓場の鬼太郎。
 尚、彼は特に胸への執念は並々ならぬものがある。ある日「ビッグって日本語でなんて言うんだ?」と聞いてきたので、「それはオオキイだ」と教えてやり、次の日「バストは日本語で何だ?」と言うので「それはムネだ」と教えると、「なるほど。じゃあビッグバストは『オオキイムネ』でいいんだな?」と、
別々に学んだ日本語を組み合わせて「大きい胸」という言葉をマスターしてしまったのだ。その語学力と胸に対する情熱は見習いたいものである。



「知ってるか作者。ベトナムの女の子はちょっとうるさいんだぜ。この前職場の若い子が小さいTシャツを着ていてヘソが出ていたから、ツンツンつっついてやったんだ。そしたらそれを見ていた別の女の子がオレをひっぱたくんだぜ? ひどいだろう?」


「それは当然だよきみ。セクシャルハラスメントだよ」


「なんだいそれは?」


「あんたいつの時代の人だよ。いいかい、今や日本でも、職場などで相手が特に自分に好意を持っていない場合にその女子の肩を揉んだり『ほら伊藤くん。ちょっとこれを見てみたまえよ。グヘヘヘッ』とか言いながらエロ本を見せたりすると、セクハラで訴えられることがあるんだぞ」


「相手の女子が自分に好意を持っていたらどうなるんだ?」


「それはセクハラに
ならない。『んもう〜っ作者さんったらあ〜』とかイヤよイヤよも好きのうち的な感じで呟かれるだけだ」


「そういうのはオレの国ではないなあ。スウェーデンではそんな話ありえないぜ」


「なんですとっっ!!!!!!」



 ステファンは何度オレが聞いても、頑なに「スウェーデンではセクハラで訴えられることなんてない」と言い張る。ということは……、スウェーデンの会社に就職すれば、
職場の女子をいくらでも触り放題ということではないか。1日30回女子を触りたいと思ったら、30回ことごとく触ってもOKということではないか。よし、次の旅行はスウェーデンに行くぞ……。
 ただもちろん痴漢というのはスウェーデンでも罪になるらしく、そのあたりの境界が良くわからないのだが、結局オレたちは2人でよく話し合い議論を煮詰めた結果、
女子の胸を触ったらタッチ&ゴーで素早く逃げ切るのが1番いいんだという結論に達したのであった(国際変態会議の議決)。

 それにしても、ステファンとはいえ外国人とまる2日一緒に過ごすと、尋常じゃなく疲れる……。
 今日も夜はステファン亭の前のバーで飲み、部屋に帰ったら
ネイクドステファンと同じベッドで寝るわけだ。今夜もまたひとつ、私の中の未知なる扉が開かれてしまうのかしら……。
 帰ったら、入念に体を洗おうっと……


ブンタウビーチにて階段上るのがステファン





今日の一冊は、
直木賞作家はやはりひと味違う おもしろい…… オレたち花のバブル組 (文春文庫)







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