〜東京のようなイラン2 ハミドとマスド〜





 洞窟を訪ねた夜、暇を持て余してハマダーンの市場をブラチラ歩いていると、……あ、ブラチラじゃなくてブラブラ歩いているとだった。気を取り直して、ブラチラ歩いていると、ひと際ギョッとさせられたのが
ヤギの部品を売るヤギ屋さんであった。部品といっても、ゴジュラスや「ドラえもん のび太と鉄人兵団」のザンダクロスのように購入して組み立てると新しいヤギが出来上がるというわけではなく、その全く逆で、当初は生きていたヤギをバラバラに解体し、細かい部位にわけて陳列しているのである。
 その店では、「ヤギに関してはうちに無いものは無い!」と
ヤギ界の東急ハンズのごとく、ヤギの肉や内臓や4本足や黒ヤギさんからの手紙といったあらゆるヤギ関連の部品を取り揃えているのだが、その中でも最もグロテスクなのは切断されたヤギの頭部である。
 体毛を剃られ目をギョロッと開けた頭だけが店先に並んでいる姿はとても猟奇的で、
ギニーピッグの次回作のロケがここで行われてもなんら不思議ではないほどだ。むき出しになった歯や、肉やら骨やら血やらなんかぐちゃぐちゃしたのが固まっている首の切断面などは、到底見ていられるものではない。1頭1頭よ〜く観察してツンツン触って写真も撮ったが、到底見ていられるものではない。
 これを平然と売っている店員もなかなかすごいと思う。これだけたくさんの頭を怖がらずにとっかえひっかえ扱えるのは、ハマダーンのヤギ屋の店員か
ジャムおじさんくらいである。

 こんなのをイランの主婦はルンルン気分で買って行くのだろうか? 日本の主婦がフランスパンや長ネギが顔を出したスーパーのレジ袋を持ち歩くように、イランの主婦は
ヤギの生首が顔を出したレジ袋を持ってバスに揺られて家に帰るのだろうか。イランでは「あ〜らおくさんお買い物?」と言われるだけかもしれないが、日本だったら即逮捕である。
 しかし、そもそも生首なんて何のために売っているのだろう? やはりまな板の上でカッパーン! と包丁で叩き割って、ヤギミソなどを食べるのだろうか。それとも、
暖炉の上の壁にシカの剥製の代わりに取り付けて、自慢げな主人がロッキングチェアーに揺られながらパイプをくゆらせるのだろうか。さすがにそれは、貧相だ。あるいは、黒魔術の儀式で死神への生贄として奉げ、旦那の愛人を呪い殺すのに使うのかもしれない。きっと呪われた愛人宅では、丑三つ時になるとメーメーメーメー聞こえてくるのだ。


 頭や腸をずらりと並べてカッコつけるヤギ屋。




 → 
    あわわわ

 頭部と並んでもうひとつ残酷なのが、子ヤギの死体である。子ヤギはまだ毛がフサフサと生えたままで、喉を横一閃にかっさばかれて深い切り口を見せ仰向けに死んでいる。これはおそらくパーティの席なので丸焼きにして食うのではないか。
 ヤギの頭含め、こういうのを見ていると実にイヤーな気持ちになるが、しかし体重3000グラムで産まれた自分が大人になり(本当は17才だけど)60kgまで成長するのに
今までいったい何百頭分の豚や牛や鳥を食ってきただろうと考えると、食用に殺されている動物を見て悲しくなるなんて卑怯だ。オレは、農家の人が目の前に牛一頭連れて来て「この牛を食べたいですか? じゃああなたがこいつを殺してください」と言われても可哀想でとてもそんなことは出来ないが、どこかで誰かが知らないうちに殺した牛の肉なら焼肉屋で「ああ〜幸せだ〜〜(涙)」と叫びながらたらふく食べるのである。結局地球上の全ての生物は、自分以外に起きている痛みや苦しみなど、一片たりとも感じられないように出来ているのである。当たり前だが無情だ。

 さて、そのまま商店街をオールヌード、いやセミヌード、いやパンチラ、いやブラチラ、いや
ブラブラと(ちょっと間違えすぎちゃった)歩き続けていると、とある店の中から「あっ、ねえねえキミ!!」と2人のイラン人のヒゲおっさんに日本語で呼び止められた。


「なんですかヒゲおっさん? 僕に何か用ですか?」


「キミ日本人でしょ? 一人旅?」


「質問を質問で返すなあ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!! 疑問文には疑問文で返せと学校で教えているのか!!! わたしは『何か用ですか』と聞いているんだッ!!!!」(ジョジョの奇妙な冒険44巻より)


「ねえそんなに怒らず、ヒマだったらお茶でもどう? オレたち日本が大好きなの。見たところヒマそうじゃん。することなんかないんでしょう。目的も無いんでしょう。話をする友達もいないんでしょう。そうやってブラチラ歩いているだけなんだから」


「たしかに友達はいません。でも真実をズケズケと指摘するあなたの言い方も決して許されるものではありません」


「ごめん。じゃあさ、友達になろうよ。オレたちと」


「ト・モ・ダ・チ……?」


「そう。トモダチ。オレとキミとは、トモダチなんだ」


「ウウ……。オレ……オマエ……トモダチ……」


「人造人間かよっ!!! まあまあ入れよ。チャイ奢るからさあ」


「はーい♪」


「バックパッカーだろ? アリーサドル洞窟とギャンジナーメは行ったか?」


「洞窟は今日行ってきたけど、ギャンジナーメってなにそれ。新種のナメクジ?」


「ナメクジじゃないよ。滝のそばにダリウスとクセルクセスの碑文があるんだよ」


「知りませんよそんな難しい言葉は……」



 その2人のヒゲおっさんは、テヘランで会った何人かのイラン人やマルシアやムルアカや里田まいと比べてもずっと日本語が上手く、そして日本語でコミュニケーションを取る能力もオレより遥かに優れていた。なにしろ、初対面の日本人を誘ってこうしていきなり一緒にチャイを飲んでいるのだ。
 オレなんて、日本で誰かと個人的にお茶をするような仲になるのには出会ってから
最低2年はかかる。たいていの人は(特に女子)そうなる前にオレとの繋がりが無くなってしまうから、結局誰ともお茶をすることなんてできないのだ。所詮オレなんて休日に1人で映画を観に行くくらいが、外出先でワクワクできる唯一のイベントなんだ。その帰りに中華料理の「福しん」でひっそりとマーボー定食を食べるのが楽しみなんだ。だっていつも部屋で1人でコンビニ弁当を温めて食べているから、たまには周りに人がいるところでご飯を食べたいんだ。ううう……・゚・(PД`q)・゚。

 若かりし頃の大竹まことと田代まさしを足して2で割ったような彼の名前は「ハミド」、そしてイラン移住20年目のリーアムニーソンといった3.2枚目俳優の彼は「マスド」というそうだ。マスドというからには、女子大生のバイトを雇って
ドーナツかハンバーガーを売っていそうである。でも実際は売っていなかった。
 彼らのすごいのは、イラン人の彼ら同士で話す時も、わざわざオレに気を使って日本語で会話をしてくれるのだ。しかも、ただ日本語で話すだけではなく、ボケとツッコミの成立した驚愕のほぼネイティブ日本語会話をこなすのである。
(以下全て実際に行われた会話)



ハミド「オレは結婚してるんだけど、マスドはまだなんだ」


マスド「そうそう。作者、いい人いたら紹介してよ」


ハミド「なに言ってるんだ。もうおまえはじいさんなんだから。もう無理だよ」


マスド「ほっとけよ!!」


ハミド「ほら、髪の毛も無くなっちゃってるし。もうすぐ、アルシンドになっちゃうよー


マスド
「うるさいっ!! おまえも最近薄くなってきてるだろうが!!」


ハミド「オレはいいんだよ。もう奥さんがいるんだから」


マスド「奥さんなんていない方が自由でいいんだよ。今は自由恋愛の時代だろう」


ハミド「作者、気をつけろよ。こいつは本当は男が好きなんだ」


マスド「そうなんだ。どうだ作者、今日うちに泊まりに来いよ? 夜、一緒に寝よう。
ってばかやろう!!! オレはホモじゃないよ!!」


あわわわわ……(泡)。す、すごい……イラン人なのに日本語でノリツッコミをしている……。そしてなんとなく2人の日本にいた時期がわかる懐かしいギャグ……」


ハミド「そうだ、作者。これからいいところに遊びに行かないか?」


「え? いいところってどこ?」


マスド「それはな、ついてからのお楽しみだ。ハミドが車持ってるから、ほんの20分くらいのところだ。一緒に行こうぜ」


「でも僕そろそろ帰らなきゃいけないし」


マスド「いいじゃないか! まだ8時だぞ! 行こうぜ!」


「じゃあ行きます」


ハミド「素直でいい子だな。じゃあまずオレの店に車取りに行くから、おまえも来いよ」



 オレはハミドに連れられて、商店街を彼の経営しているという雑貨店まで、改めて日本語で話をしながら歩いた。



「あんのー、やっぱりハミドも日本で働いてたのですか?」


「うん。7年も働いてたよ。塗装屋とかいろいろ転々として」


「7年! そんな簡単に就労ビザって取れるのですか?」


「就労ビザじゃなくて、
2週間ビザで7年いたんだよ


ギョッ。に、2週間ビザ……」


「別に出国の時もなんにも言われなかったしね」


ええっ!! そ、そうなの? 特に空港で逮捕されたりしないんだ……。案外いちゃったもん勝ちだねそれは……」


「もう出国するところなんだし、今さら強制送還もしようが無いからな」


「でも7年も働くの大変だったでしょ」


「日本に行く前はイラン・イラク戦争で戦場にいたんだよ。前線で戦ってたから、まあ日本の肉体労働も平気だったよ」


「あなたすごい。尊敬します」


「よし、着いたぞ。ここがオレの店だ。……あっ! ちょっと待って!!」


「なーに?」


「うわ〜〜、あのお客さん、お医者さんなんだけどさあ、いつも自慢話がすんげー長いんだよ。まいったなあ……。よし、見つからないように、裏口から入るぞ。こっちだ」 
コソコソ


「世界共通なんだねそういうの……」 
コソコソ


「はい、コーラと水」


「おおっ、あ、ありがとう。いくらですか?」


「いいよ金なんて。持ってけ持ってけ。じゃあ車取ってくるからここで待ってろ」


「うう……ありがとうございます……」



 その後戻ってきたハミドの白いセダンに乗り、途中でマスドもピックアップして郊外へ向かう。楽しいところとは言っていたが、どこに行くんだろう? ツンデレカフェだろうか?
 ……しかし。



「ねえハミドさん。今から行くところってどこ?」


ハミド「……」


「ちょっとマスドさん。どんな楽しいところなの?」


マスド「……」


「あの。ちょっと。なんで急に黙るの?」


マスド「……おまえもダメなやつだなあ。オレたちがどれだけ悪い奴かも知らないで車に乗るなんて」


「わ、悪いって?」


マスド「わからなかったか? オレは、本当は悪い奴なんだよ。ハミドの正体は、強盗なんだ」


「ちょっと。ねえウソでしょ」


マスド「へっへっへ。おまえこれからどこに行くかわかってるのか! 怖いところに行くんだぞっ!!」


「ええええええ」


マスド「殺してやる!! おまえを殺してやるんだ!!」


「……」


マスド「うあっはっは」


「……(涙)」


ハミド「コラコラ!! ちょっとやり過ぎだって!! ほら、すごく怖がってるじゃないか!」


「……(号泣)」


ハミド「泣くなよ。大丈夫だって。強盗じゃないから」


マスド「おっっ……。そんなに怖かった? ごめんごめん。ちょっと脅かしてみただけだって。大丈夫だよ作者」


「……(号泣)」


ハミド「よし、もうすぐ着くぞ」


マスド「このヘンでいいんじゃないか? じゃあここからは歩いて行くから。荷物持って降りるんだ」


ハミド「すぐそこだ作者。ほら、滝の音がするだろう?」


「……ほんとだ。滝の音だ。僕を滝つぼに投げ込むの?」


ハミド「おいマスド! おまえが脅かすから作者がこんなんなっちゃったじゃないか!!」


マスド「ごめんって! さっき話しただろう? その滝の隣にあるのがむかーしの王様が書いた碑文なんだよ。おまえまだ見てないって言ってたから。ここがギャンジナーメっていうところなんだ」


「ぎゃんじなーめ……新種のナメクジ……」


マスド「このナメクジは地球の歩き方にも載っているんだぞ」


「有名なのですね。ナメクジ。なめくじ少女」


ハミド「おいマスド! おまえは罰としてそこの売店で全員分のチャイとレバーの串焼きを買って来い!」


マスド「わかったよ! オレが買いに行ってくるよ。行けばいいんだろう。じゃあハミド、金くれ」


ハミド「自分の金で買えよっ!!」


マスド「ケチだなあ、社長のくせに」


ハミド「社長でもオレは奥さんに全部稼ぎを持っていかれるから貧乏なんだよ」


マスド「な? 見ろよ作者、やっぱり一人身の方がいいだろう?」


「うん。結婚なんてしない。1人で生きていく」


マスド「よっしゃー! 作者! おまえはオレの仲間だ!」



 そして……



マスド「うぉーうぉおーうぉおートゥナーイト! これハマちゃんの曲、知ってる?」


ハミド「あなたのそばーでえー! 暮らせるならーばあー! こわくはないわーこの東京さば〜く〜」


マスド「古いなおまえはっ!!」


ハミド「とんでとんでとんでとんで、まわってまわってまわってまわ〜る〜〜〜」


マスド「だから古いんだよおまえの歌は! ねえどおーしてーすごくすごーくー好きなーことー ただ伝えたーいだけなのにー♪ なあ作者、ドリカムの女ってすげー口でかいよな」



 
……あんたらほんとにイラン人か?? 本当は、彼らはハマダーンに住み着いた、元日本人バックパッカーの浜田さんなのではないだろうか?

 ギャンジナーメで一騒ぎした後、ハミドとマスドは1円も要求せずにオレを宿まで送り、名残りを惜しんで去って行った。

 ……。
 トモダチ……。
 もしかして、トモダチって結構いいものなんじゃないだろうか? ひょっとして、トモダチをたくさん作ったら、
もう少し人生が楽しくなるんじゃないだろうか??
 2人がこれほど日本語で楽しそうに喋り、日本人に無償の優しさを見せてくれるということは、きっと彼らの日本での長い出稼ぎ生活は、苦しいながらも良い思い出となっているのだろう。親切な彼らも、その時彼らに親切にした日本人も、みんな素晴らしいと思う。
 もし将来日本で出稼ぎに来て一生懸命働いているイラン人の姿を見かけたら、
ビザのことは決して聞かずに、ハミドとマスドの思い出話をしながら串焼きくらいはガンガンご馳走してあげようと決意させられた、ハマダーンの心温まる夜更けであった。るるる〜



 イスラム教の人たちは、ギャグが書けなくなるほど親切。

 ハミド(左)とマスド(右)ともう1人の友達(真ん中)





今日の一冊は、バカバカしい気分になりたければ 言いまつがい (新潮文庫)






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