〜素敵な誕生日2〜





 ピーヒャラピーヒャラ、パッパパラパー♪
 ピーヒャラピーヒャラ、パッパパラパー♪

 ピーヒャラピー♪ 
お〜なかがいたいよ〜〜〜〜(号泣)♪






 ジェニンから乗ったパレスチナのバスは、道なき道、いや、
道なき道もなき畑の中を転がるように走っていた。普通の道を行くと例によってイスラエル軍が意地悪で通してくれないので、こうしてチェックポイント(検問所)を避けるため枯れ木をなぎ倒し、畑の中、山の中を突き進んでいるわけだ。
 そして、朝飲んだ下痢止めの効果はここにきて
完全に切れつつあった。午前中はアスワンハイダムほどの頑強さを見せたアフリカ製の薬もこのバスの直下型の激しい揺れに見事に瓦解し、今ではオレの腸は下腹部のスエズ運河と化して、あらゆる船舶の通行を許している。最後の最後に水門として立ちふさがっているのは、オレの尻の力だけだ。

 今オレの腸の中にある下痢の液体は、
味こそ違えどコーラのようなものである。コーラの入った缶を強く振ると爆発するように、オレの腸を強く揺さぶったら何が起こるかはみなまで語らずともわかるであろう。ある意味小規模な自爆テロである。
 ぐうううあっ……むむむむ……こらえろ……こらえるんだ……!! いかん。ここで漏らすわけにはいかん。こんな満員のバスの中でブリャブリャっ! とちびってしまったら、パレスチナの人々に対する
恩をテロで返すことになる。それじゃあイスラエル軍に勝るとも劣らない嫌がらせではないか。だめだ〜〜だめだ出しちゃダメだ〜〜〜あはぁ〜〜〜。がくん(バスが揺れた音)ズボッ(そして隣のおっさんの肘がオレの横腹に命中)


 
はあおはああぁっ!


 おお……うおおお……もう……もうだめ……
 バスの最後部に座っていたオレは、とうとう隣のにいさんに助けを求めた。


「うう……おねがいします、おねがいします、おなかが痛くて死にそうなんです〜〜どうか、どうか止まってくれるように運転手さんに言ってもらえませんか〜〜(号泣)」


「お、おお、そうか。
おーい!! 日本人が下痢だから止まってほしいって言ってるぞ!!!」



 ドヤドヤドヤ……
 にいさんが叫んだ瞬間、バスの中は
苦い笑いに包まれた。オレの腹痛でパレスチナのみんなに少しでも笑顔をプレゼントできたら本望だが、しかしそこに生まれたのは爽やかな笑顔ではなくどんよりとした笑いであった。でも一応みんながこっちを見たので、オレも照れ隠しに顔をゆがませてえへへと笑った。
 ……。
 そして、
ノンストップで走り続けるバス。
 ……なんだろう、オレの命がけの訴えは、
つまらんジョークだと思われたのだろうか。だからみんな義理で笑ってくれたのだろうか。いや、別に笑いとかいらないんだって。もうほんと、現実に痛いんだって。見りゃわかるだろうが! もし演技でこんな表情できてるんだったら、今頃ニート旅行者じゃなくて二枚目俳優になってるんだよ!! うあ、ああああううおお腹が〜〜腹が痛い〜〜漏れるよおおお〜〜〜〜ズシンズシン(容赦なく揺れるバス)

 そのままオレは数十分を耐えた。いや、実際は数分だったかもしれないし、数日間だったかもしれない。オレもかつて何度と無く自分との戦いを繰り広げてきたが、
これほどまでに自分が強敵だと感じられたことがあっただろうか。
 はやく。はやくトイレに。いや、トイレのことを想像しちゃいかん。
頭の中にトイレを思い描くだけで尻が反応して排泄しそうになってしまう。助けて〜〜助けてくれ〜〜〜〜!! この腹痛を止めてくれたら、電撃ネットワークと一緒にステージに立ってもいいから!! サソリとかドライアイスなんて喜んで食うから!! だから頼むから止めてくれっ、腹痛を止めてっ!!!!

 ようやくバスは山道を抜け、小さな町に入った。オレとスーさんはこのバスで終点まで行かなければならないのだが、しかしもうオレは十分戦った。ねえちゃん……オレ、疲れたよ。
もう、ゆっくり休みたいよ。


「スーさん、スーさん〜〜」


「だ、だいじょうぶですか作者さん……」


「スーさん。ぼくの、この荷物をスーさんに託します。あとは、1人で行ってください。
ぼくはもう歩けません。もう進めません。でも、ここまで一緒に来られただけで、ぼくは満足です」


「え、なにいってるの……」


「スーさんとパレスチナで過ごした数日間、楽しかったです。どうか、振り返らないで。笑って別れましょう」



「……」



 また数名の乗客を降ろすためにバスが一時停止した瞬間、
オレは真空を貫く閃光となって、パレスチナ人たちの目にいくつもの残像を残し、時空を超越したスピードでバスから降りた。
 目の前には、八百屋さんがあった。



「こんにちは八百屋さん。早速ですが、
お腹がいたいのでトイレを貸してください(地の底から湧き上がる叫び)」



「おお。奥にあるから使いな……」



 オレは野菜も買いもしないのに、
全てを蹴散らしイスラエル軍のメルカバMk4戦車にも匹敵する勢いで八百屋に突入した。中東式トイレのドアを開けながらベルトを外し、ズボンを脱ぎ終えるかどうかの瞬間に尻の筋肉は力を失い、濁流は橋げたを飲み込んだ。シャバシャバシャバ(以下略)〜〜〜〜


 
……おおあああああ〜〜〜〜〜〜っっっっ(勝利の雄たけび)!!!!!





 あはぁっ……






 はぁ……はぁ……
 オレの視界は白くぼやけ、強く自分を持たねば思わず
意識が飛びそうであった。しかし、オレはやったのだ。決して、決して負けなかったのだ!!!!
 腸と尻の思いのたけを全てぶちまけた後も、オレはしばらく放心状態で尻出しのまま呼吸を荒げていた。5〜10分ほど、先ほどまでの苦しみを走馬灯のように思い描きながら幸せを噛み締め、それからパンツを履いた。トイレから出た時のオレは、入室時とは全く違う、生き生きとした生命のパワーに溢れる姿だったことだろう。
「男子三日会わざれば刮目して見よ」とはよく言ったものだ。
 男子として武士の本懐を遂げたオレは、それはそれは丁重にパレスチナの八百屋さんにお礼を言った。すると、トイレを貸してくれたおやっさんは、
東京都迷惑防止条例に引っかかりそうなハタ迷惑なオレににこやかに応えてくれたばかりか、「これ持ってけ!」と売り物のミカンを持たせてくれたのである!! な、なんという素敵な人々なんだ……(号泣)。ううう……こんないい人たちが……なんでこんな人たちが迫害されないといけないんだ……(涙)。


 
プップー!!


 感動もそこそこに鳴らされたクラクションで我に返ると、今度は正面でオレの乗っていたバス、そしてスーさんと運転手が手を振っていた。ぐううう……(号泣)。こ、こんなオレを、こんな下痢なオレを待っていてくれたなんて……!! あんたたち……あんたたちは……ほんとに、
大馬鹿ヤロウだ!!!! でも……大好きだぜっ!!!

 さて、一通り泣きはらし、心身ともに実にスッキリしたオレは、スーさんと運転手とみんなでミカンを食いながら、りんごもバナナも食いながら、一路目的地のチェックポイントを目指した。まさか、また彼らと一緒に旅ができるなんて。こんな素晴らしい仲間と一緒なら、どんな冒険が待ち受けていようともオレは怖くない。きっと、
空だって飛べる。


「さあ、日本人。この先、道をまっすぐ200mくらい歩くと軍の検問があるから。オレが協力できるのはここまでさ。じゃあ元気でな」


「ありがとう! じゃあ運転手さんも元気で!!」



 オレとスーさんが降りると、マイクロバスはそのままUターンしてジェニン方面へ帰って行った。さあ、ここからはまた気を引き締めねばならない。すぐそこには、テロリストを警戒し命がけで検問を実行中のイスラエル軍がいるのである。
 オレたちの歩く道は畑に囲まれており、周囲に建物は見当たらない。しかし運転手パレスチニャン(「パレスチナ人」を英語で言うと「パレスチニャン☆」になるのだ)の言うとおり、たしかに前方に兵士の姿がチラチラと見え、検問所のボックスもある。はっきり言って、こんなところを日本人が歩いているというだけで相当おかしなことである。
怪しまれるような動きは絶対に避けなければならない。下手したら命に関わる。

 ……。



 ゴロゴロロゴリョリョロロ……




 
はあうっ!



「うおおああっ! おっ、おなかがっ!! あああはぁ〜〜〜っ(号泣)!!」



「ま、またかい??」


「あああっ……」


「だ、だいじょうぶ……?」



 
いたい〜〜いだいよ〜〜〜っっ(涙)。さっき、さっき出したばっかなのに!! シャバシャバ〜〜〜っと軽快に噴出しまくったばっかなのに!!! うおぅっ(泣)。うああああっ! ぐあっ!!!
 何度も何度も「これで治ったぞ!」と安心しても、
シンドラー社のエレベーターなみに不具合が多発する悪魔の腹。腸に棲む鬼が、怒りに震えて金棒を振り回し暴れている。痛いっ!!! あが〜〜〜〜ごおうが〜〜腹が〜腹が痛い〜〜〜〜ああっっ(号泣)!!!
 オレは咄嗟に優しい八百屋さんを求めて周囲を見渡した。しかし、辺りにあるのは畑と草むらのみ。なんとか軍の慈悲の心を信じて検問所でトイレを借りるという手もあるかもしれないが、もはや今回の泥流は、チェックポイントまで数百mを歩くという行為を許してくれるほど生易しいものではなかった。よしんばたどり着いたとしても、ユダヤ人のことだ、ボディチェックが終わるまでは決してトイレには行かせてくれないだろう。確かにそうだ。腹が痛くて
おもらし寸前だからという理由で特例を認めていたら、下痢のテロリストは検問通り放題だ。
 それに、もし兵士にチェックを受けている最中に耐え切れずビチャビチョーーッ!! と暴発してしまったら、
化学兵器を使ったテロリストと判断される可能性が高い。1972年、テルアビブの空港で銃を乱射した日本赤軍の奥平剛士以来の日本人テロリストになってしまうではないか。

 違うぞーっ!! テロリストじゃない!! オレはテロリストじゃない。強いて言えば下痢等(ゲリラ)だ!!
 まあともかくオレの腸は悲鳴をあげていた。尻の筋肉は、バスの中での戦いで
既に力尽きている。もうダメだ。ああ、もうダメだ。この先また自分との戦いを繰り広げる気力と尻力など到底残っていない。ぐぐぐ……うおおおっ、腹が痛いっ!! うああああっ!!! 腹が痛いよ〜〜〜〜〜っ!!!!!!! もう漏れるっ!! もう漏れるっっ!!!

 残された手はひとつ。

 オレは咄嗟に体を翻し、
気合と共に草むらに飛び込んだ。そして道にいるスーさんと、検問所のイスラエル軍からなるべく死角になる場所を1秒で探し、2秒目には屋外露出を始めた。ズボンとパンツを一緒に持って一気に下ろす。ひんやりとした中東の風が、尻を撫でて行く。そしてオレは、痩せたパレスチナの大地に潤いを与えるように、まだ腸内に残っていた謎の液体をシャシャシャシャ〜〜ッと放出したのである。

 ……ははははははははははは。出しちゃった。外で出しちゃった。
オレもうすぐ30歳。いいんだ。もらす30歳よりは、外で出す30歳の方がまだおりこうさんだ。
 たのむ……イスラエル軍に見つからないでくれよ……。
検問の直前で突然怪しい動きで茂みに駆け込み隠れてなにやらやっている人間を、もし検問所の兵士が発見したら射撃の的間違いなしである。いやだ。こんなところで、液状排泄物にまみれて銃殺されるのはいやだ。せめてパンツを履かせてほしい。死ぬのなら尻だけは隠させてほしい。

 ふと下を見ると、恐ろしい毛虫がズボンをはって太ももの方へじりじりと向かって来ている。うお……くそ、毛虫ごときにっ!! 屋外排泄中じゃなかったら毛虫ごときに翻弄されるオレじゃないのにっ!!! ぐおっ!! ぬおっ!!! 毛虫っっ!!!!


 ……。


 
今日オレ誕生日なのに……(涙)。

 腹痛ジェダイマスターは、旅の七つ道具であるトイレットペーパーは常にリュックの中に携帯している。よってオレは、葉っぱで拭くような素人がやる愚かな後処理はせず、ふんわりと肛門に優しいペーパーで、
きちんとお尻をぬぐった。水分がつかなくなるまで何度もぬぐった。
 どうやら、兵士にも地主にも近所の子供にも見つからなかったようである。見つかったのはせいぜい毛虫くらいだ。しかしおろかな昆虫ごときは、オレの醜態を他人に伝える言葉など持っていないはず。あとはスーさんさえ口止めしておけば、
この歳で草むらで大便をしたという事実は永遠に闇に葬られることであろう。

 そして、オレは何事もなかったように、
一切の隠し事が無いかのように清々しい顔で検問に向かった。やはり「おまえらこんなところで何やってるんだ?」という質問が飛んで来たが、そこはバスの運転手さんから受けていた助言、「トポスの町に有名な教会を見に行った」ということで切り抜けることができたのだ。先ほどオレが駆け込んだ八百屋さんがある町は、親切な八百屋さんだけでなく、由緒ある教会が残っている町だったそうな。

 さて、無事検問を抜けたオレとスーさんだったが、しかしその向こう側は、これまでと変わらない普通の畑が続く景色だった。うーん……。どうやってエルサレムまで帰ればいいのだろうか。
 イスラエル軍のチェックポイントがあるとはいえ、このあたりはまだパレスチナ自治区である。どちらかというとユダヤ人の住む先進国イスラエルと比べて、田舎だ。とりあえずオレとスーさんは、そのうち何か(どこでもドアとか)が登場することを期待して歩くことにした。もう午後5時を回っており、多少不安はあるものの……。

 ……。
 相当な距離を歩いた。
 登って下って登って下って、通り魔のようにヒタヒタと歩いた。
 今見えている畑を越えれば、町があると思っていた。そして、丘をあとひとつ越えれば、バスターミナルがあると信じて歩いたのだ。しかし、歩いても歩いても、町どころか建物も出てこない。むしろ、徐々に道は上り一辺倒、そう、
今日の作者の下品度とは逆に上り一辺倒になって行き(涙)、オレたちはなんとなく山の中に紛れ込んで行っていた。

 ちなみに、人間見知らぬ土地で道に迷い、太陽が沈み出すと基本的に不安の波に飲まれるものである。しかも寒いとなおさらだ。時々車は通るのだが、歩いても歩いてもバス停もタクシー乗り場も無い上に風はどんどん冷たく吹いてくる。風がヒューヒューと。
 ……。
 
ひゅーひゅーだよ(by牧瀬里穂)!
 などと言ったら
寒さが増すだろうから特に場を和ますためのギャグも出せず、オレもスーさんも次第に無口になっていた。
 で、このまま歩いても、こりゃあさすがになんも無いんじゃないの? ちょっとやばいよねこれ、という感じになってきたので、ここでオレたちは、初の
ヒッチハイクを決行することにした。ここはキティランドのようにみんなが優しいパレスチナだ。きっとどんどん止まってくれるに違いない。
 そう期待して、後方から来た軽乗用車に「うぉーい!!」と叫んで手を挙げるのだが……。


「(運転席の窓を開けて)おー、おまえら、どこに行きたいんだ?」


 ……。
 せっかくヒッチハイクに挑戦したのに、
あまりに簡単に成功するのでこの部分は旅行記では使われないのではないかと心配になるくらい、あっさり止まってくれます。まあ書いてるのが自分だから使うけど。
 やっぱりパレスチナ人の優しさは半端じゃありません。残念なことに彼らはみな近場に行くだけで(そもそもパレスチナ人は自治区から出られないので遠出はできない)、何度も乗り継ぎをすることになったが、はっきりいって通過された車より止まってくれた車の方が多かったくらいである。しかも、走っている途中に「おまえたち、金持ってないのか。オレもそんなにリッチじゃないんだけど、このくらいなら……」と言って
お金をくれようとしたおじさんまでいたほどである。ああ(号泣)。
 初めてのヒッチであったが、猿岩石をマネした「ノーマネーOK?」というセリフに「OK!」とか「ノープロブレム!」とか返してもらう瞬間は、実に嬉しい。余談ではあるが、インド人に
「ノープロブレム」と返してもらうとはらわたが煮えくり返る。

 さて、最後にヒッチハイクした車から降りたのは、しかしまだ名も無き山の中であった。もうとっくに日は暮れており、しかも夜風が強烈に冷たい。これは
かなり泣きそうな状況である。ここはいったいどこなのか?? 今日中にエルサレムに帰ることが出来るのか??
 とりあえず、オレたちはどうしていいかわからず、
ひたすら早足で歩いてみた。一晩過ごすにしても、少なくとも、寒さを凌ぐ場所が必要である。先に進めば何かあるのか、それとも永遠に道が続くだけなのかわからんが、とりあえず何か(どこでもドアとか)があるという可能性にかけて歩くしかなかった。立ち止まると、途端に不安に襲われるのである。

 すっかり暗闇の中を、それからさらに30分ほど歩いただろうか? 道の脇に看板を見つけた。「××CHECK POINT 3km」とある。3km先に、再びイスラエルの検問所があるのである。これは、地獄に仏、いや、地獄にイスラエル軍だ。少なくとも、検問所のあたりには車輌が通るのではないか。検問を張るくらいなのだ。そのあたりには何らかの交通機関が存在するのではないだろうか。
 オレたちは、凍えながら残り3kmを歩いた。風はヒューヒュー吹いていたが、
さすがのオレももはや牧瀬里穂を思い浮かべる気力も無かった。昔のアイドルだし……。ああ、牧瀬さん、ごめんなさい┌|_ _*|┐
 山の中の公道を必死で進み、心細さも最高潮に達してきた頃、オレたちの前に遂に検問の明かりが現れた。やはり武装した兵士が道を塞いでいる。こっちは夜の山道から突然登場した外国人である。相当慎重に行動せねばならない。

 オレとスーさんの姿に気付いた兵士は、当然のようにライフルを構え、警戒を崩さず尋問の言葉を投げてきた。


「おまえたち!! そんなところで何やってるんだ!!」


「は、はい。私たちは、トポスの町に行って、帰って来たところなんです。教会を見に行ったんですけど、どうやって帰っていいかわからずに歩いてここまで来たんですよ……」


「おまえら、どこの国の人間だ!」


「ウィーケイム(comeの過去形)フロムジャパン! アメリカと仲良しのジャパニーズですよ」


「ふん。ジャパニーズがなんで田舎の教会なんかに用があるんだ? 何しに行ってたんだ!」


 う……どう返事をしたらいいか、オレは言葉に詰まってしまった。もちろんオレもスーさんも実に
インテリで、兵士と質疑応答をするくらいの英語力は余裕で備わっているのだが、さすがに臨機応変に外国語でとぼけるのには知恵を振絞る必要がある。
 ここでは、スーさんが突破口を開いてくれた。


「ウィーアー、トゥァリスト!」


 そうそう。そうなんだよ! 我々はただの観光客です!
 日本風に言えば「ツーリスト」だが、しかしそんな発音は留学経験も無い英語教師の教える
ジャパニーズイングリッシュであり、海外では通用しない。TouristのRをきっちり発音し、舌を丸めてトゥァリスト。そうやって正しい英語を使ってこそ、軍の人間とも対等に渡り合えるのだし、日本人が国際人として認められるきっかけになるのである。細かいことだが、10億人が使う言語である英語を、きちんと使いこなすことは旅行者の義務である。ジャパニーズイングリッシュしか喋れないような奴は、旅先では黙ってな!!!

 自信満々で答えたスーさんの言葉を受けて、しかしなぜか兵士はライフルの引き金に手をかけ、かなりの勢いで眉間に皺を寄せて言った。



「テロリストだとぉ?」





 ……。






「いやいやいやいやっっ!!! ノットテロリスト!! ウィーアーツーリスト!!!! ツーリスト!!!!」



 オレとスーさんは同時に、
持ちうる全ての力を使いイスラエル兵士にツッコミを入れた。オレは今までインドやアフリカで数多くの現地人に激しいツッコミを入れてきたつもりだが、はっきり言って、この時ほど命がけのツッコミを入れたのは人生で初めてであった。
 イスラエルで軍の兵士にテロリストに間違えられるというのは、
ケンシロウと中村主水とデューク東郷に同時に命を狙われるくらい風前の灯火なことである。
 トゥァリストとか生意気なこと言って、
日本人が身の丈もわきまえずにRの発音なんか極めようとするからややこしいことになるんだ。素直に最初からツーリストと言っていればよかったのに。オレたちは、何度も繰り返し、ウィーアーツーリスト!!!! とツーの部分をひたすら強調し、ジャパニーズイングリッシュで必死に叫んだ。
 すると……



「クププ……」



 兵士は、オレたちの死に物狂いの姿を見て笑っていた。
 ……どうやら、彼は真剣に聞き間違えたのではなく、
ほんの軽い冗談で「テロリストぉ?」と言ってみただけのようであった。
 な〜んだ。冗談かよ〜。








 ……。











 
笑えるかっっ!!!!!!!


 
てめー冗談もシャレで済むものと済まないものがあるんだよっ!! 50人ほど殺せそうな小銃を抱えて物騒な冗談を言うんじゃねえよっっっ(涙)!!!!

 もちろんオレたちは「いやー、びっくりしたなあ」などと兵士さんに
笑顔で媚び、素直にパスポートを提出して指示を仰いだ。ちなみにスーさんは中央アジアの国々、カザフスタンやらウズベキスタンやらを通ってここまで来ており、兵士に「なんでおまえこんな危険な国ばっかり通って来たんだ?」と質問され、バリバリの笑顔で「アイムストゥピッド(僕は愚かな人間なんです)!」と答えていた。スーさん、そこまで……
 しかしカザフやウズベキにしてみても、イスラエル軍の兵士に危険な国と言われるのは心外であろう。もしカザフスタンさんがこの場にいたら、
「おまえに言われたくねーよ」と文句をつけることだろう。

 さて、だいぶ怪しまれたがなんとかとびきりの笑顔で検問をすり抜け、先に進もうと思ったがしかしもうオレたちは
行くところが無い。兵士にこれこれこういうことでと事情を話すと、彼は時々通過するユダヤ人の車に、エルサレムに行くかどうかわざわざ尋ねてくれた。う〜〜、イスラエルの軍人でも、たまにはいい人もいるんだな(冗談は笑えんけど)……。
 結局その検問所の脇でぶるぶる震えながら数十分、そこに奇跡的に通過したタクシーを、オレたちは兵士と一緒になって
爆撃せんばかりの勢いで止め、金に糸目をつけずにエルサレム近くのチェックポイントまで走ってもらうことになった。

 そうして、やっとのことでオレとスーさんはエルサレムに帰りついたのだった。

 な……

 長い1日だった……。

 誕生日にしては、あまりにも誰にも祝われない1日であった(涙)。普通なら、いつもと変わらず仕事から帰宅するとなぜか部屋は真っ暗、家族の姿も見えず当惑していると、
「ハッピバ〜スデ〜トゥ〜ユ〜〜♪」ケーキを持った奥さんや友人が登場するという幸せな日のはずじゃないか。そんな日にオレは、朝から下痢になりライフルを突きつけられ腹痛でバスを止め野外排泄をし、山の中で凍えながらヒッチハイクをし挙句の果てにテロリストよばわりである。
 もういい。もうオレが祝うしかない。
ハッピーバースデートゥーオレっ(号泣)!!!

 これで、イスラエルでの予定は終了である。
 ややこしい国であった……。少々怖い目にも遭ったが、しかしパレスチナ人とユダヤ人、それぞれに会ってみて今まで抱いていたテロリスト、テロというものへのイメージは変わり、パレスチナ自治区という地域の意味も、オレは生まれて初めて知ることになった。混沌の歴史は深く、一介の旅行者が何かを語っても意味は無いのかもしれない。しかしただ何も考えずに率直にこのイスラエルの旅の感想を述べるならば、
パレスチナ人は本当に親切で、イスラエル軍は酷く残酷であった。

 その日の夜遅く、オレは宿のインターネットで久しぶりにYAHOO! JAPANのページを見てみた。すると目に飛び込んできたのは、「原宿」と「テロリスト」、「ジャック」という3つの言葉であった。
 
に、日本にもテロリストが!!!!
 遂に、遂に東京でもテロが起こるようになってしまったのか……。
 一瞬の後よくよく見出しを読んでみると、
「エロテロリスト・インリン、原宿ジャック」という、グラビア女優のイベントの記事であった。

 オレは、日本を情けなく思った。





今日の一冊は、この経験を活かしてさくら剛が中東問題などについて解説した 世界のニュースなんてテレビだけでわかるか!ボケ!!…でも本当は知りたいかも。






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