〜3日目・ンゴロンゴロ自然保護区〜 「……スウェーデンでは不景気が……で……地域の30%くらいが……の経済格差の……」 「そうなのよ。だから……が……で女性の社会的地位が……は……政府が……じゃない? タンザニアではどうなの?」 「そうだなー、オレ達の場合は男が……で……はやっぱり政策で……の……なんだ」 ……。 2日目の夜、山奥の宿で木製の粗末なテーブルに置かれたコックの手料理を囲み、オレ以外の3人の会話が弾んでいる。オレの英語力の適応範囲は簡単な日常会話程度であり、おそらく乳離れした頃のセインカミユよりもしどろもどろだろうが、彼女達はそのオレの能力の担保範囲を遥かに超えたレベルの話をしているようだ。 ……別に入れなくてもいいのだ。オレは会話に参加しなくても、わけしり顔でうなづいて雰囲気を楽しんでいるから、特に問題はない。ただし、頼むからどうか気を使ってオレに話をふるのだけはやめてくれ。 「ふーん。それじゃあ……でも不景気が……なのね」 「そうなんだよ。タンザニアは大統領が……景気の……するから、……でね」 「結構大変なのねー。……も……の労働環境の……が……ね。じゃあ、作者、ジャパンではどうなの?」 はうっっ!!!!! きた……きてもうた。ちくしょう……必死に心の中で『こないでくれ……オレにこないでくれよ……』と念じていたのに……。 オレを見つめる3人の視線。この自然な流れを崩さず、和やかな空気を保つためにはここで数秒以内にコメントを出さなければならない。おそらく2秒以上沈黙が続いたらこの場がおかしな雰囲気になってしまうだろう。ああ、しかし神よ!! 一体私はどうすればよいのか!!!!! 「そ、そうだな……。えー、……。日本も、同じような感じかな。」 「……」 「……」 しーん…… 「……」 「……。あ、そうね、そういえば今度ストックホルムで……の経済会議が……と……で……」 「そうそう。たしかタンザニアも……と……が……に出席を……」 「本当か? ……の……大臣が……の景気対策で……」 ……。 難関は去った。 どうやら、奴らもオレの適応レベルをやっと理解したようだな(号泣)。ああ、こんな時はしみじみと自分の勉強不足を恨む。それにしても、みんな英語もペラペラなら自国の経済事情までよくもそんなに知っているもんだ……というか、それが当たり前なのか。オレなんか、景気がどうとか言われてもコメントなんて、「どんなに不景気だって、恋はインフレ〜ショ〜ン」くらいしか思い浮かばん。……とりあえず、明るい未来に就職希望だ。 そんなこんなで、話弾む楽しい食事は終わりの時間となった。 「OK。じゃあ今日はみんなおつかれさん。明日はそうだな、朝5時起きな」 「はやーーーっ(涙)!!!!!」 「ちょっと、いくらなんでもそんなに早起きする必要はないんじゃない?」 「そうよ! この2日でどれだけクタクタになってると思ってんのよ!!!」 「ヘーイ、おまえら、ここに何しに来てるんだ? アフリカの野生動物を少しでも多く見るために集まってるんだろうがボンクラどもがっ! そしてそのためにオレというガイドがいるんじゃねえのかコンスタンチン!!!」 「は、はい……」 「わかったわよ……そんな意味不明な怒り方することないのに。しょうがないわね……」 「そうね。まあ明日で最後だし、がんばって起きましょ」 「ということで明日は起きたらすぐ全員でここに集まって食事な。寝坊するんじゃないぞ! そして皿でも運んでおきやがれ老いぼれども!! じゃあオレはもう寝るから」 いきなり偉そうになったガイドは、食事の後片付けを客に託すと、早々と自室へ引っ込んで行った。まあ後片付けと言ってもとりあえず食器などテーブルの上の物をキッチンへ置いておくだけだが、別に客だからそんなのやらないと言っているわけではない、ただせめておまえも一緒にやれよ。それにしても、朝が弱いというか単にだらけるのが好きなオレは、5時起きという言葉を聞くと目の前が暗転し心臓の鼓動は弱まり四肢の端々までシビれに襲われる。だがそれは彼女らも同じようだ。 「まったく、やーね5時なんて」 「そうよねー、なんか早起きすると目の前が暗転して心臓の鼓動も弱まるし、四肢の端々まで……ぎゃっ!! ぎゃーーっ!!! なんなのーーーっ!!!!」 「おおっ。ど、どうしたシェスティン?? 大丈夫、オレがついてるから何も怖くないよってキャーーーーーッ!!! キャーキャーッ!!!!!!」 「キャーーーッ!!!!!」 キャーーッ!! なんかチョロチョロ走ってますキッチンの床を!!! なんだ? ネズミか?? でもネズミにしてはちょっとでかくないか?? なんか小動物というより、丸っこい物体がコソコソ壁際を這っている。 オレは天井から一本ぶらさがっている裸電球のスイッチを入れた。 なんじゃおまえは〜〜〜っ!!!! ……。 っていうか、 足みじか〜っ!!!! 「ヒエ〜……。い、いや? よく見るとそんなに叫ぶほどのもんでもなさそうか……」 「そうね。なんだかおもしろい形してるしね……」 オレ達を驚かそうとして登場したはずのこの小動物は、逆にその身体的特徴をバカにされるなど外国人の笑いのタネとなり、背を丸めて裏口から悲しそうに去って行った。 翌朝5時半。 オレ達は、早起きの苦しみに全身を痙攣させ、心臓の鼓動は弱まり四肢の端々までシビれに襲われながら、まだかなりの勢いで薄暗い食堂に朝食のため集まっていた。ね、眠い……。キャピキャピコンビといえどもこの時間では実力を全く発揮できないらしく、いつもと違って全然キャピキャピしていない。それどころか不満たらたらである。 「こんな早く起きたの何ヶ月ぶりかしら……」 「オレもこの時間はジンバブエでのビザ取り以来だな……」 「まあ昨日あれだけ言われたからね……。みんな今日一日楽しんで明日はゆっくり寝ましょうよ。……。ところで、なんか私達人数が足りなくない?」 「そう? 1、2、3……本当。3人しかいないわ」 「誰がいないのかしらね……」 「ホントだ。誰だろう。……あれ? そういえば、あの黒人の人いなくない?」 「あら、そういえば。全員5時起きだってガイドさん言ってたから、寝坊したら怒られるわよ〜」 「そうね。あの黒人の人、まだ寝てるのかしら。……ところで、黒人の人って、誰だっけ??」 「そうだな……ツアー客はオレとキャピコンビの3人のはずだから……そうそう、あの人だよ。ガイドさん」 「……」 「……」 ウォラーーーッ!!!! ガイドぉぉ!!!!!! オレ達は、怒りという感情で一致団結し、ノーメイクの鬼の形相でガイドの部屋へ突進した。 ガンガンガンガン 「起きろコラ!!!!!!」 「ウェイクアップ!!! 起きなさいよ!!!!!」 「今すぐ出てきなさいっ!! 起きなさいっっ!!!!」 カシャッ 「ファー、なんだこんな朝早く……お〜、グッドモーニング……どうしたんだみんな揃って……。……。はっ!!」 「寝てたな!! 完全に寝てやがったな!!!!!!」 「信じられないわっ!!! 昨日あれだけ強気に命令しときながら!!!!」 「ち、違うんだ!! ちゃんと5時前から起きてたんだけど、その、たまごっちが病気になって……」 「いいから早く来なさい!!! あんたは朝食抜きで出かけるわよ!!!!」 「そ、そんな……」 ということで、完全にガイドとしての尊厳を失った一人の黒人の運転で、最終日である今日はアルーシャの町から120kmの位置にある、ンゴロンゴロ自然保護区というところへ向かった。 ンカタベイに続く「ン」で始まる地名であるンゴロンゴロは、この際ゴロンゴロンに改名した方が言い易いのではないか、ということはどうでもよく、ここは火山の火口に出来たクレーターで、その縦16km横19kmのだだっ広いクレーター内に昔からずーっと野生動物だけが住んでいるという、正真正銘の野生の王国である。 まず標高2,400mまで4WDで登り、そこからクレーターの底に向かって今度は600mを駆け下りるのだが、噴火口の淵からクレーター内を見下ろす大パノラマはすさまじく、これは地球の景色ではなく違う惑星を見ているのではないか? と思ったほどの絶景は、今までの人生ではこのンゴロンゴロのクレーターと、数ヵ月後にたどり着くトルコのカッパドキアだけであった。 もちろんクレーター内に下りても絶景は変わらないが、今度は絶景に加えて大量の野生動物が我々を出迎える。 ぬう〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ |
ヌーだ。 日本名はヌーだが英語ではワイルド・ビーストと言うらしい。 ……。その語感の違いはなんなんだ。ヌーではいかにもヌ〜っとした、うどの大木といった鈍感なイメージだが、ワイルド・ビーストとなると闘魂三銃士と名勝負を繰り広げ、第37代IWGPヘビー級チャンピオンにでもなりそうな勢いだ。ヌーとしても絶対日本語よりも英語で呼ばれたいだろう。ただ悪いがオレは日本人なので、祖国の動物学者に敬意を評し、あくまでもヌーと呼ばせてもらう。 ちなみにヌーの後ろに見える山はクレーターの淵である。クレーターだけに、ここは360度どの方向を向いて写真を撮っても必ず外輪山(淵のことをこう呼ぶらしい)が背後に写りこむ。織田無道の水晶玉や霊能者が持参する心霊写真などと違い、誰が見ても納得できる写り方である。尚、淵と言ってもその高さは600mもあるためそれだけでも立派な山である。むむむ……この場所は、まさに地上の奇跡である。 しかしヌーは、最初こそ「あれがヌーだ!!」と説明もされ写真も撮られ、女性陣からは「キャー! ヌーよ! ヌーよ!!」と黄色い悲鳴で迎えられ興味深々に観察もされるのだが、なにしろあまりにもその数が多いがゆえに、時の経過とともに次第にそのありがたみが薄れ、クレーターに降り立って2,3時間もすると、「もう! あの山際のキレイな湖を撮りたいのに、ヌーが邪魔ね」などと圧倒的に風景以下の扱いを受けるのであった。 大体からにして、オレ達も含め観光客は最初こそインパラにも驚き、ゾウの群れに感動し、キリンが高い枝から葉を食む姿を興奮して眺め、シマウマの集団を見て「さて何頭いるでしょうか?」とありがちなクイズ(ただし本物)で盛り上がるという無邪気っぷりを見せるのだが、2日目、3日目ともなると、地方の片田舎から上京して1年経った短大生のように、「なによ今さらゾウやシマウマの群れなんて……。そんなので私の気を引こうと思ってるの? あたしは、去年の私とは違うのよ。そんな安物で私の心を動かそうなんて思わないでよ!! もうあの頃の約束なんて忘れたのよ!!」と、田舎からわざわざ指輪持参で会いに来た高校時代の彼氏を門前払いするかのごとく以前のトキメキなど忘れ、常に新鮮な出会いを求める薄汚れた都会の住人となってしまうのである。 だがしかし、ここンゴロンゴロクレーターは、そんな都会の絵の具に染まったオレ達をも満足させるほど、次から次へと初登場のタレントが目の前に現れるのだ。バッファローにハイエナにサイにカバにジャッカルにダチョウ、ホロホロチョウハタオリドリその他無数の鳥達、そして…… ……。 あんた、初対面じゃないよな??? ……。 いたっ!!! こいつそういえば、ジンバブエにいたぞ!!! ビクトリアフォールズの道端で他の旅行者とどんなに正体について話し合っても結論が出なかった、謎のノラ動物だな!!! ↑↓ほら、見比べてみると、今日の奴の方がスマートで肌のツヤも良く、色気づいて茶髪にしたり年齢の差こそあるような気がするものの、それでも他人とは思えないほど似てないか?? ……そうか。わかった。きっと彼らは、オヤジがジンバブエに出稼ぎに出て数年前に生き別れになった親子なのだろう。ビクトリアフォールズで見たオヤジに、息子はクレーターの底で元気に暮らしているということを教えてやりたい。結局最終的に正体の結論は出なかったが。 お父さん、息子はたくましく(少々ヤンキー風ではあるが)育っているよ……。 午後になり、オレ達のツアーもいよいよ終わりが近づいて来た。オレはまたすぐ次の街でもう一度サファリツアーに行くつもりだが、とりあえずタンザニアの国立公園を周る3日間の旅は、あと少しで終了である。 最後にライオンの姿を間近に見た時、オレはひとつ忘れていたことがあったのを思い出した。そうだ。そういえば、オレは「ライオンにまたたび」という諺を実験するために、カバンにまたたびを忍ばせて来たのであった。 どうしよう……このまま帰るか……それとも……。 オレは、カバンをごそごそと開け、こっそりとまたたびをひと枝つまみ出した。 ……。 コソーリ…… 「あら? 作者、なにその棒っきれ??」 「どきっ!!!」 「なになに? なにそれ??」 「なに? それで何をするの??」 「い、いや、その、あの……。じ、実はこれライオンが好きな枝で……」 「ふーん……」 「……」 オレとまたたびを見つめ、シーンとなる3人。 ……。 できない。オレにはできない。 ……大体、ライオンにまたたびなんて諺は存在しないんだよっ!!!! それを言うならネコにまたたびだろうがっ!!!!!!(いつになく全身全霊のツッコミ) …… 「作者、日本には何かワイルドアニマルはいるの?」 「えーと、ゾウとかキリンとかいるけど動物園だからワイルドじゃないかな……。スウェーデンはどうだい?」 「そうねえ。針葉樹林なんかには、ベアーが出るわ。ガオガオいうやつね」 「ああ、クマか! そういえば、日本もクマならいるよ。特に北の方にね。あと、北海道には動物王国っていうのがあって、馬とかサルなんかも育てているんだ。今は写真家として有名な加納典明が昔は動物王国のメンバーだったってことは、あまり知られていないんだけど業界では有名な事実なんだ」 「ふーん……」 サバンナを離れたオレ達は、アルーシャの町まで最後のドライブを楽しんだ。まさにこのサファリツアーは、アフリカの本来の姿を見せつけられた3日間であった。 次第に舗装道路に入り、建ち並ぶ鉄筋の建造物を目にすると、あの野生の王国から一体どうやって人間は一歩抜け出ることが出来たのだろうと不思議に思う。ライオンの獲物であるヌーより力が無く、インパラより逃げ足は遅く、シマウマより貧弱な人間が。 たかがサルが、ちょっと脳がでかくなっただけで生物界のトップに君臨するようになったのだ。そう考えると、たとえ目の前にどんな逆境が転がっていようと、オレ達の脳をフル回転させれば、解決出来ない問題なんて何もないはずだ。 哲学的にまとめた(まとまったはずだ)ところで、さらば、タンザニア。 今日の一冊は、腰痛をこころで治す 心療整形外科のすすめ (PHPサイエンス・ワールド新書) |