〜入国か〜





 オレは、イミグレ(入国審査)の長い列に並んでいた。
 ケープタウン国際空港の、このイミグレーションさえ無事通過すれば、ついに自他共に認めるアフリカ入国である。



『あの・・・南アフリカは帰りのチケットが無いと入国出来ないことになっているんですが・・・。』


はっ!
美人受付譲の声がどこからともなく響いてきた。心霊現象だろうか?いや、ただ思い出しただけだ。
 片道チケットでは入国できない・・・28時間前、成田で彼女はそんな非情で冷徹なコメントを発していた。それは本当のことだろうか?それとも、みんなに中身でなく外見だけで判断され、勝手に美人受付譲と呼ばれることに対してのささやかな抵抗を表す意味でのウソなのだろうか?
 たしかに、外国に入国する時、帰りの航空券の提示を求められるということはちょくちょくあることだ。ただ、それは入国管理官の気分次第で、いかにも不法滞在とかしそうな怪しいやつにだけ行うはずである。車から沿道の人々に手を振っているだけで月に一度は必ず皇室関係者と間違えられる程上品なオレが、そんな不法な疑いを受けようはずがない。ちなみについでに言っておくと、乗っている自転車があまりにボロいために月に一度パトカーに追いかけられ職務質問も受ける。
 まあそんなことはどうでもよい。
 とりあえず、いかに入国管理官に対して不自然さを見せないかがポイントである。「ちょっと仕事の出張で来たんだけど、1週間くらいですぐ帰るよ。キミも毎日仕事大変だねえ。こんなとこで働いてると時々あやしいやつとかも来るんじゃない?」というような慣れた感じの対応がいいだろう。怪しい人間だと思われ、帰国便のチケットの提示を求められたらかなりやっかいなことになる。
 普段クオーター回転が限界な頭をフル回転させ、綿密なシュミレーションを終えた頃、ついにオレの前に並んでいた白人の旅行者が入国審査を済ませた。いよいよである。
 管理官が静かにオレに目線を送ってくる。「おまえの番だぞ」という心の声も。
 絶対にあたふたしてはいけない。相手を呑んで、当たり前のように手続きを終わらせるんだ。
 オレはゆっくりと黒人の入国管理官の前へ進んだ。



「ハーイ。」


「ハロー。どこから来たんだ?」


「日本からだよ。よろしく!」



 よし。いい雰囲気だ。最初にこちらから挨拶をし、満面の笑顔で笑いかけたために入国管理官にも自然にオレの笑顔が伝染している。日本人と黒人とはいえ、笑顔は全世界共通。言葉なんかたいして喋れなくたって、コミュニケーションはこうして気持ちよくとれるものである。いいぞ。



「滞在期間はどれくらいだ?」


「ほんの1週間くらいだよ。よろしく!」



 全く自然な答え方である。いかにも『何回も来ている』といった雰囲気をうまくかもし出せているのが自分でもわかる。これなら彼が毎日何十人も見ているであろうビジネスマンと何ら変わりがないのではなかろうか。口には出さないが、頭の中でも『あーあ、せっかく南アフリカまで来てもいつもいつも会議ばっかで、ろくに観光もできやしないよ。』といかにもな愚痴を浮かべているオレは、多忙なビジネスマンを完全に演じきっているといえよう。



「予定してる訪問都市は?」



「ケープタウンと、プレトリアだよ。本当はもっとあちこち行きたいんだけどね。よろしく!」



ああ!
これほど完璧な受け答えがかつて入国審査史上あっただろうか!?
 短いようだが、「本当はもっとあっちこっち行きたいんだけど」というセリフで、『色々な場所に行ってみたいよ。だってオレは南アフリカが大好きなんだ。あんたの住んでいるこの国を愛しているんだよ!』ということ、そして、『だけどビジネスで来ているから、残念だけど観光なんてしている時間はないんだよ。すぐ帰んなきゃいけないし。はぁ。悲しいけどね。』という南アフリカ好きのサラリーマンの悲哀をあますことなく表現しきっている。予想通り、こんなすばらしい回答が帰って来たために入国管理官の笑顔は一段と輝いてきた。もはやオレのことをただの入国者ではなく、家族のように思ってくれているに違いない!



「オーそうかそうか。2ヶ所だけなのか。」


「そうなんだよ。(肩をすくめて)ま〜ったく。」


「ははは。じゃあ帰りのチケット見せて。」


「・・・。」
















オーマイガッ(号泣)!!












 なぜ!!!
 なぜなんだ!!!

 今のオレはどこからどう見ても会議のため短期滞在するビジネスマンにしか見えないじゃないか!!!なんでビジネスマンに帰国便のチケットの提示などを求めるんだ!!??
 もしかしてオレを疑っているのか?
 あれだけわかり合ったじゃないか!!それなのになんでだ。なんで家族同然まで仲良くなった友達のオレを疑うんだ!!!オレがTシャツとジーンズで、靴は普通ならとっくにゴミ箱行きなくらいボロボロで、
明らかに数ヶ月は暮らせるだろう巨大なバックパックを背負っているからか??




・・・。






そういうことだったのか。





「おい、帰りの航空券がなければ入国はできないぞ。」


「そ、そんなこと言われても・・・、あ、あの、陸路で次の国に行こうと思ってるんですけど。だからホントに1週間で出国します!」


「だーめ。とにかくそういう決まりだから。」


「お願いしますって!!入れて!入れてください!!!」


「お願いしてもダメ。」


「お願い!・・・グスッ。そんな・・・そんな意地悪・・・ヒック・・・しなくても・・・」


「泣いてもダメ!」


「なんだとこの野郎!!入れろっつってんだよ!!」


「怒ってもダメ!」


「みちゃみちゃモイスチャ〜〜


「深田恭子のマネしてもダメ!!」


「そんな殺生な!ちょっと!!じゃあどうすればいいんですか!!」


「オーイ!こいつ帰国のチケット持ってないってよ!」



入国管理官の呼びかけで、後ろから何やら別の空港係官がやってきた。
 なんということだ。美人受付譲の言った通りだった。彼女の教えてくれた通り、本当に南アフリカには帰国便のチケットがないと入国できなかったのだ!最初から美人受付譲を信じるべきだった!!ということは計画を英語でちゃんと説明すればいいみたいなこと言ってた美人受付譲の上司は一体なんだったんだろう。いや、彼女がああ言ってくれなければそもそも出国すらできなかっただろう。
 しかし出国できたとはいえ、この状況は史上最悪だ。もしかしてこのまままた28時間かけて日本に帰らされるのだろうか??そんな!!ダサすぎる!!!強制送還なんて嫌だ!!
機内クイズで不合格になったわけでもないのに!!頼むから入らせてくれ!この国に!この世界最悪の凶悪犯罪都市に!!!
 ・・・なんか複雑な気分だな。

 係官に連行されたオレは、通路脇のベンチで彼の尋問と説明を受けた。
 とにかく彼に言われたことは、今までの繰り返し、帰国のチケットが無い限り入国は許可されないということだった。いくらオレが今後の計画について話しても聞く耳を持ってくれなかった。オレの英語が通じなかったという意見もあるが。
とにかく、もはや一旦日本に帰って出直すしかなくなってしまった。
という程ではなかった。
ではどうすればいいかということで、彼が教えてくれたことは、以外と簡単なことだった。
それは、今ここで帰国便のチケットを買うということだった。
おおっ!!!
そんな解決策があるのか!!
 もちろん今のオレには他に選択肢は無い。最初に提示された日本行きのチケットの金額20万円に一瞬激しい立ちくらみを覚えたが、話していくうちに「近場でもいいからとにかく南アフリカ発の航空券があればよい」ということがわかったので、ケープタウン、3日後発の、南アフリカの次に通過する予定の隣国ジンバブエへの航空券を選び、購入した。
これは、実はひょうたんから駒では??
これならこの危険な国と数日でおさらばできる上に、旅の日程も大幅に短縮出来るではないか!!
やった!すばらしい!!大逆転勝利だ!!!

 そのジンバブエ行きのチケットを掲げ再びイミグレーションに進み、見事入国審査を通過したオレの頭の中には、ウルトラクイズのポイント通過の音楽が流れ、妄想のハワイアンギャルがオレの首にレイをかけ、熱いキスをしていた。キスの嵐だった。





今日の一冊は、劇団ひとりが天才だということがよくわかる 陰日向に咲く (幻冬舎文庫)






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