〜3年〜





 パキスタン国境からすぐに夜行バスに乗り、山の中をひたすら北へ向かって走る。
 例によって
夜行バスで寝れない委員会の委員長であるオレは、23時、24時、AM1時と寝静まる真っ暗なバスの中でただ1人外の暗闇を眺めていた。窓の外にはただただ不気味な林や山肌が続くだけ。
 うーん。怖い……。

 
あれっ!?
 い、今なんか
森の中に血だらけの女の人が立ってなかった?? ちょっと。ねえ、ちょっとちょっと!! ねえ、見たの僕だけ? ねえっ、いたじゃんっ!! ねえ、今いたよねえ顔面血まみれの女の人!!
 ほら、あの木と木の間に立ってたじゃん!! 幻覚なんかじゃないって!!! やめてよ〜〜っ、ウソでしょっ(号泣)!! ウソだと言ってよ!!!

 ……なんてことが
起きたらどうしよう(負の妄想)。ああっ、怖いよお〜〜(涙)

 負の妄想から性の正の妄想に、なんとかいつもの調子に戻そうと必死に佐藤寛子のグラビアを頭に思い浮かべるが、微妙にシフトしきれない感じで
血まみれの佐藤寛子ちゃんが水着で立っている姿が思い浮かんでしまった。実際にその光景に出くわしたら、逃げるべきか抱きつくべきか真剣に悩むだろう。
 なんか寛子ちゃんってちょっと幽霊顔なんだよね。特命係長・只野仁の27話に地下室の幽霊役で出た時は寛子ちゃんてわかってても恐かったもん。
 ああ……最近ちょっとグラビアアイドルのネタに頼りすぎている気がするな。……よし。今からしばらく、グラビアの話禁止令を出します。
断グラビア宣言をここにいたします。すぐに「宣言解除します!」とか言うようなおふざけもなしね。今回ばかりは本気だからオレ。変わりたいんだ。そろそろ、表現者として違う可能性を探っていくから。

 さて、血まみれの寛子ちゃんから血を排除して笑顔にしてみると心が安らいで
あら素敵、ホッとひと息、ひと安心。したところでバスが山間の小屋の前で止まった。こんな夜中に食事休憩のようだ。※断グラビア宣言はここから適用されます
 オレは夜行で寝れない労働組合の組合頭であると同時に、
乗り物酔い同好会の会長でもある。腹を満たしてから辛い移動を再開すると、途中でスーパーマンリターンズや花より男子リターンズと同様食べた物リターンズになる可能性がある。しかも、パキスタンでの食事は遂にカレーである。睡眠不足の状態で激辛カレーを食べ直後にバスに乗ったら、これはもうリターンズの確率は高い。どのくらい確率が高いかというと、たまたまテレビをつけたらやっていた韓国ドラマにチェ・ジウが出演している確率くらい高い。2種類の韓国ドラマを見たら、最低1人は両方のドラマに出てる役者がいる確率も相当高い。
 それにしても、いよいよカレーが普通に食事として出る国まで来てしまったのだ。なにしろ、宗教問題で独立した60年前までパキスタンは
インドの一部だったのである。それならばインドとパキスタンの食文化が似ているのはごく普通のこと。少し前まで同じだったものが急に袂を分かってもたいして性質は変わらないというのは、加護、辻コンビの動静を見ればとてもよくわかる。

 ということで、オレはカレーは食わずに小屋の隣の広場でとりあえず立ちションをした。だって、小屋の中にもトイレはあるだろうけど、たいてい発展途上国の田舎のトイレというのは
原子力発電所でいったら臨界事故クラスの非常事態ぶりだから、こういう時は闇に乗じて人知れず空き地でしちゃえばいいのさ。シャシャシャ〜っと。
 シャーーーーー
 ジョオ〜〜〜〜〜〜……
 ……ふう。ピンピンっ(先端を弾く)。
 ああっ、はじいた水滴がズボンについたっ!! ……まあいっか。このズボンはその前から尋常でない汚さだしな。尿くらいじゃ痛くも痒くもないさ。太ももに直に尿がつくと痒くなるけど、ズボンについただけじゃ痛くも痒くもないんだ。
 いやー、すっきりした。さあてバスに戻ろうか。

 
おおっ!!!

 あわわわ……なんか祈ってる……パキスタン人が大勢でオレに向かって土下座して祈っている……
 たっぷりのお小水を出し切って振り返ったオレが闇の中に見たのは、広場の地面にボロ布を敷いて、一生懸命
オシッコをしているオレの方に向かってお祈りを捧げるイスラム教徒のみなさんの姿であった。
 そういえば、イスラムの方々は1日5回メッカの方角に向かって祈りを捧げるんだった。よりによってオレは
メッカの方角で立ちションをしてしまったらしい。祈る前に言ってくれればよかったのに……。オレは、聖地なんかじゃない。ただの臆病な男なんです。そんなに買いかぶらないでください。
 ……とりあえず、怒られる前に
逃げよう。

 縦に長細いパキスタンの中間点、クエッタという町に着いたのが朝の8時。そして、その日の夕方発の夜行バスで再び北のラホールという町を目指す。昨日、今日と、
宿に1泊もせずに夜行バス2連チャンである。これほどの苦行はそんじょそこらの比叡山の荒法師でもなかなか経験したことが無いのではないか。あの人格者で有名な白河上皇ですら、賀茂川の水とサイコロの目と荒法師と夜行バスの辛さだけは思い通りにならないと言っているのだ。
 イランとの国境を越えてから15時間ほどで中継地点、さらに同じ日に今度は23時間バスに乗ってようやく目的地着である。終点であるラホールの宿に着いたオレがそこから
まる1日仮死状態のまま微動だにできなかったのも当然のことであろう。レントゲンを撮ってちゃんと調べたら、少なくとも背骨の2,3本は折れていたはずである。まだオレだからかろうじて生きているが、アーノルドシュワルツェネッガー程度の貧弱な男だったら、この荒行に耐えられず本当にご臨終を迎えていたに違いない。このように丈夫でたくましい人間に成長できている自分を我ながら誇りに思う。

 さて。しかし仮死状態から甦ったオレは、ここでしばらくの安息を得ることになっている。
 実は、ラホールからバスで数時間の首都・イスラマバードで、とある日本人の友人が青年海外協力隊として働いている。そして、なんと、彼女は
オレをしばらく部屋に置いて養ってくれるというのである!!

 ……え? 気付いた? 気付いちゃった? そうだよ。彼女って言ったんだよ。
女性だよ。え? 聞こえなかった? じゃあもう1回言うよ。女性だよ。え? やっぱり聞こえなかった? え? 聞こえたから何回も言うな? あっそ。
 おそらく全国1800億人の作者ファンのみなさまの心を傷つけることになると思うが、オレはイスラマバードでしばらく友人の女性宅で
同棲させてもらうことになるのだ。その友人とは誰かと尋ねたら、遡ること3年前、オレがインドに入国した日に知り合い行動を共にした少女(当時)・シホである。彼女に関する詳しいエピソードは、アルファポリスより刊行中の「インドなんて二度と行くかボケ!!……でもまた行きたいかも」を見てね!

 まあつまり、そのシホがたまたま青年海外協力隊としてパキスタンで働いており、オレは彼女と
ひとつ屋根の下でしばらく滞在させてもらえるようになったのである。




 
……勝った(号泣)。




 ついに来たよ。こういうことを書いているオレは、
ついに勝ち組になったんだよ。Web上には、あまたの旅行記があるよ。星の数ほど旅行記サイトがあるよ。でも、女の子の部屋に居候させてもらうなんてことを書いているオレは、旅行記の世界では確実に勝ち組ではないか。この、女っ気の無い他の旅行記サイトめ! 見ろ!! どうだっ!! これからはオレも夫婦バックパッカーの仲間入りだ!! 自己紹介ページも写真入りでもっと充実させてやる!!


「おっす! 久しぶりだねー!」


「おおっ!! ひさしぶりっ! 今日からひとつ屋根の下、よろしくたのむぜ!! むふふ……
ムヒヒひひ。にょへひゃ


 イスラマバードのバスターミナルで路上公衆電話から連絡をすると、久しぶり(3年ぶりだ)に
ハンサムなオレに会うのが恥ずかしいのだろう、頭部を布ですっぽりと覆ったシホが登場した。いやー、インドで会った時はもっと凶暴な感じがしたけど、こんな恥じらう乙女に成長しているなんて、やるじゃないか。


「じゃあさっそくだけどタクシーでうちまで行こう」


「行こう行こう。
今すぐ行こう。2人で行こう。なにがなんでも。懐かしいこのセリフ……


「それじゃあ……、※※×▽□・・・△※□□〇〇!」



 シホはおもむろに、付近でぐだぐだしていたタクシーの運転手と交渉を始めた。なんだか聞いたことの無い言語で話をしている。どうしたのだろう。独特の星の言葉で喋る、ちょっと
イタイ娘になってしまったのだろうか?? あなたはなに星出身なの? かりん星? と思ったら、パキスタンのウルドゥー語という言葉らしい。
 どうやら料金交渉も終わったようで、オレは彼女に言われるがままタクシーに乗り込んだ。いや〜〜、普通にパキスタン語で現地の人と話せるようになっているなんてすごいなあ。オレがこの数年、一生懸命ミクシーの使い方の勉強やモーニング娘。の新メンバーの把握などに励んでいたのと
同じくらいシホもがんばっていたんだなあ。やっぱり成長したのはオレだけじゃないんだ。旅の仲間には、いろいろと教えられるものだよね。


「※※×▽□・・・△※□**□〇?」


「△※〇$$××□〇△※※×!」


「※※×〇□##△※□□〇〇!!」


「あの、ちょっとシホさん……?」



 タクシーも走り出して落ち着いたというのに、なぜかシホは久しブリハンサムなオレそっちのけで運転手と話をしている。どうしたんだろう。
 というよりこれは……
どう考えても照れ隠しだな。おしとやかな淑女になった彼女は、このようにアフリカ大陸を縦断し、あの頃の少年の無邪気な面影が消えたくましい青年に成長したオレと面と向かって話をすることに、照れているのだ。でも、そんなオレと、今日からしばらく一緒に住むんだよ? もっと自分の気持ちを前に出さなきゃあ。恥ずかしがっちゃダメだよ。がんばれ。心から思う気持ちは、きっと伝わるから!!



「×〇□△※□&’□〇〇!!!」


「△※〇×#$%×□〇△※※×!」


「※※×〇□%|‘’がp%△※□□〇〇!!!」


「△‘△※&&&%ЮЮ※++;;**>*×!!!!」


「※※×〇□###□〇〇!!! ムキャーッ!! ドガッ(後ろから運転席にケリ)!!」







 
ええっ!?






「あ、あのー、シホさん、ななな、何をやっているんでございましょう?」


「他のタクシーに乗り換えるから! 最低な運転手に当たったっ!! あーー(怒)!! さあ、早く降りてっ!!」


「は、ハイ……おおっ!」 すってんころりーん



 オレは運転手の怒りに満ちて路肩に停車したタクシーから、シホに転げ落とされるように道へ出た。2人が降りるか降りないかのうちに呪いの排気ガスを吹き上げて、タクシーは走り去って行く。よくあるパターンの、交渉料金の吊り上げに遭ったらしい。
 道端に転がるオレを放置して、すぐさま新しい車を止めてイライラと交渉に入っているシホ。

 ……。

 
恐い……(涙)。

 前よりおしとやかではなく、
真逆だ。以前にも増して強くなっている。少女の無邪気な面影が消えてたくましい青年になっている。あの、いちおう、僕もたくましくなったという意見もあるのですが。ち、違いましたでしょうか。人違いでしたでしょうか。そちらですね、どちらかというとたくましくなったのは。

 シホが住んでいるのは、南アジアでは見たことが無いような大邸宅の2階であった。この家に住むパキスタン人のファミリーが2階部分を海外協力隊に貸し出しているらしい。ま、まあともかく夢にまで見た、念願のかわいくたくましい女子とのふたり部屋での甘い生活が……。
 邸宅の外についている階段を上がると、シホは頭を覆っていた布をバサッと取りながら邸宅の中を案内してくれた。


「じゃ、そっちの部屋使っていいよ。今は誰もいないんだそこ。それから一応外には警備員もいるけど、鍵を渡しとくから戸締りはちゃんとしてね。あ、大丈夫だと思うけど、その鍵は絶対失くさないように!!」





「はいっ。おつかれさまでした」



 ……。


 渡された鍵であてがわれた部屋に入ってみると、そこは
バストイレつきのごく普通のシングルルームであった。どうやらこの家は、他人に貸し出すために2階部分がちょっとしたホテル仕様になっており、部屋ごとに完全に独立しているらしい。

 ……女子との同棲生活は? 
夫婦旅行記は?? ヒモになるんじゃなかったの? 勝ち組になるんじゃなかったのオレ?? これじゃあ、ただのたまたま同じ宿に泊まっている日本人旅行者じゃないか……(号泣)。
 しかも彼女が頭を覆っていたのは別に照れ隠しじゃなかったのか。よく考えたらこの地域のならわしだったな。郷に入っては郷に従っているのか。おのれー、郷なんかに従いおって。郷なんかじゃなく、溢れ出る魅力で
オレが従わせようとしていたのに。郷とオレ、どっちが大事なんだ!!

 ともあれ、もともと客人に貸すために作られた部屋は最高に快適で、
客人というより変人であるオレを無料で住まわせてくれるよう大家さんに交渉してくれたシホには70ポイント分は感謝しなければならない(100ポイントで無料マッサージ券を発行します)。その上、オレが旅の予算という点ではあの時から1円たりとも成長していないことを見抜いたシホは、何度もメシを奢ってくれた。あああ〜〜ありがとうございます〜〜〜(涙)。
 いやあ……それにしてもインドで会った時をしみじみと思い出すなあ。あの頃と比べると、
人として大差をつけられていることをしみじみと感じるなあ(号泣)。
 いいんです。僕は僕なりにがんばるんです。彼女が世界を股にかけて活動しているように、僕だって帰国したらワードとかエクセルを勉強して、
派遣社員としてのスキルアップを目指します。

 さて、小学生の時からの夢だった、そして最初で最後だろうと信じ期待していた女子との同棲生活は幻と消え、
普通に宿に泊まる感じになったオレだが、翌日モスクの観光に行った帰りに乗り合いバスの中で部屋の鍵を失くした。
 部屋に入れないオレはドアの前で体育座りになり、シホが仕事から帰って来るのを待った。


「あれ? なにやってるのそんなところで??」


「おかえりなさい。ごめん。鍵なくしちゃった! あはっ!」


「……」


「は、ははは……」


「……うそでしょ」



「あ、あのっ! 乗り合いバスの中で、人がたくさん乗ってて、あの、ポケットに入っていたはずなんですけど、な、何度も探したんですけど……」


「……はぁ(深い深いため息)」


「ご、ごめんなさい(号泣)」



 シホは大家さんのところへ謝りに行くと、100本ほどのスペアキーの束を借りて来て、1本1本鍵穴に差し込みどの鍵が合うかを必死に探してくれた。その姿を見ながら、オレが「その中に開く鍵が無かったら、ドアごと弁償とかしなきゃいけないのかなあ」と話しかけると、シホは
こちらを見ずに「そうだね」と言った。
 そして、束の3分の2ほどの鍵を試し終えたあたりで、ようやくドアが開いた。ああ、よかった……
 オレは保護者のシホに連れられて1階の大家さんのところへ行き、パキスタン語で「ごめんなさい」という言い方を教えてもらって一緒にあやまった。
いろんな意味で泣きそうになりながらあやまった。シホはオレより5歳ほど年下である。ははっ……(涙)
 謝罪が済み2階に戻る途中、あの時のように
夢がモリモリの話でもして場を和まそうと思ったが、冗談が通じる雰囲気ではない感じがしたのでやめた。

 さて、その次の日。オレはお湯をジャバジャバ使って洗濯をしていた。いや〜、そもそも蛇口からお湯が出る。このことがどれだけ幸せなことだろうか。そりゃあ、出すさ。洗濯もお湯でするさ。思う存分神様からもらった幸せを噛み締めるために。
 おや?
 なんか突然水が止まったぞ。なんで? タンクにでもお湯をためているの? そしてその分を使い切るとしばらく待たなきゃダメなの??
 ところがしばらく待ってみても一向にお湯が復活する気配が無かったので、オレはまたドアの前で座ってシホの帰りを待った。


「なに? どうしたの? また何かやったんじゃないでしょうね」


「お湯をたくさん出して洗濯してたら、水もお湯もなーんにも出なくなっちゃった。あはっ! 
あは……


「なんでわざわざお湯で洗濯をするのっ!! ここはお湯を出しすぎると断水してタンクが壊れるんだから!!!」


「ご、ごめんなさい……(号泣)」



 シホは大家さんに謝りに行くと、返す刀で別の使用人さんに頼み込んでタンクの修理をしてもらっていた。その後オレは保護者のシホに連れられて大家さんのところへ行き、
昨日教えてもらったばかりだからまだ覚えていたパキスタン語で「ごめんなさい」とあやまった。

 ……そして翌日、オレは
予定より1週間ほど早くこの家を去ることにした。

 だって、
もうこれ以上いられないから。
 
せっかく再会したシホとはこれで本当に今生の別れを告げることになったが、しかし、いいのである。お互いに良い印象を持っている時に、思い出がキレイなまま別れるのが一番いいんだ。と思ったら既にオレの印象は地の底を突き破ってマントルに達するくらい悪くなっていました(号泣)。

 「旅先で友人宅にお世話になる」ということを初めて経験してみたオレは、
どうして自分に友達がいないのかをなんとなく心の奥深くで感じ取ったような気がした。
 いろんな人、そしていろんなものに、オレは謝りたい。
 そして違う自分になりたい。





今日の一冊は、不肖・宮嶋のビビリアン・ナイト 上 (祥伝社黄金文庫)






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